15 暮れなずむ街を『家』に向かって
「……ッ、乗れそうだな」
思わずつぶやいてしまう。
「んはぁ……久々のモフモフたんのうなの…です」
ひとしきり巨大犬スパイナーをモフった響さんが、満足げに微笑みながら俺に肩を寄せてくる。
「せんぱぃ。わたしと梓ちゃん、何回も二人でスパイナーに乗せてもらったの……です。それを先輩が引いてお庭でロデオごっこしたりしたの……です」
そうか、やっぱり乗れるのか。
わふんッ!
呆れるほどに巨大な犬『スパイナー』は俺を小バカにしたように頭を振って一声吠えた。
こいつには、俺が『竜洞生徒』ではないと分かっているのだろうか。
犬とか猫って、そこいらへん分かってそうじゃないか?
魂ってのには指紋みたいにそれぞれ固有の匂いがあって、獣ってのはそれを嗅ぎ分けるんじゃないだろうか。
だとしたら、この犬にはとっくにバレバレなんだろうな。
「乗って…みる? 響ちゃんの家まで」
「いいの……です? わたし、ちょっと大きくなっちゃったから乗せてもらえるかなぁ?」
「スパイナーが嫌がらなければだけど……」
俺はスパイナーの背中を押して、伏せの体勢をとらせようとする。
この犬が俺を別人認定していれば、何をしたって動きもしないはずだし、最悪噛みつかれるかも知れない。
内心「しまった、犬を散歩させるなんて言わなきゃよかった」と思いながら、白に近い灰色の毛並みの巨大な犬を見る。
犬は俺を一瞥すると、フンと鼻を鳴らし、パタパタと足をたたんで姿勢を低くした。きれいな伏せポーズだ。尻尾をはたきのように振っている。
「い、いいみたいだね。さあ、どうぞ」
俺は、響さんの手を取る。
「はい、スパイナー、また、よろしくね」
さっと跨り、響さんは首の後ろに手を添えて、スパイナーの耳と耳の間に口づける。
くぅん!
と、軽く鳴いてスパイナーは立ち上がる。
頭ひとつ半下にあった響さんの頭が、今度は逆に俺の頭ひとつ半上になる。
「わああ、これ、すごいぃ! こんなの! 久しぶりだから興奮しちゃう」
はしゃぐ響さんから門扉に目を移す。
「響様、またいらしてくださいませ。いってらっしゃいませ坊ちゃま。お早いお帰りを」
いつの間にか俺たちの傍で整列していた鳳翔さんとメイドさんたちが恭しく一礼する。
「はい、なるべく早く戻ります」
「また、おじゃましまぁす」
そうして俺達は夕暮れが迫る街並みを並んで歩き始めたのだった。
※※※※※
響さんの家に着くまでに俺達は、また、梓のことを話していた。
梓が死んだとき、響もまたその場にいたのだという。
「梓ちゃん最後の瞬間まで、幸せそうに笑ってました。小桃お姉さんや楓お姉さんも梓ちゃんの笑顔につられて笑ってたの…です。先輩も……」
そう言う響の横顔は、夕日に照らされて真っ赤だった。
その真っ赤な頬に光る一筋の流れを俺は目にしたが、伊香鎚さんが気を利かせてポケットに入れていてくれていたハンカチを差し出す気にはなれなかった。
「今日は本当にありがとう。なんか、すごく元気が出た」
「うふふ、わたしこそ…たのしかったの……です。また、行っていいですか?」
「もちろん、いつでも。遊びに来てくれるとうれしい。また、梓の話をたくさんしよう」
「はい、でも、それだけじゃなくて、せんぱいのことやわたしのこと…も、もっとお話ししたいの……なんて、です」
その頬が赤く染まっているのは、夕日に照らされているからなのか、それだけじゃないのか、それは、分からない。
が、響さんが、親友の兄として以上に『竜洞生徒』に懐いてくれているのはなんとなくわかる。人の顔色をうかがうのは俺の特技のひとつだからな。
「響、お姉さんはいましたけど小さいときに養子に行っちゃったので、ほとんど一人っ子みたいなものでして、先輩みたいなお兄さんが常々欲しかったの……です」
ああ、いっそのこと、この子のこと妹みたいに思ったらダメかな? 『竜洞生徒』の妹の梓は、それを許してくれるだろうか?
「ねえ、せぇんぱい」
「ん?」
「梓ちゃんとわたし、競争してたんですよ」
「え?」
ごおおおおおおおお!
「どっちが先に……さんと……かって」
頭の上を自衛隊? の飛行機が通り過ぎて、響さんの声をかき消した。
「今なんて?」
「ううん、なんでも……です」
愛らしくウィンクする響さんのしぐさに、不覚にも思わず心拍数が上昇してしまう。
「あ、あぁ、そうだ、ずっと気になってたんだけど、さっき、響ちゃん、俺と学年同じだって言ってたけど……」
『竜洞生徒』家の応接室では梓のことを聞くのに夢中になっていて、つい聞き流していたのだが、響さんは確かに俺と同じ学年だと言っていた。
つまり、幼年学校には中等部なんてなかったということだ。
「あ、はい、そうなの…です。同じ学年で隣のクラス、2組なの…です」
ん? どういうことだ? 12歳の女の子が同じ学年?
「隣のクラス?」
「はい、わたしと梓ちゃん、頑張ったの…です、おにい……せんぱいと一緒に同じ学校に通いたくて飛び級試験と幼年学校の受験勉強」
なんとこっちの世界には飛び級制度があったのか。
「じゃあ、中学校をすっとばしたってこと?」
「いえ、中学は2年間通いました。飛ばしたのは小2と小4と中2です」
「ふへぇ~、すごいなぁ、じゃあ10歳で中学に入ったってこと?」
「はいッ! なの…です。えへへッ!」
照れたように微笑んだ彼女の口の端からいちご色の舌が覗く。
「んんッ? って、ことは……」
「はいッ! 努力のかいあって、わたしと梓ちゃんはぁ、11歳のとき中3になって、お兄ちゃんと同じ学年に追いついたの…です。これもひとえにおに…せんぱいと同級生になって学園生活をしたかったからなの…です!」
巨大犬スパイナーの上で響さんはフンスと鼻息荒く胸を張った。
その姿に梓のシルエットがダブって見える。
(ああ、梓もよくこんな風にフンスしてたっけ)
「梓……」
フンスする響さんが心の汗で滲んで見える。
「せんぱい?」
「ん、ああ……いや、なんでもないんだ。ただ、梓の制服姿を見たかったなって思ったら……ね」
「うん、響も梓ちゃんとおそろいの制服を着たかったの…です」
元の世界でも俺は、梓の中学の制服姿を直に見ることはできなかった。
養子先で入学した中学の制服を着て撮った写真が俺のスマホに届いたのはつい2週間前のことだった。
「あ、あ、ああッ! ごめ……でもさ、飛び級って、勉強ができるから飛び級できたんだろうけど、体育とか大変じゃなかった?」
「あ……、は、はい! 体育は、普通に同学年の体育の授業を受けてたら、それはそれは大変なの…です。でも、そこのところは飛び級者にはかなり配慮があって、飛び級者だけを集めて年齢相応の体育授業を受けられるのです。でも、罰直は平等なので、それはたいへんなの…です」
「ああ、罰直ねぇ、おれ、今朝ホームルームの時間中ずっと前支えってのやらされたよ」
「ええっ! それはある意味、たいへんなできごとなの……です。おにい……せんぱいは入学以来、連帯責任以外で一度も罰直を課されたことがなかったの…です。あの長門教官から2ヶ月もの間、一回も罰直を課されたことが無かった人なんて、長門教官が赴任して以来いなかったの…です」
っとぉ、またもや新情報だ。どんだけ完璧超人だったんだよ『竜洞生徒』。
※※※※※
俺にとって、有益な情報源となった鈴縫響さんとおしゃべりをしながら歩くこと十数分、俺達は響さんの家に到着した。
「また、こんど……、ああ、次は学校で会えるか、隣のクラスだもんな」
「はいなの…です。またあしたなの…です」
「いや、明日は、病院に行って、その後は休養するように、長門教官に言われてるから……」
「じゃあ、あさってなの…です」
「ああ、では、お姫様到着でございますだ。お手を……」
「きゃははっ、お兄ちゃんったら……今日は、昨日までのお兄ちゃんだったら絶対言わないことのオンパレードなの…です」
俺は、スパイナーを伏せさせ、響さんの手を取り、スパイナーの背から響さんを下ろしながら「しまった」と舌を出した。
てっきり王子様キャラだと思ったんだがな『竜洞生徒』は。
※※※※※
響さんの家は、元の世界の尺度では普通の戸建で、『竜洞生徒』のお屋敷に比べればものすごく慎ましやかな家だったが、俺の感覚からしたら、十分に広くて幸せそうな匂いがする家だった。
「響ぃッ! アナタって子はぁッ! お見舞いに行った方に送っていただくなんて……。なんのためにお見舞いに行ったのぉッ? ぁあ、もう…、辰哉坊っちゃん本当に申し訳ございません」
スパイナーから降りた響さんを玄関先に迎えてたしなめる母親の暖かさが、妙にくすぐったくてうらやましかった。
と、同時に、妹の親友とはいえ、同級生の母親にお坊ちゃんなんて呼称で呼ばれる『竜洞生徒』に少なからず怒りを覚えもした。
あのお屋敷の中でお坊ちゃん扱いされるのは、まあ、十万歩譲ってやってもいい。だが、妹の友達の母親にまでお坊ちゃん扱いされるのは不本意極まりない。
特権階級意識強すぎだろ! どこの大貴族様だよ!
「いえ、俺の方こそこんな時間まで響さんをお引き止めして申し訳ありませんでした。響さんのお母様、今日は響さんに見舞っていただけて本当にありがたかったです。どうか、響さんを責めないで下さい」
とりなす俺に、響の母親は一瞬目を見開いてひどく驚いたような表情を作った。
が、すぐに相好を崩し明るいあたたかそうな笑顔で頭を下げた。
「じゃあ、また、あさって」
「はいなの! おにいちゃん」
響が、家の中に入ったのを確かめて、俺は犬の引き綱を引いて来た道を引き返さずに歩き始めた。
「おにいちゃん……ねえ」
くぅん……。
小さく鳴いてスパイナー俺の背中を鼻先でつついた。どうやら、巨大犬は『竜洞生徒』を慰めてくれているようだった。
宵闇が支配し始めた街並みに『ふるさと』が流れる。
「これは一緒なんだな……」
ガキどもに帰宅を促す目的で防災行政無線ってやつから放送されてる午後5時を知らせる(所によっては5時半だったり6時だったりするって話だ)時報のチャイム的音楽は、俺の元の世界のそれと同じ音色だった。
「行こうか、スパイナー」
わうん。
一声吠えたスパイナーを連れて、俺は暮れなずむ街を歩き始める。
俺が小3から8年暮らしてきた『家』に向かって。
読んでいただいて誠にありがとうございます




