16 とある海軍の航空対潜水艦作戦室の日常
この世界に竜洞辰哉がやってきたその頃まで時間が遡る。
そして、舞台もまた県立防衛幼年学校から、同じ街にある海軍の航空基地に移る。
『アズウォック、こちらネプチューン68、MADに感有り。目標を捕捉。ソノブイを投下した。オクレ』
「ネプチューン68、こちらアズウォック、リンクした。別命あるまで待機。オワリ」
教室二つ分ほどの広さの映画館のような造りの薄暗い部屋に、緊迫した空気が漂っていた。
「ネプチューン68よりデータ受領。音紋解析入ります」
黒板の場所に当たる正面の壁面に据えられた巨大なモニターには北日本の地図が描かれ、いくつもの光の点が点滅している。それは、刻々と変位する北部日本の周辺海域に潜んでいる列国潜水艦の位置と、味方の潜水艦、軍艦の位置。そして、現在この航空対潜作戦室の指揮下にある対潜哨戒機の状況を表示していた。
「ネプチューン68、ならびに75のクリューのバイタル、心拍数血圧ともに上昇傾向にあるも、正常値内。行動に支障なし」
巨大モニターに向かい合わせの座席で、青を基調とした迷彩服を着用した数人の女性オペレーターが自分のターミナルのモニターに真剣なまなざしを送っている。
『ネプチューン68、待機。了! オワリ』
『ネプチューン75、ネプチューン68。いつも通りだ。ソノブイ投下したら、後は指でもしゃぶってろだと』
『75、了! いつものことだけど、上は能天気さんねぇ』
スピーカーから流れてくる交信音声は、のんびりとした口調だったが、隠しきれていない苛立ちが滲んでいる。
「ネプチューン68、75。この交信は記録されてますぅ」
通信オペレータの困ったような声に、そこここからクスクスとひそめた笑いが起こった。
「敵さん、今日は強情ね。いつもならソノブイ投下されただけで、尻尾巻き巻きするくせに」
オペレーターたちの後方にある書類が散らばった大きなターミナルデスクで、背もたれが高い椅子に座った航空対潜作戦室司令は、正面の大型モニターを睨みながら、肩まで伸ばした髪の毛をかき上げ、長い足を組みなおしてつぶやく。
「不明潜、進路1-6-5変わらず。このままでは、あと、数十分で領海に侵入します」
オペレーターの報告に眉を顰めた司令が纏っている、いささか時代がかった金モールや徽章、記章で彩られた豪奢な軍服が、青迷彩服のオペレーターたちとは明らかに立場が違うことを物語っている。
「今日のヤツに乗ってる政治委員が、真面目なんですよ。司令。先に手を出させりゃ国家英雄ですから」
司令の傍に立って、やはり正面モニターを鋭い視線で見ていた、司令同様に飾り立てはいるものこちらは現代的な黒いブレザーの軍服を着た女性士官がシニカルに応える。
「こっちは戦争なんか真っ平なのになぁ。ウチのことなんかほっといてくれればいいのにさ、こんな、しなびたサツマイモみたいな国なんか。今年に入って六十四回目よ。六十四回目! わが国領海への異常接近」
頭をかきむしり、司令が溜息をつく。
「空軍なんかほぼ毎日スクランブルですから。イライラはウチの比じゃないって、幼年学校の同期が言ってましたね」
『アズウォック、こちら、ネプチューン68。まだか? オクレ』
「ネプチューン68、こちらアズウォック。待機継続。オワリ」
『もうすぐ領海に入っちまうぞ。潜水艦が浮上せずにウチの領海に入るんだぞ! それがどういことか、上は分かってんのか? オワリ!』
スピーカーから流れる声には、あからさまな怒気が混じり始めた。
「そんなこといわれたってぇ!」
半泣きでつぶやく通信オペレーターの頭を、隣席のオペレータが撫でていた。
「うーん、かなりキちゃってるかな。こういうのって、ほんとはヤバいんだけど……」
「偶発的交戦…ですか。露助やアメ公ならおっぱじめるでしょうね。そういう風に訓練されてますし。ま、ウチのクリューは大丈夫ですけど」
「ん、わかってる。司令補殿。そこのところは信用も信頼もしてる」
微笑む二人の視線が、交差する。
「ところで、さ。彼の国の国家英雄には、勲章と終身贅沢クーポンが、漏れなく付いて来るんだったっけ?」
司令が、机に両肘をつき、手の甲にあごを乗せる。
「ですね、我が国の伯爵以上のお貴族様と同じ待遇といいます。呼称が違うだけでやってることはどこの国も似たりよったりです」
モニターを睨みながら応えるブレザー型の軍服を着た女性が皮肉な微笑を浮かべた。
「言うわねぇ、まあ、ウチは禄無しの男爵家ですけどね」
この場のトップツー二人の、声を潜めない国を揶揄する会話に、オペレーターたちが気色ばんだ視線をちらちらと送る。
「…っといけない」
「ヤバ…」
二人が肩をすくめた瞬間、半泣きの通信オペレーターが、はっとして自分のモニタに表示されたデータを読み上げた。
「敵潜解析データ出ました。北海艦隊の明級長征42号です」
瞬間、その場の空気が凍りつく。
「ネプチューン68、データを送る。不明潜は北海艦隊所属、明級長征42。繰り返す長征42」
「ちょ、ま、早蕨!」
隣の席の同僚の制止も間に合わず、早蕨と呼ばれた通信オペレーターは、判明した敵性潜水艦の所属と艦名を送信した」
スピーカーが数瞬沈黙する。
『ぷ、くははッ、アズウォック、こちらネプチューン68。ほんとうに長征42か。オクレ』
「? ネプチューン68、データを確認せよオワリ」
『ネプチューン68、了! すげえな。さすが四千年の技術力だ。ついにICBMを潜らせやがった。オワリ。……ぎゃはははははははははッ!』
スピーカーから、音割れ激しく二十二人分の大爆笑が室内に響き、また、室内にいるほぼ全員が目に涙を浮かべて笑いころげた。
「え、え、な、なんですか?」
何が起きたのか分からず、うろたえている早蕨オペレーターに、隣席の同僚がそっと耳打ちする。
「早蕨ちゃん、潜水艦は遠征だよ。長征は宇宙ロケット」
「大陸間弾道弾がベースね」
「あひッ! ひああああああああッ」
早蕨オペレーターが真っ赤になって、恥ずかしさに身悶えする様子がさらに笑いを誘い、室内はしばし爆笑の坩堝と化した。
だが、それは、突然にカットアウトする。
大型モニターに警告音と共に『発令 警備行動』の文字が表示されたのだった。
早蕨に耳打ちしたオペレーターが叫ぶ。
「発令来ました。警備行動! 詳細、司令のモニタへ」
司令が立ち上がり声を張り上げた。
「傾注! 現在時ヒトヒトフタヨン。これより状況を開始する。コード、キロ、ブラボー! かかれ!」
それまでの和気藹々としたぬるい空気が瞬時に沸騰する。
「ネプチューン68、こちらアズウォック。オクレ」
『アズウォック、こちらネプチューン68。オクレ』
「ネプチューン68、コード10-02。繰り返す! コード10-02オクレ」
『アズウォック、コード10-02了! 状況を開始する。オクレ』
「ネプチューン68、状況開始、了! 大漁を祈る。オワリ」
『アズウォック、でかいのを釣り上げてやる。オワリ』
立てた板に水が流れるように、オペレーターたちが作業をこなしてゆく。
「コントロール、こちらアズウォック、オクレ」
恥ずかしさに身を捩っていた早蕨オペレーターも、すばやく切り替え、赤面は続いていたが自分の仕事を懸命にこなしていた。
「コントロール、ネプチューン63、49出撃。よろし?」
司令はヘッドセットを装着して、大型モニターに向かって歩き始める。
「ネプチューン全機、こちらアズウォックシックス、オクレ」
『アズウォックシックス、こちらネプチューン68、オクレ』
『アズウォックシックス、ネプチューン75』
『アズウォックシックス、ネプチューン63』
『アズウォックシックス、ネプチューン49』
スピーカーの向こうで、居住いを正したような声が流れる。
潜水艦とロケットを間違えた早蕨オペレーターの肩に、司令は手を置き、出撃した全対潜哨戒機に凛とした声で告げた。
「やつらの迫撃砲には銃剣がついていないだけだ。オワリ」
『ネプチューン68、了! 警戒する。オワリ』
『ネプチューン75、了! オワリ』
『ネプチューン63、了! オワリ』
『ネプチューン49、了! オワリ』
通信を切った航空対潜作戦室司令は、インカムを掴んで、まだ赤面している早蕨オペレーターにウィンクをした。
「お手柄よ早蕨三曹。あれで、みんな、リラックスできたわ。ある程度は緊張感を持った方がいいけど、緊張しすぎや苛々は、ケアレスミスの元。……もうすぐ交代でしょ。帰りに酒保(基地売店)に寄るんだったら、私のツケで豪遊していいわよ」
早蕨三曹と呼ばれた年若い下士官は、まだ、あどけなさの方が勝る顔を真っ赤にして、司令を見つめる。
「中佐ぁ……」
背後に純白の百合を咲き乱れさせ、頬を上気させてうっとりと作戦室司令の階級をつぶやく早蕨三曹。
「あ、いいな、早蕨ぃ。わたしにミントアイス奢って」
「TKG、燻製醤油で」
「私はワッフル! 季節のフルーツ添えチョコソース四倍がけ」
他のオペレーターたちも口々に、我も我もと酒保にあるメニューの自分の好物を言い始める。
「じゃあ、あたしも。親子丼」
「わたしは小龍包」
「呉竹あんた、猫舌なのに大丈夫? あ、あたしも小龍包食べたくなっちゃった」
「えーッ! 自分にはパンプキンパイとシナモンティー!」
「あ、TKG、塩辛トッピング追加」
「ブラックチェリーのカスターデニッシュ、入ってたっけ?」
「あれ、数量限定だからもう間に合わないんじゃない?」
「いや、めったに無いこの機会、あんきもという手もアリか?」
「この際、とんこつラーメン、トッピングフルロード(全搭載)という、暴挙を試してみたいのですぅ!」
「断固として、カスタードシュークリームは譲れません!」
「ウチの酒保のシュークリームってミッチリズッシリだもんねぇ!」
「あああぁん! 幸せが歩いてくるぅ!」
ぱんッ、ぱんッ! と、いう、後方からの手を打つ音で、口角から涎をたらしていた早蕨三曹は正気に返り、涎を青迷彩の作業服の袖で拭いながら、慌ててモニターに向き直る。
他のオペレーターも同様に涎を啜りながら、一斉に向き直った。
「まだ、状況を開始したばかりよ! 気を抜かない!」
司令補が腰に手を当て、仁王立ちして怒鳴った。
「うふ。司令補の言うとおりよ。みんな、もう一息よ。がんばろう! ご褒美に私と司令補で酒保、奢っちゃうから!」
司令が拳を突き上げると、オペレーターたちの歓声が薄暗い部屋の淀んだ空気を揺さぶった。
『うおおおおおおおおお! やったるぜえええええッ!』
『酒保に黒霧島、あったよな!』
『雪中梅吟醸もあったぞ』
『ターキーの12年もあったはずよおぉッ!』
スピーカーからも音割れした雄叫びが流れる。
「ウチの酒保って、なにげに品揃え凄過ぎなんだけどぉ」
航空対潜作戦室司令の頭上に、どんよりと縦線が現れる。
「中佐、7:3ですからね。私の俸給、あんたよりかなり少ないんですから」
司令席に戻った中佐に、司令補が耳打ちをした。
「そんなぁ、私、今月、合コンあるのにぃ」
半泣きで司令補の袖にすがる、この場の最上級指揮官の姿は誰にも見えていなかった。
※※※※※
数十分後、現場海域へと追加出撃した哨戒機の到着を待たずに、潜行したまま領海へと異常接近していた潜水艦は進路を北西へと変え、領海から遠ざかり始めた。
「遠征42、さらに変進。進路3-0-2へ。ウラジオへのコースです」
豪奢な軍服の胸に手を当てて、司令がホッとため息をつく。
「はい、司令。報告書。これから群司令のとこ行くんでしょ。群司令は全部知ってるのに。それこそ三日前に、今回の敵潜がウラジオを出港したときからウォッチしてたんですから。きょうの一部始終だって、群司令執務室のターミナルでずっと見てましたよきっと」
司令補が肩越しに報告書を挟んだバインダーを、渡す。
机に付いている小型のデスクライトで照らし、さっと内容を確認して、航空対潜作戦室司令は立ちあがり微笑んだ。
後頭部で髪の毛をヘアゴムでまとめ手早く団子状に括る。
「後を頼んだわ大尉。群司令室に行って来る。変化があったら知らせて。軍隊ってものはね、手続きでできてるの。どこの軍隊だって同じよ。責任の在り処を把握しておくのが上官の務めってやつ、な、の」
司令は耳に装着した小型のインカムを、つつく。
「了!」
おどけたフリをしながら、大尉と呼ばれたブレザー型軍服の士官が応え、敬礼する。
答礼しながら、航空対潜作戦室司令は豪奢な軍服を翻して作戦室を後にした。
※※※※※
「ねぇ、大尉」
司令が退出した航空対潜作戦室は、それまでの緊張感がほどけ、手が空いたものから三々五々、休憩をとり始めた。
そんな中、一瞬にしてその場のとげとげしい空気を塗り替えた早蕨三曹が、マグカップに海軍伝統の薄いコーヒーを満たして、司令席に持っていく。それまで司令が座っていた司令席に腰を下ろした司令補に、コーヒーを手渡しながら尋ねた。
「迫撃砲に銃剣って、なんですか?」
「ああ、あれ」
司令補はコーヒーを一口含み、その不味さに眉根を寄せて答える。
「大東亜戦争終戦後、我が軍が撤退した大陸が、内戦状態になったのは知ってるわね。その時に、迫撃砲を水平射撃して、敵トーチカを攻略した共産党軍に対して、国民党軍の将校が言った言葉よ。『貴様らの迫撃砲には銃剣がついてないだけだ』って。つまり、連中は我々の常識の斜め上のことを平気でやってくるから、気をつけろってこと。幼年学校の史学の時間で習ったはずだけど、早蕨三曹、あんた、一般志願だったっけ?」
「あは、あはははは……史学は苦手で……。に、しても、迫を水平射撃ですか……。キテレツなことしますねぇ」
「早蕨ちゃんて、部活が忙しくて教練以外はほぼ全部寝てたもんねー」
どこからか、早蕨三曹の過去を暴く声が聞こえる。
「んもう! そゆこと言う子は、後で体育館裏だからね!」
地元採用地元勤務が原則の、十代から苦楽を共にしてきた下士官兵同士ならではの暴露話だ。
クスリと微笑んで司令補は、説明を続ける。
「そ、今回にしたって、明級なんて、一番艦が就役したの1977年よ。乗組員は、きっと、わが国で言うところのベビーブーマー世代の年寄りが中心だったに違いないわ」
「撃沈されても痛くも痒くも無いってことですか?」
「ご名答。むしろ、撃沈してたら我が軍に共和国勲章くれるくらい感謝されたかも」
「感謝されたくないですぅ。そんなことで」
「ええ、だから、引き返してくれて、ほんと、よかった」
緊張感から開放されたオペレーター達は、ストックしていた菓子を食べたり、ストレッチを始めたりと、思い思いに緊張をほぐしている。
「あんたたち、もうすぐ交代よね、私に、二食分くらいの糧食と酒保にあるチョコレートで一番高いの買ってきてくれないかな。お釣りあげるから。私、今日はこのまま、当直なのよ」
そんなもんでも食べなきゃ、こんな不味い物、飲めたもんじゃないんだから。と、いう言葉は、飲み込んだ。
「はぁい!」
航空対潜作戦室の女性兵士たちが、およそ軍隊のそれとはかけ離れた声色で返事をする。
それに対して、司令補殿は小言のひとつを漏らすでもなく、コーヒーを啜る。
(わたしも、司令もこういう女子高ノリは大好きなのよね。軍隊らしからずだけど……)
戦争の危機を回避した航空対潜作戦室は、徐々に日常を取り戻しつつあった。
お読みいただき誠にありがとうございます




