第50話 攻略完了、その先へ
主封鎖の表示が点いても、すぐに通路へ飛び出す者はいなかった。
北班は掛け金と漏水の有無を確認した。東班も、レバーと連結部の保持を確かめる。南班は正しい弁の作動位置を記録し、再び霞み始めたフードから離れた。
時刻は、二十時五十九分台だった。
各班は定めた防護退避区画へ移り、周囲の安全を確認してから帰還を始めた。通信が戻るのを待って、その場に留まり続ける手順ではなかった。
共通の合流地点へ最初に着いたのは、冬佳と深雪だった。
「東、二名。怪我なし」
次に慧、朱里、千紗が現れた。三人とも、作業票を濡らさないよう内側へしまっていた。
北から朔と澪が到着すると、澪は端末の名簿を開いた。
「七名、全員帰還。怪我の申告をお願いします」
一人ずつ返事を聞く。全員いると目で見えても、その手順を省かなかった。
最後の返事を聞いてから、澪の肩がようやく落ちた。
外側の通路では、白稜がまだ警戒を続けていた。
高峰は剣を収めず、継路が安全線を越えたのを数えてから、後衛へ撤収を指示した。
「七人、戻ったな」
「そちらも、残りの点呼を頼む」
朔が答えた時、中継地点の通信機が鳴った。地下深部の無線は途切れたままだが、ここから地上への回線は使えた。
『梶谷さん、聞こえますか。下流の観測値が、封鎖成立の直後から下がっています』
水野の声だった。
『異常過圧の解消を確認しました。非常放流ゲートの作動は回避されています。ただし、避難解除は残りの確認後です』
朔は主封鎖の表示と各班の帰還を報告した。
返答を聞いている間に、慧が通路脇へ座り込んだ。朱里もその横へしゃがみ、笑おうとして、うまく声にならなかった。
「……合っていたんですね、あの管」
「三回、見たからな」
慧が答えると、千紗が二人の保護具の状態を確認しながら頷いた。
「あとで、三回分の記録を出してください」
そこで初めて、笑い声になった。
地上の安全区域で空気質を確認し、汚れた装備を処理してから、七人は呼吸保護具を外した。
冷たい夜気が頬に触れる。
朔は遠くの住宅地を見た。避難区域の明かりはまだ少ない。今夜の仕事で守った場所へ、人が戻れるかどうかは、これから各担当が確かめていく。
その時間を残せたことに、ようやく実感が追いついた。
◇
数日後、公社の会議室で、潮見環坑の緊急対応が検収された。
白稜の討伐と外周護衛。継路の現地補修、手動封鎖、安全確認。それぞれの欄に、実施した者の名前が記されている。
三班の記録を照合した結果、操作の完了差も許容三秒の内側にあった。計器差と動作の誤差を見込んだ予行が、実際の記録でも満たされていた。
「あくまで、暫定復旧の検収です」
水野が確認した。
「壊れた自動制御や、残っている摩耗まで直ったことにはしません。恒久改修は、別の予算と契約で進めます」
「その範囲で間違いありません」
朔は検収書を受け取った。契約に定めた着手金と成果報酬が支払われる。都市を救った感謝と、曖昧な追加報酬を混ぜる必要はなかった。
高峰は白稜の記録を閉じ、帰り際に朔へ手を出した。
「次の合同案件でも、戦闘は任せろ」
「条件を見てから決める。今回と同じ準備で、別の現場へ入る気はないぞ」
「そこまで同じ返事だと思っていた」
握った手は固く、疲労が残っていた。片方が片方を救ったという話には、ならなかった。
◇
入金を確認した日の午後、継路の事務所にピザの箱が並んだ。
朱里が枚数を数えると、慧が「点呼ですか」と聞いた。
「これは大事です。先に数えないと、深雪さんが取り分を間違えるので」
「私は、残している人に聞いてからもらっています」
深雪が穏やかに言い、冬佳が箱を一つそちらへ寄せた。
千紗は紙コップを配り終え、今日は測定器を出さずに座った。
朔が話し始めたのは、全員が一切れずつ取ってからだった。
「今回、通信が切れた後は、俺にも南で何が起きたか分からなかった」
慧が顔を上げる。
「図面の不一致を、現物で直してくれた。東の修復も、澪の発動判断も、俺がその場で命じたわけじゃない。戻ってきた記録で知ったことが、いくつもある」
朔は少し言葉を選んだ。
「任せてよかった。ありがとう」
過去の怪我が消えるわけではない。かつて重傷を負わせた部下に、今日の成功をもって許しを求めることもできない。
それでも、自分が見ていない場所を任せ、仲間の中止判断まで受け入れて待つことはできた。
「次も、図面が違ったら止めます」
慧が答えた。
「私もです。梶谷さんが早くと言っても、八秒を延ばせませんから」
冬佳が続ける。朔は笑い、頷いた。
「その時は、言い直してくれ」
澪は紙コップを両手で持った。最初の給与明細を見た日、何でもすると言った自分を思い出す。
今は、何でもはできないと分かっている。だから、何を引き受けるかを、自分の名前で答えられる。
「北班の記録、発動と打撃は別の欄にしておきます。次に同じ作業をする人が、間違えないように」
「頼む」
朔の短い返事を聞き、澪は自分の分のピザを取った。
食べ終わる頃、依頼窓口へ新しい通知が届いた。
西山採石場跡。討伐済みだが、搬送路が塞がり、ガスの滞留が疑われる。
誰も、通知だけで現場へ走ろうとはしなかった。
「進入前の空気測定が先ですね。観察位置は図面にありますか」
千紗が聞き、冬佳が添付図を開く。
「設備の停止範囲も確認しましょう。今動かしている物があるかもしれません」
「測位は入れる通路の中だけです。壁の向こうは、別の点検方法が要ります」
慧が言うと、朱里は現況図の撮影日を探した。
深雪は搬出物の重量と勾配の資料を、依頼先へ請求する欄を作った。
朔が口を開く前に、調べる順番ができていく。
澪は全員の発言を追い、見積もり前に確認する事項を一覧へまとめた。その一番下へ、朔の名前も入れる。
「梶谷さんは、所管者と作業範囲の確認をお願いします」
「了解」
答えた後、朔は少し笑った。
机の上には、使い終えた七つの紙コップ。壁には、初めて受け取った水門の検収書が掛かっている。その横へ、潮見環坑の記録を収める場所が空けてあった。
閉じた案件のファイルへ、澪が最後の確認印を入れる。
攻略完了。
次の現場へ向かう準備は、もう一人だけの仕事ではなくなっていた。
(了)




