14 でかい犬その名はスパイナー
遅くなりました。
「ちょっと待っててくれるかな。私服に着替えてくる」
俺は応接室を出る。当たり前のように俺の後ろには『竜洞生徒』のお付きだというメイドさん……伊香鎚さんと印南さんがついてきた。
「あのぅ……」
伊香鎚さんに、自分の部屋の場所を尋ねようとする。
「お坊ちゃま、こちらへ、ご案内申し上げます」
と、伊香鎚さんが俺の前に立ち、歩き始めた。
すげえな、メイドさん。「あの」だけで俺が何を求めているのか推し量ってくれたぞ。
「お坊ちゃま、こちらへ」
廊下を5秒ほど歩いたところで伊香鎚さんが扉を開ける。
「え? 俺の部屋……結構近いんですね」
「……ッああ、はい、こちら、クロークでございます。鈴蘭の間にお通ししたお客様の外套やバッグ等をお預かりするお部屋でございます」
一瞬声をつまらせた伊香鎚さんだったが、気を取り直したように俺に、その部屋のことを教えてくれた。
なるほど、さすがは金持ちだ。客の手荷物を預かって保管する専用の部屋があるとはな。
だが、俺が今用があるのは『竜洞生徒』の自室だ。着替えをしたいんだ。
「いや、あの、俺、着替えたいんで……」
手荷物預かり所に用はない。
「はい、ですから、こちらで、お召し替えを。僭越ながら、お召し物はご用意させていただきましたので……」
(お召し替えって……ああ、着替えのこと……ええッ!)
俺が、犬の散歩がてら鈴縫響さんを送って行くと言ってから2分も経ってないぞ?
たった、2分足らずで『竜洞生徒』の部屋まで行って、着替えを持って来たってか?
この家のメイドさん優秀過ぎだろ!
(おお……すげえ本当に手荷物預かり所だ)
俺が通されたのは、やたらとでかい鏡……姿見っていったっけ、と、棚、ハンガーを掛ける鉄パイプのヤツが据えられたガランとした部屋だった。
部屋の中には二人のメイドさんが控えていた。
ハンガーを掛ける鉄パイプのやつには男物の洋服が掛かっている。
「お坊ちゃま、お召し物はこちらをご用意させていただきました」
控えていたメイドさんが洋服が掛かった鉄パイプのやつをこちらに向ける。
「え? あ、ああ、はい、ありがとうございます……」
『竜洞生徒』の部屋がどこにあるのかは知らないが、絶対に二階よりは上の階にあるはずだ。たった2分で階段を駆け上がり、タンスから私服を取って階段を駆け下りてこの部屋までこの服持って来たわけだよな。
俺が鈴縫響さんがいる鈴蘭の間から『竜洞生徒』の部屋まで行って着替えてまた来てじゃ、最低10分はかかっていたろう。
鈴縫響さんを待たせることにならなくてよかった。よかったが……。
ん? このメイドさん全然息が乱れてないぞ。
「あ、あなたが服を取ってきてくれたんですか? ありがとうございます」
洋服をこちらに見せているメイドさんにお礼を言う。持ってきてくれたのが別の人かもしれないから、確認も兼ねてだ。
すると、メイドさんはボッと頬を染めて小さな声で「任務ですから」と答えたのだった。
(どんな脚力、呼吸器循環器してんだよ! このメイドさん!)
っと、さっさと着替えてしまおう。と、服を脱ぎかけてはたと気がつく。
俺の周りには4人ものメイドさんが控えていたのだった。無論4人共うら若い女の人だ。
「あ、あの」
恐る恐る伊香鎚さんたちメイドさんに声をかける。
着替え終わるまでこの部屋から退出していてほしかったからだ。俺は露出癖を持ち合わせていないからな。
「かしこまりましたお坊ちゃま」
ホッと安堵の溜息をついた俺だったが、次の瞬間、それはとんでもない勘違いだと思い知ったのだった。
伊香鎚さんが姿勢を正し、背筋を伸ばした、いわゆる気をつけだ。
次の瞬間、両手を後ろに回し組み足を肩幅に開いく。
同時に、印南さんを始めとする他のメイドさんたちが、ザッ! と、音を立てて姿勢を正した。
「え?」
それは、今日、朝から本当に何度も見た動作だった。俺の記憶の中のメイドさんからは一番遠いところにある動作だった。
「お坊ちゃまのお召し替え、二分。かかりなさい!」
大きな声ではない、が、それは凛とした響きでクロークルームの空気を揺らした。
「「「了ッ!」」」
伊香鎚さんの号令とともにメイドさんたちが一斉に俺に襲いかかって来た。
「え、え、え、えええええッ!」
あっという間に俺はスッポンポンにひん剥かれ、ジーンズにTシャツ、スプリングセーターにブルゾンという私服を着せられていた。
「上着ヨシ! ボトムヨシ! 靴ヨシ!」
「全部ヨシ!」
ついさっき、学校で聞いたような掛け声をかけながら、メイドさんたちが俺の着替えを終わらせた。袖が捩れていたり、どこか捲くれていたりという、些細なもどかしさもない完全な着替えだ。
「一分四十二秒! ヨシ! 坊ちゃま、どこか不具合はございますか?」
伊香鎚さんが尋ねてくる。
「ううん、全くありません。どうもありがとう。でも……」
「!」
「!」
「!」
俺の一言に全員が涙目になる。
「「「「ぼっぢゃばぁ、なにがぁ、おぎでぃべじばぜんでじたでじょうがぁ」」」」
「いや、いやそうじゃなくて」
メイドさんたちは涙を拭いながら、俺の言葉を固唾を呑んで待つ。
「できれば、次からは自分で着替えたいかな。なんて……ね」
あからさまに安堵の息をついたメイドさんたちにお礼を言って、クロークルームを後にする。
「「「「いいえ、お坊ちゃま、今後とも我らがお坊ちゃまのお召し替えを担当いたしますッ!」」」」
という声を聞きながら。
伊香鎚さんが先導し、印南さんが後ろに付き従うといった隊列で、鈴蘭の間に引き返すのではなく、玄関ホールへと向かう。
「あ、おにぃ……せんぱい!」
そこにはすでに帰り支度を済ませていた鈴縫響が、お土産の菓子箱を持って立っていた。その傍らには数人のメイドさんと一緒に鳳翔さんが立っている。
「ごめんね、すずぬ……響ちゃんお待たせしました」
「ううん、……ッ、い、いいえ、ちっともなの……です」
「では、ほうしょ……絢さんいってきます。伊香鎚さん伊波さんありがとうございました」
俺は鈴縫響さんを促し、玄関ドアに向かう。もちろん自分で扉を開けるつもりだ。
「いってらっしゃいませ、お坊ちゃま!」
「お嬢様、またおいでくださいませ」
が、俺の意思とは、別に、玄関ドアをメイドさんが開けてくれる。
「ッうわ!」
そこには、ここにきた時のようなメイドさんたちの列。
「きょうはご馳走様でした。お土産までいただいて申し訳ありません」
響さんが品よく辞去の挨拶をする。
「いえいえ、響様、またいらしてくださいませ。お坊ちゃまのお話し相手をぜひまた。今日は坊ちゃまを元気づけてくださりまして、本当にありがとうございました」
鳳翔さんは、響さんの来訪への感謝を満面に表していた。
見回して気がつく、メイドさんたちもみんな、にこにこと晴れやかに笑っているのだった。
たわいない話をしながら、門へと続くなだらかな下り傾斜を歩く。
すでに開いている門の傍らに、メイドさんとお行儀よくおすわりをしている犬がいた。
「ん?」
俺は思わずそれを二度見した。目を何度も瞬く。そして、近眼の人間が遠くを見るときのように目をぎゅっと細めた。
俺の目に映る犬の縮尺がどうにもこうにも俺の犬という生物に対する常識を逸脱していたからだった。
(あれ……犬か?)
その犬(見た目は……な)の頭が、それに並んで引き綱を携えているメイドさんの頭のすぐ横にあったからだった。
「わぁッ、スパイナーッ! ひさしぶりなの! きゃふうモフモフう……」
響さんが巨大な犬にモフり付き、うっとりとする。
(なるほど、これがさっき小桃たちが言ってたスパイナーか)
「いってらっしゃいませお坊ちゃま」
「あ、ありがとうございます」
メイドさんから引き綱を渡された俺は、のそりと立ち上がったその犬の巨大さにあらためて絶句したのだった。
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