11 脳筋のために書く手紙
王子よりも厄介なのが、騎士団長の息子と宰相の息子だ。
騎士団長の息子であるアゲートは、まだ扱いやすい。脳筋の彼にとっては強さが全てであり、そんな彼よりもアクアオーラの方が強いからだ。それ自体は全く問題ではない。成長は女性の方がはやいのは知られていることだし、そもそもトパゾス家は大器晩成型の血筋だ。しかし大器晩成型だからと言っても、歳を重ねて強くなれば武の公爵家であるスマラグダス家に勝てると言うわけでもなく、ほとんどの場合叶わない。トパゾス家はそれを気にしていて、スマラグダス家に敵対心を抱いている。その本家の長男なのだから、当然アゲートはアクアオーラを無駄に敵視している。幼少期から喧嘩を売られては叩きのめすことを繰り返していたと言うのに、アゲートは怯むことなど全くなかった。学習しないと言い換えることもできる。
「マリアライト、どうしましょう。そろそろ彼が来る時期ですわ」
アゲートは定期的にアクアオーラに手合わせを申し込んで来て、手合わせを受けるまで付きまとってくる。学院にいると逃げ場も多くないので、相手をした方が早い。だが、今後は別だ。学院にはもう通っていない上に、外に出るような用事も少ない。だが、脳にまで筋肉が詰まっていると言われているアゲートならば、邸にまで突撃してきかねない。
「では、ラピス・ルーベルの令嬢方に任せてみては如何でしょう。ラーミナの皆様にとっても良い経験となるのではないでしょうか」
「なるほど、それも良いですわね。ありがとう、マリアライト。助かりましたわ。早速ジェムシリカ様と彼に手紙を出しましょう。用意をしてちょうだい」
「はい。少々お待ちください」
マリアライトを待つ間に、アクアオーラはアゲートに出す手紙の内容について思案していた。アゲートの剣の腕は確かではあるが、頭脳の方は全くあてにしてはならない。シャーマナイトと騎士団長が隠蔽しているようだが、彼の座学の成績などアクアオーラでなくとも見当がつく。シャーマナイトの関係者同士、なまじ付き合いのあるアクアオーラにとって、それは推測ではなく確然たる事実であった。アゲートの頭脳では、貴族の回りくどい会話を理解することはできないのである。
「お待たせいたしました、お嬢様」
マリアライトが持ってきたのは、水の入ったコップのようなものと柔らかい布、そして飾り気のない便箋と細やかな飾りのある便箋の二つ。封筒もそれらとセットのものを持っている。
令嬢から令嬢へ手紙を出すのと令嬢から未婚の男性に手紙を出すのとでは、大きくマナーやルールが異なる。
令嬢同士のやりとりでは、美しく上品な便箋を用いることは相手の家へのアピールだ。いくら王族や公爵家であっても、こういったことを蔑ろには出来ない。蔑ろにすると財力がないと舐められてしまう。
逆に、令嬢から未婚の男性へ手紙を出す場合に華やかな便箋を用いることは相手に気があると誤解を招くため、あまり良い顔をされない。それゆえに飾り気のない便箋と封筒が好まれる。
「ありがとう」
マリアライトに礼を言ったアクアオーラは、そのまま彼女を下がらせて机の引き出しから、箱に入ったガラスペン二本とインク瓶を二つ取り出した。封筒に宛名を書いて、それを乾かしている間に手紙を書く。相変わらず、アゲートへの手紙の内容は中々決まらないので、まずは書き慣れた文体を用いるジェムシリカ宛のものから書き始める。貴族の手紙というのは長ったらしいので要約すると、近いうちに騎士団長の息子が来るのだが手合わせしてみるのはどうか、ラーミナの令嬢たちへ提案してみてほしい。日付は追って連絡するので、賛否だけでもまとめておいてほしい、というものだ。それを様々な言葉で飾って少々回りくどくしたものを、すらすらと手触りのいい便箋へと記していく。それが終わると、数度読み返した後で一番最後に己の名前を書いた。それが乾くのを待って、宛名のみを書いた封筒にしまう。後で封蝋をするので、ひとまずは横に置いておく。
一度息を吐いたアクアオーラは、今度は質素な便箋を手元に寄せ、何度か僅かに手を動かした後、ガラスペンを置いた。今までアゲートに文を出したことがなかったので、どう書けばいいのか迷っているのだ。
(どうしましょう……)
アゲートに的確に伝わる上に、貴族として最低限のマナーを守った文を書くのは、アクアオーラの思っていたよりも難しいことだった。ふと視線を上げると、そこにあったのは宛名を書く時に使った青みがかったインクがあった。それは、アクアオーラがお忍びで出かけた時に一目惚れした、一見黒に見えるがよく見ると青色をしているインクだ。そのインクを一つ買って帰り、アンスラックス公爵家御用達の商人を通し同じ色の高級品のインクを作らせた。流石に街で見つけたものをそのまま使うわけにはいかなかった。金を使うことも半ば、貴族の義務である。金は天下の回り物という言葉もある上に、あまり溜め込みすぎると王家に目をつけられる。適度に使っているアピールが必要だ。閑話休題、アクアオーラはそのインク瓶を見てあることを思いついた。
「要点の色を変えればいいだけの話ですわ」
なぜ気付かなかったのだろうと自責しながらも、黒いインクで時候の挨拶から書き始める。ある程度進み、本題に入ると青いインクの蓋を開け、もう一つのガラスペンを手にする。回りくどくなるので、青いインクのところのみを読めば文章になるように、そして回りくどい文章の意味も繋がるように考えながら、そろそろ手合わせを申し込んでくる頃になったが、公爵邸に来るのはいつなのかを教えてくれれば予定を合わせるという旨を記した。
インクが乾くのを待つ間に、マリアライトの持ってきた水でガラスペンをすすぎ、布で優しく拭う。自ら選んだ水色のガラスペンと、父から十の時に貰った赤色のガラスペンは、アクアオーラの宝物だ。当時のことを思い出しながら、ゆっくりと丁寧に手入れをする。それらが終わると、ちょうどインクが乾いている。綺麗に折りたたみ、封筒の中にしまった。
(これで伝わるでしょう。幸い、勉強はからきしですが目や耳、鼻はいい方ですもの)