36 妹の寝間着はこれが正解だ
ロボ梓がいつの間にやらこの家に溶け込んでいるんだなあと、ぼんやり考えているうちに、印南さんが、ほのかに白く色づいた液体が入ったコップをトレイに載せて戻ってきた。
「では、お坊ちゃま、私どもも失礼いたします」
「はい、ありがとうございました。え…と、印南さん、伊香鎚慶さん……」
部屋を出ていこうとする伊香鎚さんたちを呼び止める。
「あの、これからもたくさんご迷惑おかけするかと思いますが、どうか、いろいろ俺について教えてください」
ここでも、一応予防線を張っておこう。
「はい、かしこまりました。お坊ちゃま。それから、私のことは慶とお呼び下さいまし。ずっとそうでございましたから」
「私のことも須磨とお呼びくださいませ」
しまった、それもあったか。呼び名かぁ……まあ、それは、おいおいだな。
「そ、そうですね。努力します。……あ、そうだ」
「なにか、お申し付けございますか?」
さっきのロボ梓の発言の中の、ツッコミどころのひとつをこの人に確認しておこう。
「いえ、聞きたいことが一点」
「何でございましょう?」
「あーやさんってどなたでしょうか? さっき梓が言ってたので」
伊香鎚さんは目を見開き、その顔をみるみる赤く染めてゆく。
印南さんは堪え切れず吹き出してしまっていたのだった。
「し、失礼いたしました。それは、朝食のときにでも、たいちょ……家令にお尋ねになられるとよいかと思います。本人は未だ、陸奥ち……様の土下座を見たショックでフリーズしておりますので……。明朝には復調しているかと……」
ハイ、確定!
いや、それ、『あーや』さんの正体バラしちゃってますから。
伊香鎚さんも印南さんも肩を震わせて笑いをこらえている。
しかも、この様子だと、本人は相当嫌がってるか照れてるかだな。地雷かも知れないから、この件は、心の倉庫の一番奥で塩漬けにしておこう。
伊香鎚さん印南さんと入れ替わりに、ロボ梓が戻って来た。大きな枕を抱いている。
「兄様、お待たせ」
ちゃんと普通のパジャマを着ている。ピンクが基調で赤い熊のアップリケが胸に縫い付けてある、年齢相応のデザインのかわいらしいものだ。
「ふう」
俺は安心してため息を付く。
「ちゃんとそういうものも、あるんじゃないか」
ロボ梓がたたたっと小走りに助走して、ベッドにダイブする。
ぼふッ! ギシッ!
梓のダイブにベッドが抗議するように軽く軋む。
「ふ、ふ、ふ…。このパジャマは兄様との沿い寝用という引き出しの中から、今日の兄様の様子を鑑みて、若葉たちが選んでくれた」
うつ伏せに持参した大きな枕に顔を埋め、くぐもった声でロボ梓が答えた。
ここのメイドさんたちは、ほんとうに気が利く人ばかりだ。ありがたい。
……って、沿い寝用コスチューム専用の引き出しがあるのかよ。『竜洞生徒の梓』! キミは生前、実の兄を何だと思っていたんだ?
過激な下着まがいの寝巻きで起こしに来たり、添い寝用のパジャマを用意してたり。
きっとキミのうぉーくいんくろーぜっとは、そんなもので満杯なんだろうことは、予想に難くないぞ。
兄を誘惑して、既成事実を作ろうとしていたようにしか思えない。
これじゃまるで、『竜洞生徒』を一人の男性として考えていたとしか思えなくなってくる。
……え?
俺は、その考えに至って、背中にゾクリと悪寒が走った。
いや、待てよ、実の兄妹であってもこっちの世界ではアリなのか? いや、まさか、それはないだろう。しかし、そこまでせざるを得ないほどに、人口の地盤沈下が大規模かつ急激に進行していたら?
俺たちの世界の常識では、それは厳然たるタブーで、おぞましい行為だ。
そっち方面の嗜好は特別上級者の縄張りだ。
マウスを操作して、ブラウザの新しいタブを作る。ホームがゴーグル先生だからブックマークから行くより早いと思っている。
検索ワードを入力『民法 婚姻 近親』……。あった民法七三四条、近親者間の婚姻の禁止。俺が知っているのと同じだ。こっちの世界でも三親等以内の婚姻は禁止されている。
「ただし、例外は父母や祖父母の養子や養親の実子とかの義理の関係の場合か……」
梓は間違いなく同じ父母から生まれた実の妹だから、二親等だ。義理の関係でもない。
「ふう……」
わからない。資料が少なすぎるな。
それに、ロボ梓が言っていた、兄様とのシチュエーション別コスチュームの引き出しが実際にあるのかも確かめていないしな。
いや、ロボ梓がうそを言う可能性はロボット三原則があるだろうからゼロに近いか。
「はあ……」
ため息をつきながら天井を見上げる。
「うわッ!」
『竜洞生徒』のイスに、リクライニング装置がついていたのを知らずに、寄りかかった背もたれがそのまま倒れこんでびっくりする。
ああ、びっくりしたひっくり返るかと思った。リクライニングだった。しゃちょうさんのいすだった。
……ん?
机の設置してある壁に額に入った写真がいくつか飾ってある。ここの家族写真のようだ。
「西洋人みたいだな『竜洞生徒』こんなにたくさん写真飾ってるなんて。……ん?」
その中の一枚に俺はの目が吸い寄せられる。このお屋敷をバックに、庭で撮影された使用人らも含めた集合写真のようだ。今よりもずっと幼い容貌の『竜洞生徒』や梓、鳳翔さんに暁さんたち……。
「誰だこれ?」
その写真の中央で、イスに腰掛け、『竜洞生徒』と梓を抱いている夫婦。構図から言っておそらくは『竜洞生徒』と梓の両親だろう。
だが、その夫婦は元の世界の“俺”の父親でも母親でもなかった。
「ちょ……待て、どういう……」
「兄様?」
ロボ梓が心配そうに俺を呼ぶ。
「ああ、梓……」
「なに? 兄様……、御用?」
ロボ梓がパジャマのすそに手をかける。
「い、いや、それはいい」
……ロボ梓が知っているわけないか。
まあ、パラレルワールドだからな。両親が別人でも問題ないか。遺伝子的な共通性もなんか、辻褄が合うようにしてくれてるんだろうさ。
そういえば、『竜洞生徒』の両親ってどうなってる?
「兄様、明日は〇七〇〇に登校と聞いている。そろそろ就寝しないと睡眠不足に陥る可能性がある。就寝をリコメンドする」
そうだった。明日は五時起きだった。
なるほど、健全な精子を作るためには健康が大切。したがって、セクサロイドには、持ち主の健康を管理維持する機能が搭載されているってことか。
確かに健康は大事だ。寝不足は健康の敵だな。とくに男性は短時間で良質な睡眠を取ることが下手らしいからな。
男にとって睡眠は質より量ということらしいからな。
そうだな、今は眠ろう。
「うん、もう寝よう。梓は大丈夫なのか?」
「基本的には梓に睡眠は必要ない。しかし、兄様が就寝している時間は梓もAIのメンテを行う。スリープ状態になって、可能な部分での自己診断と自己修復を行う予定」
なるほど、コンピュータウィルスってやつか。さすがAIだな。
「よし、じゃあ、寝るか」
ベッドに横になり伸びをする。
「おやすみ梓」
目を閉じ深呼吸する。
「兄様!」
「ん? どうした梓」
目を開けロボ梓を見る。
頬を膨らませたロボ梓が、頭を浮かせていた。
「ああ、そうだった」
施設に収容されたばかりのころ、別々の部屋に分けられていた俺と梓だったが、梓はしょっちゅう自分の部屋を抜け出して、俺のベッドに潜り込んできたっけ。
そんなとき、俺は梓に腕枕をしていたんだ。
なかなか寝付けない梓と、小声で尻取りをして、同じ言葉を連発してようやく梓が眠ったっけ。
梓が隣県に養子に行く前の日も、こんな風に腕枕して、尻取りしながら寝たっけな。
「兄様、しりとりをしよう」
「へ?」
驚いた。『俺の梓』みたいなことしてくれるよこのロボ梓は。
うれしさがこみ上げてきて、みぞおちの辺りがくすぐったくなる。
「睡眠導入にしりとりは効果的。ひつじを数えるのと同じ効果がある」
本当かそれ? まゆつばだ。
「いいだろう、じゃあ、しりとりの『り』だ」
「りす」
うむ、梓らしい可愛らしい答えだ。
「スイカ」
オーソドックに俺は返す。
「亀」
「メダカ」
「カラス」
「スイカ」
「かば」
「バラライカ」
「甲斐小泉」
おれの『か』攻撃にビクともしない語彙力はさすがロボだ。
「ミリンダ」
俺は早くも苦し紛れにどこかで聞いた伝説の清涼飲料水の名前を口にした。
「ダマスカス」
「スイカ……あれ?」
「カス」
「スイカ……あれれ?」
そうして同じ言葉をいくつも連発しながら、俺は深い眠りに落ちていった。
ああ、そうだ。明日、りゃくぼう着用っていわれてたっけ。
りゃくぼうってなんだろう?
そこから、誰かに聞かなきゃ。
あーやさんなら知ってそうだな。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。




