第1話 四秒遅れの補助魔法
「Sランククラン『白稜』によるボス魔物の討伐は、完了しました。ですが、依頼は失敗です」
秋の気配が色濃くなってきた霞浜市の郊外。コンクリートと剥き出しの岩肌が混在する「水門迷宮」の入り口で、霞浜迷宮管理公社の水野詩織は、分厚いファイルを閉じながら淡々と告げた。
「討伐の最終段階で発生した魔力圧の急変動により、同行していた設備復旧の協力業者が安全基準の超過を宣言。撤収してしまいました」
「業者の判断は正しいですね。戦闘と復旧は別の仕事だ」
作業用ジャケットに身を包んだ梶谷朔は、手元のタブレットで公社から送られてきた現場の数値を読み込みながら頷いた。
入り口の掲示板には、討伐完了の赤い印。その隣の「水門復旧」は空欄だった。朔は空欄の方を撮影し、作業用の画面を開いた。
「期限内に代替の業者を調達できませんでした。よって、既に当公社の緊急対応業者として登録されているあなたの会社、合同会社『継路』へ残工事を直接委任します。水門本体の復旧と、支管の安全確認をお願いします」
「了解しました。ただ、うちも立ち上げたばかりで人が足りていません。臨時の人員を一人、こちらで手配します」
数十分後、現場の安全待機所に小柄な女性が駆け込んできた。
暗褐色の長い髪を後ろで一つに結んだ彼女の名前は、羽鳥澪。
「遅れてすみません! あの、本当に私でいいんでしょうか」
緊張の面持ちで頭を下げる彼女は、つい先週までSランククラン『白稜』と補助要員として契約していた。しかし、彼女の能力は前衛の高速戦闘と致命的にテンポが合わず、業務縮小を理由に契約を終了されたばかりだった。
「危険区域での就業資格と、直近の安全講習履歴は持っているな?」
「はい。更新したばかりです」
「なら問題ない。うちは現場の安全計画と設備の復旧作業が主だ。君の技能は、うちの仕事に合う。本日の有償協力者として正式に雇用する」
朔が淡々と手続きを済ませ、澪に真新しいヘルメットと保護眼鏡、それに携帯照明を手渡した。
「……ありがとうございます。でも、私の魔法は……」
「使い道なら俺が指示する。まずは支管の安全確認だ。ついてきてくれ」
朔は環境計測器を腰に下げ、迷宮と人工物が融合した薄暗い通路へと足を踏み入れた。
水門迷宮の内部は、天然の洞窟に太い配管やコンクリートの支柱が後から無理やりねじ込まれたような異様な構造をしていた。
支管エリアの入り口を抜けた直後だった。
けたたましい電子音の警報が鳴り響き、通路の奥からくぐもった叫び声が聞こえた。
「朔さん、あれ!」
澪が携帯照明で照らした先には、金属製の隔壁の向こう側で、膝下まで水に浸かっている二人の人影があった。公社の先行点検作業員だ。
「浸水が始まっています! 魔力圧の変動で、地下水脈が逆流してるんだわ……っ」
「落ち着け。水野さん、聞こえるか。支管第四区画で浸水を確認。作業員二名が孤立。これより緊急処置に入る」
朔は襟元の連絡機で公社側へ端的に告げると、水圧に耐えている隔壁のそばまで駆け寄った。
作業員たちがいる区画へ水が流れ込んでいる原因は明白だった。支管を塞ぐための分厚い緊急閉鎖弁が、途中で引っかかって降りていないのだ。
朔は懐中電灯の光を弁の側面にある駆動部へ向けた。
「……なるほど。閉鎖機構のストッパーになっている小固定ピンが、魔力圧の衝撃で歪んで固着してる」
「あのピンを抜けば、弁が降りるんですね? でも、どうやって……」
「物理的に叩き抜くしかない」
朔は腰の工具帯から金属製のハンマーを引き抜いた。だが、彼の表情は硬い。
駆動部の周囲は太い配管が入り組んでおり、大人が一人ようやく腕を差し込める程度の隙間しかなかった。
朔は隙間へハンマーを差し入れた。振り上げると柄が配管に当たる。大きな工具は入らない。
すぐ脇の機械式圧力計は、約十一秒ごとに同じ目盛りまで下がっていた。
「圧力が下がった時だけ、ピンの噛み込みが緩む」
水位を知らせる二人の声が、隔壁越しに重なった。朔はピンの刻印を、受け取っていた設備票と照合する。
「弱い一撃では、かえって食い込む。強すぎれば周りの案内部まで潰す。この工具と姿勢で出せる衝撃は、必要な範囲より少し足りない」
「別の人を呼ぶのは……」
「作業資格のある代員を、ここへ連れてくる時間はない。だが、君がいる」
朔は工具票の数値に、一・二五を掛けた。ばらつきを見込んでも、設備票に記された許容範囲に入る。
「澪」
朔は計測器の数値を睨みつけながら、鋭く呼んだ。
「お前の能力の仕様を確認する。発動は確定の四秒後。有効時間は一秒間。対象は八メートル以内で視認できる味方一人。指定時間内の次の一回の物理攻撃威力を一・二五倍に強化。効果終了後、六十秒は再使用不可。間違いないな?」
「は、はい。でも、たった一・二五倍です。それに四秒も発動が遅れるから、戦闘じゃいつもタイミングがズレて……」
「戦闘の話はしていない」
朔は振り返り、真っ直ぐに澪を見た。
「俺の基本打撃力に一・二五倍を乗せれば、工具の衝撃許容帯のど真ん中に収まる。四秒のタイムラグがあるなら、四秒前に発動すればいいだけだ。俺がタイミングを計る」
澪は目を見張った。自分の能力が、そんな精密機械の調整のように使われるなど、考えたこともなかった。
「……やります」
澪は大きく息を吸い込み、朔から八メートル以内の安全な位置に立った。
朔は圧力計の針の動きと、自分の腕時計の秒針を同調させるように見つめる。
水位はすでに作業員の腰にまで達しようとしていた。
ピンを抜くチャンスは一度きりだ。失敗して六十秒のクールダウンに入れば、二人は助からない。
「……十一、十、九……」
朔が周期をカウントダウンする。針がゆっくりと下降を始める。
「……五、四。――今だ、発動しろ!」
「《遅延強化》!」
澪が朔を視界の中心に据え、スキルを発動した。目に見える派手な光や爆発はない。魔力のパスが不可視のまま朔へと繋がる。
一、二、三。
心の中の秒針が進む。
発動から四秒を過ぎ、圧力計が低負荷域に入った。
朔は極小の隙間に向けて、何の躊躇いもなく、通常通りの、最も姿勢が安定する形での打撃を放った。
ガァンッ!
重く鋭い金属音が通路に響き渡った。
弾き飛ばされた小固定ピンがコンクリートの床に転がる。
次の瞬間、ストッパーを失った既設の重り式閉鎖機構が、自重に従って勢いよく降下した。
ズドン、という地響きと共に支管が完全に密閉される。
吹き出していた水が嘘のようにピタリと止まった。
「……機構作動、漏水停止。水野さん、こちら朔。支管の閉鎖を確認。これより作業員二名を外へ誘導する」
朔が連絡機に向かって報告すると、隔壁の向こうから安堵の声が返った。
だが、朔はまだ救出完了とは言わなかった。流入が止まっても、溜まった水は残る。二人に壁際の昇降足場へ移ってもらい、上の点検口から救助用のロープを下ろす。
澪は端を握り、上がってきた一人目へ手を伸ばした。二人目の濡れた手袋が足場の縁を掴むまで、指を離さなかった。
「二名とも出ました!」
彼女の声を聞いて、朔はようやく閉鎖機構から目を離した。
三十分後。
救出された二人の作業員が公社の医療チームに引き渡された後、朔と澪は再び入り口の待機所に戻っていた。
水野が記録端末にペンを走らせる。
「支管の応急処置、および二名の救助の完了を現認しました。見事な判断でしたね、梶谷さん。そして、羽鳥さんも」
「私は、言われた通りにしただけで……」
澪が恐縮して身を縮める。朔は工具帯を外し、タブレットを操作して一つの画面を澪に見せた。
「本日の支管緊急対応に伴う、臨時業務の給与明細だ。着手金の中から、会社負担の装備費とは別に、君の作業時間と危険手当を計算して振り込んでおいた」
「えっ……こんなに? でも、私、人を助けたお礼なんてもらえません」
「勘違いするな。人命を救った恩として払うわけじゃない。君が資格を持ち、指示通りに能力を行使し、現場の要求仕様を満たした仕事の対価だ」
朔は薄い疲労感のある表情を崩さずに言い切った。
「戦闘で使い道がなくても、現場では一・二五倍という『確定した数値』を出せる技能は強力な武器になる。よくやってくれた」
澪はタブレットの画面に記された金額と、自分の仕事が正当に評価された事実を前に、泣きそうな顔で何度も頭を下げた。
「さて」
朔は視線を水門迷宮のより深部へと向けた。
「これで支管の危険は排除できたが、依頼の本命はあくまで『本体水門』の復旧だ。だが、問題がある」
「問題、ですか?」
「ああ。魔力変動のせいで、本体水門の内部は濃い霧のようなノイズに覆われている。図面だけじゃ、どこの機構が壊れているのか目視で特定できない。当てずっぽうに歩き回るわけにもいかないからな」
朔はふう、と短く息を吐いた。
「俺と君だけじゃダメだ。『見えない場所を安全に探れる人間』を、もう一人雇う必要がある」




