30 小桃は小桃
「小桃……」
机に置いてあるスマホには小桃からの着信が表示されている。
座っていたソファからたっぷり3秒かかってスマホにたどり着いた。
部屋が広いのはこういうときに不便だ。やっぱり早急に三畳間を設営して、そこを俺の基本生活空間にしよう。
「もしもし」
「あ、もしもし、たっちゃん、さっきは、ごめん、ね。これからお邪魔していい?』
「うん、ああ……」
待てよ、小桃がいるときに梓が「お連れ」されるかもしれない。
今日の鳳翔さんなら、やってしまうかもしれない。
「いや……、そうだ、スパイナーの散歩をしたいから一緒に散歩しないか?」
『わあぁ、いいの?』
「うん、小桃さえよければだが」
『じゃあ、たっちゃんのお家の前で待ってる、ね』
「オーケー直ぐに行く」
画面をタップして、通話を終了する。
「さて……? あ、昨日着たブルゾンは、箪笥部屋に在るんだったかな?」
スマホを置いて、箪笥部屋のドアを開ける。
「お坊ちゃま、お出かけでございましょうか?」
ドアがノックされ、廊下から瑠弩美さんが呼びかけてきた。
「あ、はい、その…、小桃から電話がありまして、一緒にスパイナーの散歩をしようということになりまして……」
この人たちに、隠し事はできないだろうから正直に言う。
「かしこまりました。スパイナー様のご用意をいたします。外出用のお靴はクローゼットの入って直ぐ右に靴掛けがございますので、そちらからお好きなものを。上着は入って正面のハンガーがカジュアルでございます」
「ありがとう、瑠弩美さん」
礼を言って、クローゼットの扉を開ける。果たして目的のものは直ぐに見つかった。
※※※※※
上着を羽織って、スニーカーに履き替え、玄関でスパイナーの引き綱を受け取って、門に着くまで五分とかからなかったと思う。
が、俺が門扉から出たときには、小桃はそこに到着していた。
「おう、やたら早くないか?」
「そお? かな」
小桃はにっこりと微笑んだ。
さっきと違い、ちゃんと身だしなみを整えたお嬢様がそこにいた。
趣味が悪いジャージでも、軍服みたいな制服でもない、地味ではあるが品がいい膝丈のワンピースに、前袷が無いジャケットを重ねている。
黒のストッキングにかかとが低い運動靴と革靴の中間みたいな靴を合わせてる。
全体的に「お嬢様がお散歩いたします」って感じにまとまっている。
そして……。
なんか、さっきよりは当然だが、昨日学校で会ったときよりも数段可愛い。
唇なんかもほんのりと鮮やかに色づいてる。
そうか、これは“おめかし”ってやつだな。そうか、『竜洞生徒』とお散歩するために“おめかし”してきたのか小桃は。なんていじらしい。
うらやましいぞ『竜洞生徒』……って、何回目だこれ。
「い、行こうか」
「うん」
俺たちはスパイナーを挟んで並び、夕暮れに傾き始めた午後の日差しの中を歩き始める。
「「「いってらっしゃいませ!」」」
暁さんに瑠弩美さん、印南さんと伊香鎚さんが見送ってくれる。
「いってきます」
照れながら挨拶する俺に四人は微笑みを返してくれるのだった。
※※※※※
犬に行き先を任せてしまうのは、本来的にはよくないらしいのだが、俺は、スパイナーに行く先を委ねた。
これといってどこへ行くかも決めていなかったし、どこかへ行こうにも、土地勘が全く無い。
こっちがパラレルワールドだってこともあるが、俺は小三以来ここには住んでいなかったからだ。
それに、小桃にお伺いを立てるのもどうかと思ったしな。
狼みたいなでっかい犬は、引き綱がピンと張らないくらいの速さで俺たちをエスコートしてくれる。
その分俺は小桃との会話に集中することができた。偉いぞスパイナー。今度どうにか金を工面して牛の大腿骨を買ってやる。
「ワオンッ!」
俺の心を読んだのか、スパイナーが一声吠えた。
俺にはそれが『まかせろよ兄弟』といってるように聞こえた。
歩きながら俺たちが話したのは、主に学校のことだった。
傍から聞いたら他愛も無いどうでもいいような話。
クラスメイトの誰々は、銃剣術が得意で楓といい勝負するだとか、二組の誰それは校内で一、二を争う地図判読の達人だとか、三組にはたった五人しかいないとか……。
数学の教師はとうとう行き遅れてしまったけど、最近は行き遅れの方が多いから気にしていないみたいだとか、元いた世界だったら本当につまらないどうでもいい話ばかり……。
しかし、今は、小桃のなんでもないような話が、俺には貴重な情報の山だった。
「たっちゃん、怖い顔してる、ね。具合悪くなっちゃった?」
眉を微かに寄せて俺の目を覗き込む小桃。その表情からは俺を非難するよりも、心配でたまらないといった心情が読み取れる。
俺はテレパシストじゃないが、空気を読むことは結構得意だ。
保護される前、酒が切れてヒステリーを起こした母親が俺たちを殴る蹴るすることがしょっちゅうあった。
そんな母親が仕掛けたヒス地雷を踏まないように、顔色を窺う癖がついてしまったわけだ。
「す、すまん。お前の話を聞き漏らすまいとマジになりすぎた」
「もお、たっちゃんったら……。こんな話、いつだって、するんだから、ね」
ホッとしたのか、肩から力が抜けた小桃が微笑んだ。
よくよく見ると、俺の世界の幼馴染の小桃と本当にそっくりだ。いや、まあ、本人なんだからそっくりってのも変か。
いろいろ変化してしまってはいるが、やっぱりこいつは幼馴染なんだなと思う。
こんな心配のされ方って、親兄妹や親戚的な心配のされ方だ。
たとえそれが、『竜洞生徒』に向いたものであっても、現在は俺が受け取っている。
小桃だけにとどまらず、楓や鈴縫響、香取ひとみさん、竜洞家のメイドさんたち……。
どれだけヘンテコな世界だとしても、『竜洞生徒』に向けられているみんなの思いやりや優しさがうれしく、そんな中で送ることにであろう日常が、まったくもって在り難い物になることは確実だ。
俺にはつい昨日まで夢にも思えなかったことだ。
「くうん……」
スパイナーが足を止めた。そこは、小さな公園だった。
「この公園……」
ここで遊んだ覚えがある。俺と梓と小桃……。三人で遊んだ覚えがある。
向かい合わせで漕いだブランコ、滑り台は登山ごっことかいって、すべるほうから登ったりした。気持ち悪くなるくらい思いっきり回した乗っかって回転するヤツ、シーソーにジャングルジム。全部俺の記憶にあるのと同じだ。
「ここの公園、小さいころよくきた、ね。楓と梓ちゃんといっしょに」
「ああ、ここは覚えてる。みんなで遊んだ…な。ブランコで向かい合わせで立ち漕ぎして」
「うふふ、わたしと、ね、梓ちゃんは止めたのに、たっちゃんと楓が調子に乗ってすごい勢いで漕いじゃって……」
俺の記憶じゃ一緒に立ちこぎしたのはお前なんだけどな。小桃。
「なにか、飲み物買って来る、ね。たっちゃんはコーラ?」
コーラってあのスカッとさわやかな飲み物か? 気分転換と気分高揚にもってこいだというあの伝説の飲み物か?
クリスマスでも誕生日でもましてや正月でもないぞ。
普通の日に飲むと歯とか骨とか溶けるんじゃないのか?
「ああ、うん。そだな」
ブルゾンに手を当てる。左胸にはスマホを入れてきたから右胸だ。
「!」
右胸の内ポケットに四角いものの感触。ポケットを探ると財布が出てきた。
すまん『竜洞生徒』勝手に使わせてもらうぞ。必ず後で埋め合わせるから。
「いいよぉ。たっちゃん。わたしが、ごちそうしちゃう、ね」
そう言って小桃は自販機に駆けて行った。
ベンチに座り、小桃の帰りを待ち、ダッシュで帰還した小桃からペットボトルのコーラを受け取る。
ちなみに小桃は日本茶だ。
俺がいた世界では、この時間は、学校から帰ってきて遊ぶ子供たちでこの公園はいっぱいで、遊具の取り合いとか、順番争いが勃発していた。
それくらい子供がたくさんいた。しかし、今この公園には、俺と小桃、そして、体操をしている年寄りしかいない。
「本当に、子供が減ってるんだな」
「うん、人工生殖でなんとか全体的な数だけは保っているみたいだけど、ね。それでも自然生殖の子供はすごい勢いで減ってるみたいだ、ね」
俺はふと、俺が世話になっていた施設がなんか偉そうな名前になっていたことを思い出した。
「あ、そうだ、小桃、『厚生省青少年寮』って知ってる?」
小桃はふうっと溜息をついて微笑む。
「ほーんと、たっちゃんってば、いろんなこと忘れちゃってるんだ、ね。『厚生省青少年寮』ってのは、それこそ、今話してた、人工生殖で生まれてきた子達の寮だよぅ」
「そうだったのか……」
小桃から視線をはずし、俺は地面を見つめる。
俺の足元を蟻が行列を作っている。
「人間以外は、異常はないのかな」
「うん、人類とは逆に絶滅寸前種だったのが増えたりしてるって話は……ふわぁ…」
俺に応えながら、小桃は間抜けな声を出した。
そおぉっと小桃を振り返る。
「んみッ…みた…かな?」
正直に答える。
「何をだろうか? おねむになった女の子の、付随意な深呼吸なら聞こえたが……」
間髪おかずに、眉間にペットボトルが叩きつけられる。
「ば、ばか、かなッ! たっちゃんてば」
この反射速度はまさに小桃だ。
(ああ、多少見かけは変わってっても小桃は小桃だ)
俺は、元の世界の小桃もこっちの世界の小桃も根本的な部分では同じ小桃だったことに安心したのだった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。




