第9話 連戦連夜(4)
まだ激しい呼吸と胸の高鳴りはおさまらないが、俺は少しずつトラックの外へと歩を進めていた。
これから、花咲と佐伯のレースが始まる。
これを見逃すわけにはいかない。
息を整えながら観客席へ向かおうとすると、舛谷先生が二人のレースを見るために、係員の仕事を切り上げて真剣な眼差しでトラックを見つめていた。
「お疲れ様です!」
そう俺が声をかけると、先生は視線をトラックに向けたまま答えた。
「おお、お疲れ。なかなかいいレースだったぞ! お前も河野も、随分と速くなったもんだ。このままいけば、二人とも今年中に4分台が出るかもしれないな」
「はい! このまま絶対、4分台出します!」
俺が力強く返事をすると、先生は少し声のトーンを落としてこう呟いた。
「……そろそろ始まるな。今日のレースは、佐伯にとってかなり重要な一戦だ。全力で応援してやってくれ」
「はい……」
俺は少し、その言葉の真意がわからなかった。
なぜ、佐伯だけなんだ。このレースには花咲も出ているというのに。
三年生の佐伯にとって、これが引退前の貴重な一戦であることはわかる。でも、先生のあの言い方は、それだけではない何かを孕んでいるように思えてならなかった。
そんな思考を巡らせているうちに、鋭い号砲が鳴り響き、運命のレースが動き出す。
この組は、1500mの自己ベストが4分35秒から4分25秒までの選手が集まっている。
今の二人にとっても、十分に走りやすい実力帯のはずだった。
しかし、そのレース展開は、俺たちの予想を大きく裏切るものだった。
――佐伯が一人、圧倒的なスピードで前へと飛び出したのだ。
明らかなオーバーペース。何を考えてそんな無茶な入り方をしたんだ……。
そう俺が困惑していると、後ろの観客席から、こんな会話が耳に飛び込んできた。
「あれって、佐伯じゃね? 久しぶりにレース出てるの見たわ〜」
「ああ、なんかちょっと前の試合から復帰したらしいよ。まあ、一年生のときのほうが圧倒的に速かったけどな」
聞き間違いだろうか。
もし、それが本当なら、なぜあいつは今まで俺や河野に何も言わなかったんだ。
いつも隣にいる花咲は、このことを知っているのだろうか。
頭の中の疑問が整理できず、呆然としている俺を置き去りにして、レースは無慈悲に動き続ける。
佐伯はまだ先頭を走っており、後ろを大きく引き離している。
けれど、そのフォームからは確実に余裕が消え、疲労の色が濃くなっていた。
なぜ、あんなに焦って最初から突っ込んだのか。
いつも冷静な佐伯には、およそ似合わない、狂気すら感じる走りだった。
「やっぱ垂れてきたな。昔の自分の幻影でも追いかけてんのかね」
後ろの観客が、また冷淡に言葉を吐き捨てる。
「あいつが一番速かった時代は、もうとっくに終わってんのにな」
その言葉が鼓膜を叩いた瞬間、俺の脳内で、すべての点と線が繋がった。
驚愕と共に、確信が胸を突き上げる。
あいつこそが、あの「四人目」なのだと。
いや――、彼らの中で、最初に頂点に立っていた「一人目」なのだと。




