11 お屋敷とメイドさんと塚系執事さん
「では、私もこれで失礼する。竜洞生徒、明日は、脳外科を受診してから登校だったな。今日はゆっくり休むといい」
「は、はい! 今日は送っていただいてありが……」
「教官殿!」
教官への御礼の言葉と敬礼(こっちの世界ではお辞儀だってことはすっかり覚えた)に覆い被って○塚歌劇団○組男役トップみたいな美声が轟く。
『ほうしょうあや』さんって言ってたっけ? 執事装の麗人が、靴音高く一歩前に進み出た。
まるで自衛隊さんや警察官や消防士さんみたいなキビキビした動作で姿勢を正し、長門教官に一礼(たぶんこれ、お辞儀じゃなくて敬礼だ)すると、両手を後ろ手に組んで教官に正対した。これって、いわゆる『休め』ってやつだよな。
「何か? 鳳翔家令殿」
長門教官もまた、ほうしょうさんに答えるように姿勢を正してから、後ろに手を組んで休めの姿勢で向かい合う。
長門教官は軍人さんだから挙動にやたらと勢いがあったり姿勢がいいのは当然として、ほうしょうさんも長門教官に負けず劣らずに動作に勢いがあってやたらと姿勢がいい。
まるでハリウッド映画に出てくる軍人みたいだ。ホントに。
(……っ! ひぃッ!)
俺は心のなかで悲鳴を上げた。
ほうしょうさんが、長門教官に正対した途端、あたりの空気が凍りついたように張り詰めたからだった。
俺は、小学校に上る前からどういうわけだかこの手の剣呑な空気を敏感に感じることができて、そのおかげで梓ともども、あの毒親共の手から命を拾い上げることができたんだが、まあそれは、今思い出すことじゃない。
視線だけで周囲を観察する。うっかり首を動かしたら、明日、教官殿にどんな体罰を言い渡されるか分かったもんじゃないからな。
(うえッ……この人達本当にメイドさんかよ……)
俺を支えるようにして両脇に立っているメイドさんたち以外の、玄関扉から車寄せに向かって整列しているメイドさんたちが恐ろしくいい姿勢で気をつけをしていたんだ。
そして、メイドさんたちからは殺気と言ってもいいくらいの緊張感が漂い出していた。
おかしい、俺の記憶にあるメイドさんと全ッ然違う。
(って、あ、これ、あれか! 『戦闘メイド』ってやつか?)
太刀浦や待雪が貸してくれたラノベや漫画によくあったメイド隊なる主人の護衛も兼務する対人戦闘に特化したメイドさんたちの華やかな姿の挿絵が頭をよぎる。
俺の記憶じゃ、メイドさんの立ちポーズってのは両手を体の前で重ねて背筋を伸ばしているもんだと思っていたけれど、ここのメイドさんたちの立ちポーズはまるで背筋が伸びているのはおんなじだが、まるで軍人のそれだ。俺が戦闘メイドを連想してしまうのも無理はないと思うんだが……。
まあ、メイドさんの仕草の設定自体が元の世界と、こちらの世界で違っている可能性もあるわけだからこの軍人みたいなのがスタンダードなメイドさんの立ちポーズなのかもしれない。
でも、この場に漂う殺気のような緊張感は、普通のメイドさんから放たれることはないはずだ……よなぁ。
(ヒグマの檻に放り込まれたってこんなに怖くねえぞ……たぶん)
ヒグマを鉄格子越しにだったが、僅か20センチの距離で見たときの恐怖を思い出す。
俺なんか丸飲みできそうなでかい口がついた巨大な頭、グワォッ! と、いう咆哮とともに開いた口の中に並んだ鋭い牙。今思い出しても震えが止まらなくなる。立派なトラウマだ。
あのとき、俺も梓も修学年齢前だったこともあって、足元にでかい水たまりをこさえちまったっけ。
それを見たあの女の哄笑も忘れられない『思い出』だ。
だから、この鉄火場に漂うような殺伐とした緊張感にさらされてる今、それでも股間を俺由来の生暖かい水で濡らさなかったことを俺は生涯自慢したい。
「教官殿、坊ちゃまにおかれましては明日は大事をとって、学校をお休みいただこうかと思っております。当家の大事な家督様でございますゆえ。よろしいですね?」
「む、診療の結果にもよりますが、異常がなければ、登校するべきだと思いますが? 家令殿」
「いえいえ、部下から上がってきました報告では、坊ちゃまは転倒の際、後頭部を強打したとのことですから、大事の上にも大事を取らなければと考えます。したがいまして、専門医の診療をうけたのちは、異常が見られなくとも、十分な休養が必要と考えます」
二人のやり取りを見ているうちに、俺はほうしょうさんに奇妙なデジャブを感じていた。
ほうしょうさんと長門教官がダブって見え始めたのだった。
もちろん、ほうしょうさんの場合、慇懃で一見すると人当たりがすごくよさそうなだけに、余計に空恐ろしいけどな。
「……ッ! う、うむ、了解した。それもいいだろう」
長門教官は一度気をつけに戻って、緊張を解いた。ほうしょうさんもまた同じ動作で緊張を解く。
すると、辺りに漂っていた殺気にも似た空気がフッと緩んだのだった。
長門教官が、ほうしょうさんの横を通り、俺に歩み寄ってくる。
「では、な。竜洞生徒」
そう言って、肩に手を置き俺の目をじっと見つめる。
俺の目を覗き込んだ教官殿の瞳は、心の奥底まで見透かしそうな深い色だった。
「ん、目の光不備、だ、な。休養の必要を認める。明日は登校せず休養しろ」
そう、俺に告げた直後、教官は回れ右のお手本を披露して、装甲車みたいな車の運転席に収まる。
エンジンが始動して車が動き出すかと思ったそのとき、助手席側の窓が降りて、長門教官が俺に微笑みかけてきた。
その笑顔は塚系のヲタなら卒倒ものに違いなかったろうと思う。が、別の意味で卒倒しそうになる。長門教官殿が向ける爽やかな微笑みを受けた俺の背中では、嫌な汗が滝のように流れていたのだった。
そう、俺のゴキブリ並みの危険感知センサーが警報を発していたのだ。
あの微笑みはマジでやばいって、な。
「竜洞生徒、明日は、休養するとして、明後日から貴様には補習を命じる。マルナナマルマルに登校して教官室に出頭しろ。略帽着用だ。いいな! 基本教練から防衛基礎学をおさらいだ。五分前行動を忘れるな!」
「は、はい!」
俺の返事に満足げなほほ笑みを浮かべて長門教官は来たときと同じ要領で発車前の点検を始める。
そして、教官の装甲車みたいな車は、来たときと同じように滑るように走り出し、敷地から出て行った。
「なんと失礼な! 坊ちゃんに補習だと? しかも、基本教練からとは、何たる侮辱!」
長門教官の車を見送りほうしょうさんが憤慨した。
俺的には願ったりかなったりなんだがな、あの学校独自の教育を始めっからやり直してくれるのは……。『竜洞生徒』に慣れるには、それが一番だろう?
『竜洞生徒』を知っている人には、できてて当たり前のことだろうから、今更何を失礼なってことになるだろう。が、『竜洞生徒』が防衛幼年学校で息をするようにやれていたことでも、『俺』にはアイガー北壁を登るよりも難しい事だらけだ。
こっちの世界の常識や、あの学校の常識が皆無だからな。
だから、長門教官の補習命令は逆に助かる……はずなんだが。
はずなんだが、どうにもこうにも嫌な予感しかしない。
それこそ、生命の危機級の危険を俺の危険感知センサーが予知している。
「はあ……っ」
「坊っちゃん、どうかされましたか? おかげんが……?」
ほうしょうさんが少しかがんで俺の目に視線を合わせ、心配そうに眉を寄せる。
頭の中が爆発したように沸騰して、長門教官の微笑に感じた恐怖が一気に吹っ飛んだ。
「あ、あ、いえ、なんでも無いです。その、お気遣いありがとうございます……」
「ぼっちゃん?」
ほうしょうさんが怪訝な表情で俺の瞳を覗き込む。
「「「「「「「「「お坊ちゃまぁ……っ!」」」」」」」」」
周りのメイドさんたちも一挙に俺に心配そうな表情を俺に向けてくる。
こんなにたくさんの女の人に注目なんてされた経験なんて無いから、俺の心臓はあっという間に早鐘を打ち始めるし、耳の奥でジンジンと音がするくらい血圧が上がってきている。そういえば鼻の奥もじんわりと熱を持ち始めているような気がする。のぼせ上がっている状態だ。
間違いなく後数分で鼻血が垂れて来る。
「さ、坊ちゃん、中へ……」
「あ、はい……」
ほうしょうさんに背中を押され、重厚な玄関ドアを潜る。
(すんげぇ分厚いドアだな。拳銃の弾くらいなら軽々と弾き返しそうだな……って……なんじゃこりゃああああああぁっ!)
玄関ドアを潜り、屋敷の中に入った俺は、再び心の中で驚愕を叫んだのだった。
(まじかよ、なんだよこれぇ……)
そこは、別世界もいいいい加減にしろと怒鳴りたくなるくらいに絢爛豪華が溢れかえっていた。
拳銃弾くらい軽々と弾き返しそうな分厚いドアの向こう側の世界は、床から壁から柱、階段にいたるまで、全てが俺の常識を凌駕する豪華絢爛でできていたのだった。
(あははは、こんなの住居じゃねえよ。美術館かなんかだろ。でなきゃ、お城だろこれ)
俺は唖然として竜洞家の玄関ホールを見回す。
「坊ちゃま?」
鳳翔さんが目をぱちくりさせ、二足歩行の猫を見たような表情で俺を見ている。
(うん、小桃たちにした言い訳で潜り抜けよう)
……できればだが。
俺は腰を90度以上に折り曲げ、深々と頭を垂れた。
「ほんとうに申し訳ないんですが、俺、転倒した拍子に記憶がかなりおかしいことになっているようなんです。ほうしょうさん、皆さん、先に謝っておきます。すみません! ほんとうに、申し訳ないです。俺、『竜洞辰哉』としてかなり変だと思うので、いちいち指摘してくれるとありがたいです」
「……ッ坊ちゃま……? この、絢のこともお忘れなのですか?」
「……っ、はい、すみません……」
息をつまらせたほうしょうさんの問に、言葉に詰まるが、ここで嘘はつけない。頷いて、ほうしょうさんの問いかけを肯定する。
俺を支えている二人のメイドさんたちにも、あからさまな絶望の表情が浮かぶ。そして、俺を囲んだメイドさんたちの間にも、ザワザワと不安の波紋が広がっていった。
「うそ、お坊ちゃまが……」
「幼年学校からも長門大尉からもそんな報告は受けてないぞ」
「学校からの緊急電受けたの誰? もう一度内容確認して」
「どうすんのよいったい……」
「ふぐっ……おいたわしやお坊ちゃま」
「ああ、どうしてお坊ちゃまばかり……」
あちらこちらから『竜洞生徒』を気遣うメイドさんたちの囁きが聞こえる。
「みなさん、すみません。小桃にも言われたんです。俺、まるで魂が入れ替わったみたいだって」
現状『竜洞生徒』の魂を押しのけて、俺がこの体を乗っ取った形になってるわけだからそりゃぁ申し訳ない気持ちに嘘偽りはない。
だが、俺だってまだ絶賛混乱中だ。この世界のことを把握しきれてないし『竜洞生徒』の妹の梓が死んでたっていう、ものすごいショックな事もあったし。
小桃や、楓の言動から、どうやら俺は梓が亡くなったことで天涯孤独になっちまったようだってことは判明したけど、俺が『竜洞生徒』の身の上で知ったことは本当にそれくらいだ。
だから、身の回りのあらゆる人に聞いて『竜洞生徒』のプロファイルを一刻も早くしなくちゃならない。
「だから、すみません。皆さん、どうか、俺に俺のことをほんのちょっとしたことでもいいので教えて下さい。コーヒーを飲むときのちょっとした仕草とか……なんでも教えて下さい。そして、一刻も早く俺の記憶を取り戻すことに協力してください」
俺は、再び思いっきり腰を折る。
こういった場合、記憶が混乱もしくは喪失してしまっていると言った方が信憑性があるはずだ。
俺が、パラレルワールドから来たなんて言っても誰も信じないだろう。中身(魂)が入れ替わってしまったなんて、全く意識の埒の外だろう。
だから俺は、自分の気がおかしくなっているに違いないので、どうか教え導いて欲しいという態度を回りにアピールすることにした。そうすれば、周りの人々からの助力が得やすいはずだ。
(『竜洞生徒』じゃないってバレて、このお屋敷から放り出されるにしても、とにかく『竜洞生徒』のことを知らなくちゃな。それからこの世界の常識も俺の世界の常識くらいに身につけないと……)
と、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、俺のお願いをきいていたほうしょうさんがにっこりと優しげな笑顔を俺に向けて言ったのだった。
「はい、坊ちゃま。私、竜洞家家令、鳳翔絢は、坊ちゃまの記憶の早期回復に微力ながら尽させていただきますゆえご安心くださいませ。ほうしょうあやのほうしょうは鳳が翔ぶと書きます。それから、あやは豪華絢爛の絢という字です。ああ、あとそれから、坊ちゃまはコーヒーは好まれません。もっぱら、お紅茶を嗜まれます」
「あ、ズルい! たいちょ、もとい、鳳翔さん! あたし『いかずちけい』です書き方は追々お教えしますね。お坊ちゃま付きのメイドです。お坊ちゃまは、低血圧で朝はいつもお辛そうなんですよ」
「同じく『いなみすま』と申します。お坊ちゃまは朝食にはフレンチトーストをよくお召上がりになります」
「私……」
「あたしぃ……」
「自分は……」
メイドさんたちが次々に俺に自己紹介と『竜洞生徒』のこのお屋敷でのこれまでの行動を一言づつ教えてくれる。
「えーと、お坊ちゃまは……」
「司厨員……であります……」
だが流石にこんなにたくさんの情報はいっぺんには入り切らない。
「え、えっと皆さん、さっそく、の、ご教示ありがとうございます! 俺、あんまり頭が良くないんで、いっぺんには憶えきれないんで、また後にしてください。俺から言い出したことなのに申し訳ないんですけど……」
俺が、そう言い訳をしたのと同時に、パンパンという拍手が玄関ホールの空気を震わせる。
とたんに、メイドさんたちが姿勢を正し、気をつけをする。どうも、俺のメイド感とこの世界のメイドさんの実情にはかなりのギャップがあるようだ。
「坊ちゃまがお困りだぞ! みんなの自己紹介はまた後で、な。後ほど坊ちゃまにお時間をいただくから。では、解散ッ!」
鳳翔さんの号令で、蜘蛛の子を散らすようにメイドさんたちは、それぞれの持場に戻っていった。
ふと気がつくと、玄関ホールの人口密度が一気に落ちて、そこには俺と『竜洞生徒』のお付きだという二人のメイドさん、そして、長門教官に家令殿と呼ばれていた鳳翔さん以外の姿がなくなっていた。
「坊ちゃま……」
「あ、はい、何でしょう鳳翔さん」
「……くすッ。坊ちゃま、私のことは、どうか、絢と……。私が当家に家令として奉職したその日より、坊ちゃまにおかれましては、そうお呼びあそばれされておりました……」
「あたしのことは『けい』と……」
「わたしは『すま』とお呼びくださいませ、辰哉お坊ちゃま」
家令というと、執事の総元締めみたいなもんだって太刀浦が言ってたっけ。
その家令の鳳翔さんと『竜洞生徒』付きのメイドさんが深々と腰を折った。
「は、はいよろしくお願いしまう……ッと、噛んじゃいました。あはははは」
俺のごまかし笑いに、鳳翔さんたちが優しげな微笑みを浮かべる。お追従の愛想笑いまでが、すごく洗練されているような雰囲気だ。
すげえ上流階級のおぼっちゃまくんなんだな『竜洞生徒』は。
その時俺の脳裏に頭の天辺がとんがったギャグ漫画の主人公の絵が浮かんだのは内緒だ。
お読みいただき、誠にありがとうございます!




