青いノート
すり抜ける本を思うと、あの頃を思い出してしまう…。
私が中学1年生だったあの時、教室は小学校と違い、個性がひとりひとり目立ち始めるように力を持て余していた。ときに体は防具になり、ときに覚えたてな言葉は鋭さをもって深く心を抉る。凶器という名の異名を持った人間動物は丸くなるのに時間がかかりすぎる。ましてや、独りの力でなんて出来やしない。
そんな自力では抑制できないころ、私は目のあたりにする光景をノートに必死に書き留めた。
溢れてくる思いがありすぎて言葉にもできず、形にもできず、砂をいじるように何度も形に遺そうとした。そうしてある時、机に転がっていた書き疲れたであろう黒いボールペンと宿題に埋もれていた新しいノートを手に取ってあるがままに右手を動かした。すると私は何かに導かれるようにある答えが、自分を自分に掲示していたことが分かった。
そんなノートは当たり前に誰かに見せれるわけでもなく、手元から放せるわけでもない。それに、自分から話をして物語を喋ったり自分の進路が遅いのはそのため。誰が解るというのか誰が適切な判断ができるというのか、今でさえあんなニュースが絶えない。
今でも私のファンの中で『”青いノート”を見せてください。』『書籍化してください!』と熱心に伝えてくる人がいる…。
きっとその人は幸せなのだろう。いや、不幸せなのだろう。身近にある何かさえ表現できなくて、求めて納得できるのだから…。
あぁ、あの事件を思い出す。
今年の冬は記録的に寒いと言われるようになったが、今年はやけに寒い。自分が尊敬として刻んでいた男性アイドルを一年前に亡くし、ライバルとされるアイドルがTVを賑わせている。僕の好きだったアイドルは遺影の写真だけが報道された生々しさと仕事として魅せてくれた生き方を心のフィルターを通して笑顔にさせる。まるで”夢を売った二人の青年”のよう・・
流行色に載った赤い色は感覚敏感な人が身に着けていく。ましてや足元から首元にまで浸透していく中、私が見えてるこの世界は息苦しくて仕方がない。
私はこう思い空想に捻るなかで、涙で汚してしまった本を賠償責任として手にぶら下げている。それが手で良かったのか首で良かったのか…まだ何もわからない。知っているのはきっと、お天気サウンドとして誰かが作って提供したBGMだけだろう…。だって頭がそのBGMと感情がマッチしていると伝えてくるんだから。お天気お姉さんは笑顔で伝えている、『明日は晴れになるでしょう。』。
「青いノートだなんて、手にしている人は手にしているだろ?」
私はそう目の前につぶやいた、