第20話 稼いだ金の使い道
南斜坑輸送路からの魔鉱石搬出作業の最終日、作業日報のタイムスタンプはD52を示していた。
斜坑の終端からさらに運搬用通路を進んだ先にある、最終納品先の集積スペース。そこで、相沢朱里は首から下げたバインダーに挟んだ図面と、目の前に積まれた分厚い金属ケースの山を交互に確認していた。
「……四十八、四十九、五十。はい、これで全量の引き渡しを確認しました」
朱里が納品先の担当者へ図面を差し出す。
「こちらが、今回私たちが使用した搬送経路と、この引き渡し地点の正確な座標を記録した図面です。変動区画ではありませんが、安全に台車を取り回せるクリアランスを実測して書き込んであります。次回以降、別の運送業者が入る際にもこれを使っていただければ、迷走や誤配送は起きません」
「おお、こりゃあ助かる。ただ荷物を運んで終わりじゃないんだな」
納品先の担当者が感心したように図面を受け取り、受領印を力強く押し込んだ。
朱里はホッと息を吐き、少し離れた場所で待機していた梶谷朔と南野深雪に向かって、頭の上で大きく丸を作ってみせた。
「現物の個数と重量、すべて契約と合致。無事に検収完了だ。ご苦労だったな」
朔が労いの言葉をかけると、深雪も穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ。途中で連動式荷役装置のロックがかかるトラブルはありましたが、それ以外はウィンチと摩擦調整の組み合わせで、一度の暴走もなく完遂できましたね」
「安全が全てだ。事故を起こせば、運んだ価値も吹っ飛ぶからな。よし、事務所に撤収するぞ」
霞浜市内にある『合同会社 継路』の事務所に戻ると、朔はさっそくタブレットをモニターに繋ぎ、今回の大型案件の収支を画面に表示させた。
事務所のデスクには、今回活躍した深雪と朱里、そして機材のメンテナンスを終えた霧島冬佳と早瀬慧が揃っている。
「今回も、無事故で完了できた。全員の働きに感謝する」
朔は画面の数字を指差した。
「北浜資源工業からの着手金に加え、無事に全量分割搬送を終えたことでの成果報酬が振り込まれた。さらに、荷役装置の復旧という追加作業分の対価も満額で引き出せた。……結論から言えば、会社の口座には過去最高の利益が残っている」
「おぉーっ!」
朱里と慧が歓声を上げる。冬佳も「苦労した甲斐がありましたね」と満足げに頷いた。
「だが」
朔は画面をスワイプし、支出予定のリストを表示させた。
「この利益をそのまま代表の懐に入れたり、貯蓄として眠らせたりする気はない。俺たちの仕事は、現場が大きくなるほど危険度が増す。稼いだ金は、次の現場で俺たちの命を守るための『設備投資』へ最優先で回す」
リストの一番上にデカデカと記載されていたのは、『産業用予備制動器の購入』および『巻き上げ機用耐荷重ワイヤーの全交換費用』だった。
その項目を見て、深雪が目を丸くした。
「梶谷さん……かなり高額な産業用ブレーキですね。今の台車についているものでも、今回の使用条件は満たしているはずですが」
「今の装備は今回の条件に合っている。ただ、次の案件で同じ物を使えるとは限らない。使い続ける分の予備も必要だ」
朔はきっぱりと言い切った。
「斜坑での空荷試験で痛感したはずだ。重い荷物は、滑らせることより『止める』ことの方が何倍も難しく、危険だ。南野さんの魔法で初動を助けられたとしても、下り坂で増大する数百キロの慣性エネルギーを受け止めるのは、結局のところ物理的なブレーキとワイヤーの強度しかない。ここに金を惜しめば、いずれ必ず死人が出る」
「それに加えて、全員分の各種保護具の更新。万が一の休業補償原資の積み立て。外注費と税金。……これらを差し引くと、まあ、俺が豪遊できるような金は残らないな」
朔がわざとらしく肩をすくめると、事務室にドッと笑いが起きた。
笑い声が収まった後、朔は深雪の前に一枚の書類を差し出した。
「南野さん。今回は試験契約での参加だったが、正式な継続契約を結びたい。君の《摩擦調整》を万能な運搬魔法と過信せず、発進時の補助という局所的な用途に限定できたからこそ、安全な施工が成立した。何より、下り坂での危険性を事前に指摘してくれた、物流のプロとしてのシビアな視点は、今後のうちの会社に絶対に必要だ」
深雪は、目の前に置かれた雇用契約書を手に取った。
そこには、彼女のスキルに対する正当な対価としての給与額が明記されている。だが、彼女が真っ先に視線を向け、指先でなぞったのは別の項目だった。
「……梶谷さん。この第九条の項目ですけれど」
「現場作業員による、危険認知時の独立中止権だな。何か不備があるか?」
「いえ」
深雪は顔を上げ、とても穏やかな、だが芯のある笑顔を見せた。
「以前の職場では、元請けが『工期が遅れるから速度を上げろ』と言えば、どんなにブレーキが焼け焦げようとも従うしかありませんでした。でも、梶谷さんはあの下り坂の手前で、依頼主の無茶な要求を物理的根拠をもって撥ね除け、私の技術的見解を守ってくださった」
深雪は契約書にペンを走らせた。
「給与の額面以上に、この『止める権利』を認めていただける会社で働けることを、何より嬉しく思います。……改めまして、よろしくお願いします。梶谷代表」
「こちらこそ、よろしく頼む」
朔が契約書を受け取り、これで継路はまた一つ、心強い専門家を身内に迎えることとなった。
「さて。感傷に浸っている暇はないぞ」
朔がモニターの表示を切り替えると、そこには霞浜迷宮管理公社からの新たな依頼の概要が映し出された。
「早速、次の案件の打診が来ている。場所は『第三換気区』。先行した戦闘部隊が内部の魔物駆除を完了させたが、空調設備がダウンしていて、区画全体に正体不明の有害粉塵が充満しているらしい。設備復旧をしようにも、業者が立ち入れずに未達になっている案件だ」
「有害粉塵、ですか……」
冬佳が顔をしかめた。
「設備を直すには換気機に近づく必要がありますが、粉塵を吸い込めば命に関わりますね。……浄化の魔法を使える方を探しますか? 空間の空気を一瞬で綺麗にできるような」
「いや。そんな都合のいい魔法使いをあてにするのは三流の現場だ」
朔は首を横に振り、ホワイトボードに新しい調達リストを書き出し始めた。
「魔法で空気が作れる保証はないし、魔法が切れた瞬間に全員が窒息するような現場には入れない。どんな魔法使いを雇うにせよ、まずは物理的な防御が最優先だ」
キュッ、キュッ、とマーカーの音が響く。
「明日までに、全員分の高性能な『呼吸保護具』を手配する。それから、ただの浄化魔法使いではなく、空気中の粒子濃度や有毒ガスの成分を正確に測定できる『環境安全の専門家』を探せ。有害環境下では、見えない空気を数字で可視化することが一番の防御になる」
朔はホワイトボードをペン先で叩いた。
「いいか。マスクなしでは、危険区域の安全線から一歩も入らない。徹底するぞ」
次なる敵は、巨大な魔物でも重い鉄の塊でもなく、目に見えない有害な空気だ。
継路の現場攻略は、新たな専門知識を要求する未知の領域へと足を踏み入れようとしていた。




