31 たっちゃん、かっこよくなったって……いま、言ったか?
「んもう……、たっちゃん……なんか、雰囲気かわった、ね」
そうだろうな。俺は『竜洞生徒』じゃない。
「えッ、ど、どのへんが?」
これから『竜洞生徒』をやっていく上で相違点を洗い出し修正しよう。そのためにはこういうところからの情報収集が必要だ。
ああ、分かってる。俺はものすごく小ずるい。
だが、今はこれを通すしかない。あっちの世界で失った妹との生活と、自活できるようになるまでの居場所の確保のためだ。
いずれ必ず、ごめんなさいするから。
「なんていうか……ちょっと、かっこよくなった……かな」
想定外もいいところな、ど真ん中のホームランコースの絶好球を投げ込まれた気分だ。
耳が熱くなるのを感じながら、聞き返す。
「か、かっこいい? 俺が?」
「うん……、ちょっと物憂げな感じになった…かな。なんか、深みっていうか……目の色が深くなったっていうか……よくわかんないんだけど、ね」
まあ、物憂げっていうなら、育ちが悪いせいだろう。『竜洞生徒』みたいな御曹司とは暮らしてきた環境が違いすぎる。
育ちの悪さが暗い雰囲気を醸し出しちまってるかもな。
「なんか、ね。すごく、ね、落ち着いちゃう……かな。子供の頃から、ね、たっちゃんって、とってもやさしくて、ね……。それは、わたしも、楓も…大好きなの、ね。でも、昨日から、………、なんか……ね……、違う…かな。……一緒にいるとき…ね、なんか、ね…安心しちゃう……の、ね…………」
「落ち着く? 安心?」
俺が小桃に安心感を与えてる? そういうのってたしか、父性スキルとかいうやつか?
待雪が貸してくれたラノベにたしかそんなのがあったな。
だけど、そんなスキル持ってるのっておっさんばっかだったような気がするんだが……。
(ああ、でも、梓が言ってたな。お兄ちゃんといるのが一番安心って……)
そんな元の世界の梓は、いま、俺がいない隣の県の老夫婦のもとに、幼女としてもらわれていった。
落ち着く場所はあるんだろうか? 安心して手足を伸ばせる場所はあるんだろうか?
今の俺にはそれを確かめる術はない。ただただ、そうであることを祈るのみだ。
「……んんッ」
小桃がため息を漏らすように小さく呻いた。
俺の左肩に、小桃の頭の分の過重がかかり、左半身が柔らかな圧迫を受ける。
「小桃?」
応えがない。
小桃はどうやら眠ってしまったみたいだ。重くはないが小桃の体重がじんわりと俺にかかってくる。
すっかりと寝入って、脱力した小桃の柔らかな重みがかかってくる。
「小桃?」
「……ッんん……」
もう一度呼びかけてみるが、すっかり寝入ってしまったみたいだ。
ベッドに横になってるわけでもないのに、こんな一瞬で熟睡するなんて眠り方、徹夜でもしなけりゃありえない。幼馴染とはいえ、男に寝姿さらすなんて無防備にもほどがあるぞ。
まあ、それだけ『竜洞生徒』が信用されてるってことか。
小桃の手から今にも落っこちそうになっているペットボトルを抜き取り、俺の右脇に置く。
「う~ッんん……」
いつの間にかスパイナーがベンチの下に潜り込み、小桃の脚をその毛皮に載せた。
保温ならびに脚の鬱血の予防が期待できる行動だ。
「偉いぞスパイナー。今度、“俺の金”で牛の大腿骨、買ってやるからな」
俺は小声でスパイナーに語りかけながら少しずつ体をずらし、ブルゾンを脱いで小桃に掛ける。
ふわりと、シャンプーの匂いだろうか、花の香りが俺の鼻腔をくすぐった。
梓を寝かしつけるとき、もっとずうっと安っぽかったが、似たような匂いをかいだことがあった。
小桃のヤツ、道端で俺と会ったその直ぐ後、風呂に入って、髪の毛洗って、整えて出てきたんだな。『竜洞生徒』に会うために。
しかも、おめかししてまで、だ。
どんだけ好かれてるんだよ『竜洞生徒』!
「ふーふーふんふーふーふーふーふ、ふーふーふーふんふーふ……」
夕暮れ間近の柔らかな日差しの中、そよ吹く風の中、俺は、『きらきら星』を口ずさんでいた。
小二の頃、音楽の時間に、『きらきら星』をハーモニカで演奏するテストがあった。
家で練習していたら、ハーモニカの音が地雷だったらしくて、母親に罵倒され殴られ、アパートのドアの前で途方に暮れていた。
そんな俺を連れ出して、河原で一緒に練習してくれたのが小桃だった。
おかげで音楽のテストは、なんとかクリアできたっけ。
俺の歌に相槌を打つように、狼みたいなでかい犬が「きゅうん」と鳴いた。
さわさわと木々の葉がこすれあう音を伴奏に、俺はゆっくりとメロディを口ずさんでいた。
※※※※※
なんと、小一時間たっても小桃は起きなかった。それどころか、大きく口を開け涎を垂らし、俺に全体重を預けて、本格的に眠りこけていた。
よっぽど『竜洞生徒』を信頼も信用もしてるんだな。
「仕方ねえか……。よっこら……しょっと」
ベンチから滑り落ちるように中腰になり、背中に小桃を乗せる。
腰を九十度に曲げた状態で、膝を小刻みに上下させ、小桃の位置を背負いやすいようにずらしてゆく。
それでも、小桃は起きない。
「ふふ、すげ……。普通ならこれで起きるぞ。何日も徹夜したんだな。……ったく」
狼みたいなでかい犬は、するりとベンチの下から抜け出し俺の脇に付いた。
まるで、自分に載せてけというように俺を見上げる。
「サンキュ、スパイナー。俺が背負ってくよ。小桃の家、わかるか?」
スパイナーは小桃を起こさないようにと思ったのか、吠えずに頭を二、三度縦に振って、とととっと前に出た。
「オーケーついてくよ」
俺たちは小桃の家に向かおうと公園を出て、元来た道を引き返してて歩き始める。
……と、お金持ち御用達の黒塗りの高級車が、音もなく俺とスパイナーの直ぐ傍に停車した。
ドアが開き、メイドさんが三人降りてくる。
「辰哉様、お嬢様をお背負いいただき、誠にありがとうございます。ここからは私どもがお嬢様をお引き受けいたします」
ああそうですか、では……。なんて、預けられるわけないだろ。
「ああ、お構いなく。俺が送り届けますから」
あんたたちが、俺の背中で涎をぶったらして惰眠を貪っているお嬢様を誘拐して、身代金をせしめようなんてことを、企んでいる一味じゃないと誰が証明してくれる?
「あの……、辰哉様?」
小桃を起こして、あんたたちが小桃んちのメイドさんだと証言してもらうか? 俺は小桃を起こしたくないぞ。
「ふむ、ごめんなさい。俺、あなた達のこと知らないのです。小桃さんの家のメイドさんたちだって、誰が証明してくれるんですか?」
いいや、たぶん本当に小桃の家のメイドさん達なんだろうな。
わかるけど、それは、確たる情報じゃない。
「い、いえ、それでは私たちが、職務怠慢の責めを負ってしまいます。辰哉様、どうか……」
「申し訳ないですけど、俺は、昨日、頭をしたたかに打ちまして、記憶喪失になっているようなのです。ですから、本当はあなた方と“俺”は顔見知りなのでしょうが、ここは譲れません! 俺が小桃さんを、お家の玄関先まで送って行きます。幸いウチの忠犬が小桃さんの家まで案内してくれるみたいなので、このまま、背負って行きます。ご心配なら、俺の後をついて来て下さい」
メイドさん達は腰を折った。
「かしこまりました。辰哉様。お嬢様をなにとぞお願いいたします。私どもは辰哉様の後に続かせていただきます」
すげえ、すんなり引き下がったな。こりゃ、本当に小桃の家のメイドさん達だ。
後で平謝りしよう。
「お坊ちゃま!」
俺を呼ぶ暁さんの声とともに、俺の目の前に『竜洞生徒』の家の黒塗り高級車が現れた。
「お迎えにあがりました。おや、信濃様のお嬢様をお背負いですか? いかがなされました?」
暁さんと瑠弩美さんが車から降りて、自称信濃家のメイドさん達と正対する。
俺は、公園で小桃が居眠りを始めた下りからこっちを暁さんに話した。
「なるほど、それで、浜風さんたちと悶着していたと……」
ああ、この人のこと知ってた。やっぱりこの人たち、本物の小桃んとこのメイドさん達だったよ。
俺は信濃家のメイドさん達に振り向き、頭を下げる。
「大変失礼をしました。すみませんでした。小桃さんをお願いします」
だらしなく口を開け涎を垂らして眠り込んでいる小桃を載せた背中を、暁さんが浜風さんと呼んだメイドさんに向ける。
「かしこまりました。辰哉様、誠にありがとうございました」
すすっと、メイドさんたちが近寄り、小桃を俺の背中から降ろして、車の後部座席に寝かせる。メイドさんの一人がするっと小桃の頭を膝枕をしていた。
全然雑なところがない、見事なフォローだ。
「浜風さんたちのこと疑って、本当に申し訳ありませんでした」
素直に謝る。申し訳ないことをしたからな。四十五度に腰を折る最敬礼ってヤツだ。
夕べ寝る前に、なんとなく敬礼のことが気になってゴーグル先生で調べた。
「いいえ、辰哉様。辰哉様のお嬢様を大切に思うお気持ち、ひしと伝わって参りました。誠、お嬢様が思いを寄せられるにふさわしいお方と、思いを確といたしました。今後ともなにとぞよしなにお願い申し上げます」
よかったな『竜洞生徒』。おまえ、小桃んちのメイドさんたちに高評価だぞ。
「では! 失礼いたします」
踵を翻して、車上の人となった浜風さんたちは小桃を乗せて帰途につく。
まあ、俺が帰るのもそっち方向なんだけどね。
小桃を乗せた車を見送り、俺は暁さんに向き直り腰を三十度折った。
「ありがとう暁さん。グッドタイミングでした。助かりました。本当は、あの人たちが小桃の家のメイドさん達だって思ってたんですが、百パーセント確信があったわけじゃなかったんで……」
「坊ちゃまは実に正しい行動をなされました。ですから、浜風さんたちもすんなりと坊ちゃまに小桃お嬢様をおまかせして後について行こうとしていたのです」
(ありがたい)
元の世界では、自分の意見を貫こうとして、結果的に間違っていた場合、誹られることはあっても褒められることはなかったから嬉しい。
こういったケースでは、俺はどうして十中八、九では「ハイソウデスカ」とはなれない。十中十じゃなきゃだめだ。
だから、例えば遠足の時には降水確率十五パーセントと天気予報で言っていたら、傘を持って行っていた。
そして、同級生にほら見たことかと笑われた。
だが、百回の内十五回って、結構な高確率じゃないか?
「アンブッシュの可能性が一パーセントでもある場合、それに備えさせるのがよい指揮官デス」
瑠弩美さんはなんのことだか分からないことを言ってるが、俺のことを褒めてくれているのが、その不思議な色の瞳から窺えた。
「ありがとう、掛布さん」
俺は、本当に感謝の気持ちをこめてそう言った。
「坊ちゃま、夕食は何がよろしいでしょうかと司厨長が聞いておりますが……」
運転席から印南さんが、呼びかけてきた。
そう言われても、俺は『竜洞生徒』じゃない。好き勝手言えるわけないじゃないか。
そっと、暁さんの顔を窺う。
「坊ちゃま、なんでも遠慮なくおっしゃってくださいませ。で、ないと、何をご用意すればよいのか司厨員たちが困ってしまいます」
「そうですか……」
少しだけ考えて俺は言う。
「オムライスが食べたいです」
ちょっとだけ、暁さんはびっくりしたように目を見開いた。
が、直ぐに気を取り直し、印南さんに俺の希望を伝える。
「オム……。かしこまりました。司厨長に伝えます」
「キッチン、こちら特一班。オムライス。繰り返す。オムライス。オワリ」
印南さんが厨房に連絡を入れている。
少ししてこちらに向かって、親指を立てた。
車に乗るようにという暁さんの言葉を丁重に断って、俺はスパイナーと歩き出す。
せっかく迎えに来てくれたのに、車に乗らないのは本当にもったいないことをしたと思ったが、俺は、この時間だけが見せてくれる空気の色に見とれていたのだった。
俺の視界全部を、夕焼けがオレンジ色に染めあげていた。
「夕焼けってこんな色してたんだ」
思わずつぶやいた俺に、スパイナーを挟んで隣を歩いていた暁さんが応える。
「はい、坊ちゃま。きれいですね」
この時、人生で初めて、俺は夕焼けというものを認識していたのかもしれない。こんな景色何十回と見てきたはずなのに、妙に初めて見た感じがしていたのだった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。




