13 こっちの世界にはラジオ体操第二がなかった
「せんぱい?」
ティーカップと皿を持ったまま、すずぬいひびきさんは、いささか太めの眉を顰める。
大きな眼鏡の中の瞳が困惑に染まっている。
「ああ、いや、その……」
すずぬいひびきさんの困惑に負けず劣らず俺も困惑していた。
こちらの世界の俺『竜洞生徒』の妹、梓の親友だという、鈴縫響さんが俺を呼ぶ先輩という呼称に、俺は少なからぬ違和感を抱いたからだ。
まあ、梓と親友だったってことは、学区が同じなんだろうから、同じ市立小学校に通っていたってことだろう。そういうことでいうなら、たしかに俺は彼女にとって先輩にあたるわけだからそう呼ばれてもいいかもしれない。
だが……。
(運動部やヤンキーじゃあるまいし……)
そういった特殊環境にいる連中なら例え10歳以上で、それまで全く面識無かったとしても、いざ、対面したら「先輩ッちぃーっす!」なんだろう。
が、俺にとって、先輩ってのはせいぜいが2歳差くらいの間柄で使われる呼称だ。同時期に同じ校舎で生徒生活している、もしくはしていた間柄の人間同士で使われる言葉だ。
それに、小学生で先輩後輩なんて概念、部活やスポーツクラブとかヤンキーとかそういった特殊環境に身を置かなきゃ生えてこないだろうってのが俺の偏見だ。
(この子、梓と同い年なら、ついこないだまで小学生だったんだよなぁ)
俺と梓は3歳違いで、俺の高校進学と同時に中学に上がったはずだ。
こっちの梓と俺が元の世界と同じ年齢差なら、梓は無論のこと、この子とも一緒の校舎で過ごしたことはないはずだ。
だから、俺の手前勝手な定義では、この子に先輩なんて呼ばれる謂れはないのだ。
「先輩ッ! ああ、よかったぁ。元気そう……です。……ッていっけないッ!」
鈴縫響さんは俺の入室に気がつき、手にしていたティーカップを置くと、バネ仕掛けで樽から飛び出す海賊人形のような動作で立ち上がり、15度ほど腰を折ってお辞儀をした。
(この動作、今朝から何回も見たなぁ……って、あれ? 同じ制服?)
よくよく見ると、すずぬいひびきさんが着ている制服は、小桃や楓と同じ県立防衛幼年学校の制服だ。
「お怪我したって聞いて、医務室に行ったんだけど、もう、帰ったって聞いて……あわててわたしも早退して、おかげんうかがいに来ちゃいました……、てへッ」
どうやらこの娘、俺をダシにして、早退して来たクチか?
「えへへ、ウチのクラスの担任教官、長門教官より甘いとこあるので、けっこう簡単に早退できちゃいました」
県立防衛幼年学校には中等部もあるのか。梓と同じ年齢で俺のことを先輩と呼ぶのならそうだろう?
大きな鳶色の瞳に、大きなメガネが印象的でショートボブっていったっけ? 俺的にはおかっぱ頭と言ったほうがわかりやすい。まだ、女性的な発達が全く目立たない細身の体躯には幼年学校の制服はお世辞にも似合ってるとは言えない。
(まあ、梓も中学に入った頃は制服に着られてるって感じだったもんな……)
お下がりの中学の制服を着た梓と校門で写した写真を思い出す。
「よかったぁ……せんぱいが頭打ったって聞いたから、ひび……わたし、心配で心配で……梓ちゃんと約束したから……よかったぁ……ぐすッ」
「……ッい、いや、そのッ! すずぬいさん? な、泣かないで。お、俺なら、大丈夫だから。ほら、ね、見て! 俺、元気、ほら!」
すずぬいさんの頬を伝う涙に俺は狼狽えた俺は、ラジオ体操第二の2番目の運動を披露する。ラジオ体操随一のコミカルさを誇るアレの運動だ。
(ついこないだまでランドセル背負ってたようなこんな女児にまで、こんだけ心配されるなんてどんだけモテモテくんなんだよ『竜洞生徒』……小桃や楓ののみならず……悔しいぞ。しかも、学校サボらせてまで見舞いにこさせるなんてなんてやつだ、このスケコマシめ)
心のなかで『竜洞生徒』に妬みの罵詈を吐きながら、俺は何度もラジオ体操第二の腕と脚を曲げ伸ばす運動を繰り返す。年長以上中学年まではこれで確実にウケを取れるからな。
だが、実はラジオ体操第二はここまでしか憶えていないのは内緒だ。
「……ッは、くふふッ、あははッ! おにい……せんぱいったらぁ……変なの! なんですか? そのふしぎなおどり」
ケラケラと笑い出したすずぬいさんに俺は安堵する。
「ん? ラジオ体操第二の二番目の運動なんだが?」
「えーッ! すごい! ラジオ体操……大日本国民体操のぞくへんをこうあんしたんですか! すごい、さすがはおに……せんぱいなの……です」
「ああ……うん、まあ、そう……なるかな?」
(おいおい、ラジオ体操第二無いのかよこっちじゃ。元の世界じゃたしか第三まであったよなあ)
重要情報ゲットだ。どうやらこの世界じゃラジオ体操ってのは大日本国民体操の別称らしい。
「あははははぁ、お兄ちゃん、響、もう大丈夫なの。響もう泣いてないの」
「おおう、そりゃよかった」
小学校中学年並の笑いのツボを備えていたすずぬいひびきさんに感謝だな、普通のガキはそれより年上になると、ヒネ始めて笑いのツボがひしゃげてウケを取りにくくなるんだ。
「……ッふはッ、はぁッ!」
息が上がり、早鐘を打ち始めた鼓動に、俺は腕と脚を曲げ伸ばす運動をずっとやり続けていたことに気がついた。
「っとぉ、はい、終わり」
「ありがとうございます、おに……せんぱい。これじゃどっちがお見舞いされてるのかわからないの……です」
(……ッ! あれ? この笑顔……)
涙を拭いニッコリと微笑むすずぬいひびきさんに、なぜだか懐かしさを感じてしまう。
(ああ、梓とよく遊んでいたあの子……)
ひょっとしたら元の世界のあの子が、こっちの世界ではこの子だったのかもしれない。
※※※※※
応接室の扉がノックされ、紅茶が入っているであろうでかい急須みたいなやつを筆頭に、紅茶を入れるカップや、ケーキが鈴なりにのっかっている三段のやつとか、これでもかってくらい、お菓子がズラリと並べられた。
俺の注文どおり、俺の飲み物はコーヒーだったが、ファミレスやコーヒーショップのコーヒーなんかよりもずっと高そうな匂いがした。
「お嬢様にはフォートナム・メイソンのアフタヌーンブレンドのお代わりを。坊ちゃまにはキリマンジャロのよい豆がございましたのでそれをお持ちいたしました」
メイドさんが一礼して、後ろに下がり、いつでも一歩で俺達の世話を焼ける距離に控えた。
な、何だキリマンジャロって? アフリカ大陸の最高峰だよな。山頂にヒョウの氷漬けがあるって伝説の。
「先輩、お茶、いただきます」
「ああ、うん、どうぞ」
『俺』のものじゃないからどうかと思ったが、メイドさんが伏し目がちに俺に微笑みかけたので、俺が、どうぞと言ってよかったのだと安心する。
すずぬいひびきさんが、自分の前のティーカップに注がれた紅茶に桜色の唇をつけ、ほうっとため息をついた。紅茶の香りにうっとりとしているようだ。
俺達の目の前のテーブルの上に広がっている光景は、ガキの頃テレビで見たティーパーティーってやつにそっくりだった。
(これ、たまに夢で見たよな)
元の世界の毒親じゃない、優しい両親が笑顔で俺と梓を見守ってくれていて。
天井が高くて、シャンデリアがあって……。
梓と一緒にずらりと並んだお菓子をいっぱい食べて楽しく遊んだ夢。
でも目が覚めると親はもちろん梓もいなくて(兄妹とはいえ男子と女子じゃ寝室は別だからな)、目の前には手を伸ばせば届きそうなところに二段ベッドの上の段の底板があって……。で、ただただ、腹が減っててえらくがっかりしたもんだった。
「あはははぁ、竜洞家のパティシエさんが作ったマカロンはおいしいなあ……です。響はこれが大好きなの…です」
そうか、こんな憧れの世界、夢の世界で、こっちの梓は、こんなにかわいい親友とおやつをしていたのか。
……っと、おやつじゃなくて、ティータイムってヤツだな。金持ち風に言えば。
「その、もう聞いてると思うけど、俺、頭を打っちゃってね」
「うん…、あ、はい、聞いて……ます」
「ちょっと記憶がしっちゃかめっちゃかなんだ。だから、よかったら、その、梓のこと聞かせてくれないかな? すずぬい…さんが知ってること」
「鈴縫さんだなんて……。ホントに覚えてないんだ響のこと……。そっかぁ……響、ちょっと悲しいです」
太目の眉を顰め、鈴縫響さんは大きな目に再び涙をためて、悲しそうにつぶやいた。
「ごめんね、鈴縫さん、ま、またやろうかラジオ体操第二……」
「あははッ、響でいい……ですよ。せんぱい。前からそう呼んでもらってたもの。そう……ですね、何からお話ししましょうか? 梓ちゃんのこと」
目尻を拭って明るく鈴縫響が言う。そうだ、この子にたくさん教えてもらおう。『竜洞生徒の梓』のことを。
「うん、じゃあ、お願いします。まずは、すずぬ……ひびきちゃんの自己紹介からかな? どういう字を書くのかとか」
「はいッ、じゃあぁ、響のことからお話しますね。わたしの名前はリンリン鳴る鈴にお裁縫の縫で鈴縫、それから音が響く響きで鈴縫響です。十二歳です。今年、幼年学校に入学しました。学年はせんぱいとおんなじなんですよ。ええっとぉ、わたしと梓ちゃんはぁ、小一の頃からずっとおんなじクラスでぇ……」
鈴縫響が語ったこっちの梓は、『俺の梓』と本当に良く似ていた。
小柄で儚げな容姿、少し引っ込み思案だけれども、おしゃまで頑固なところ。笑うとこぼれそうになる大きな前歯とか、両目の目尻の泣き黒子を気にしていたことも。
こっちの世界の梓の親友が語る『竜洞生徒の妹の梓』は、こちらの世界の楓や小桃のようにトランスフォームはしていなかった。
むしろ、鈴縫ひびきの唇が紡ぐ『竜洞生徒』の妹の梓の思い出は、俺の世界の『俺の妹、梓』との思い出を聞いているようだった。
「それから、三人で遊園地に行ったとき……」
ああ、『俺の梓』を遊園地に連れて行ってやったことはなかったなぁ。元の世界の方では養子先の養親に連れて行ってもらっているといいなぁ。
※※※※※
ふと気がつくと、鈴縫響と梓のことを話しているうちに、いつの間にか外は茜に染まっていた。
「坊ちゃま、響様はそろそろ……」
メイドさんに言われ、名残惜しくはあったが、鈴縫響さんをお宅へ送り届けなければならない時間となっていた。
「ああ、響……ちゃん。すまなかった、ずいぶん引き止めちゃったね、送って行くよ」
「ううん、わたしも楽しかったし、梓ちゃんが亡くなってから、せんぱいとこうしてお話できなかったから、今日はありがとうございました」
「いや。お見舞いに来てくれて本当にありがとう。楽しかった」
「坊ちゃま、響様をお送りでしたら、私が……」
さっき、鳳翔さんに伊香鎚と呼ばれていたメイドさんが俺に言いかける。
「うん、ああ、っと……ス、スパイナーの散歩もしたいし、俺が響ちゃんを送っていくよ」
犬の散歩は口実だ。本当は、俺の世界とこっちの世界の違いをちょっとだけ確認したくなったんだ。
例えば、俺が育った養護施設とか……。それに、なんかこの家にはいづらい。 ここは『竜洞生徒』の家であって、俺の家じゃないわけで、『俺の家』感がないからだ。
確かに、ここは俺が施設に収容される前に住んでいた酒とカビと小便の匂いが充満していたボロアパートの住所ではあるけどな。
とはいえ、俺にはここで『竜洞生徒』として暮らすしか選択肢は無いわけなんだが……。今のところは……な。
お読みいただき誠にありがとうございます。




