第1話 初めてトラックに轢かれました
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン
学生時代に誰もが一度は聞いたことがあるチャイムが校内に鳴り響いていた。
教師達にとっては、授業の開始と終了を知らせるための合図みたいなものだが、学生達にとっては拘束の合図と解放の合図と言う二つの意味を持つ合図だった。
横浜市にある高校でもそんなチャイムが鳴り響くと、廊下や教室など様々な場所で談笑を楽しんでいる学生達は談笑を辞めて、瞬く間に自分達の教室や座席に戻って行った。
それからしばらくして、ガラガラと言う音を立てながら教室の扉が開き、教科書や出席簿など授業で使用するものを抱えたスーツ姿の男性教師が教室に入って来た。
「全員揃っているみたいなので、出席は省きますね。それでは、日直の生徒は号令をお願いします」
「はい」
男性教師は抱えている教科書や出席簿などを教卓の上や下に置き、学生達が全員揃っていることを確認すると、時間短縮のためか号令の前に行うことになっている出席確認を省き、日直の生徒に対し授業開始の号令を掛けるように指示を出した。
日直の生徒は男性教師に"はい"と返事をしたあと、座席から立ち上がり"起立""注目""礼"という号令を順番に掛けた。
そんな日直の生徒による号令により、本日最後の授業である日本史の授業が始まった。
「はい、それでは授業を始めます。確か、前回の授業は学生運動について大まかな説明をして終わりましたね。では、早速ですが黒崎君、大まかな説明でいいので学生運動について説明してみてください」
「はい、分かりました」
日本史の授業が始まると、男性教師は教科書をペラペラ捲り、付箋が貼り付けてあるページを広げたあと、教室の一番後ろに座り、頬杖を立てながら外を眺めていた黒崎零夜という男子生徒を指し、前回の授業で少しだけ触れた学生運動について説明するように求めた。
男性教師に指された零夜は特に慌てる様子を見せることなく、無表情でそう返事をしたあと、学生運動について簡単に説明するために座席から立ち上がった。
「学生運動とは、自分達のような学生が主体となり学校生活や政治に対しての組織を作り、問題提起や社会運動を行う運動のことであり、日本では一九一〇年代から一九二〇年代の大正デモクラシーの時期に始まり、一九六〇年代から一九七〇年代に最も盛り上がりを見せていたが、過激な派閥による暴力的な事件が相次いで起こってしまったためか、次第に学生運動の勢いは急速に衰えて行き、現在では完全に衰退してしまいました」
「百点満点の説明をありがとうございます黒崎君。それでは、本日の授業では黒崎君が説明してくれた学生運動について更に詳しく説明して行きたいと思います」
男性教師に指され座席から立ち上がった零夜は、机の上に広げられている教科書に目を落とすことなく、淡々と学生運動について説明を始めた。
一度も教科書を見ることなく、一週間前の授業で学んだ学生運動の説明を終えた零夜に対して、男性教師は軽い拍手を送ったあとそう言った。
零夜が学生運動についての説明を終え、座席に着席したあと、男性教師による日本史の授業が本格的に始まった。
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン
いつの間にか、男性教師による日本史の授業が始まってから五十分という時間が経過し、教室中に授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いていた。
チャイムが鳴り終わると男性教師は教科書や出席簿などを抱えながら学生達に"これで、今日一日の授業は終わりとなりますが、気を抜かず車などに気を付けて帰宅してください"と言いながら教室を後にした。
「おーい、零夜帰ろうぜ!」
「あぁ」
本日最後の授業である六限目の日本史の授業が終了し、学生鞄に教科書やノート、筆記用具などを仕舞い終わった零夜に友人である大谷優斗という男子生徒がそう声を掛けた。
優斗に声を掛けられた零夜は学生鞄の鍵をしっかり閉めたあと、座席から立ち上がり、友人である優斗とともに後ろの扉から教室を後にした。
「相変わらず、お前の記憶力は凄いよな」
「そんなに凄いことか・・・?俺からしたら、あれぐらいのことは普通のことだと思うけど・・・」
「いやいや、普通の人間は一週間前に聞いた説明をたった一回で完璧に暗記することは出来ねぇよ」
零夜と優斗は談笑を楽しみながら帰路に着いていた。
二人の話題は何ともない学校生活やプライベートでの愚痴から零夜の人並外れた記憶力のことに移っていた。
「また話が変わるけど、やっぱり生徒会には立候補しないのか?」
「あぁ。元々、生徒会とかそうゆう組織的なものには興味がないし、仮に立候補しても俺の人望からしたら誰も投票しないだろうし、そうなるとただの時間の無駄になりそうだしな」
「いやいや・・・、お前が思ってるより人望はあると思うぞ」
「そ・・・そうなのか・・・?」
「お前は周囲のことに無関心だから気付いてないみたいだが、クラス内の評判は勿論のこと他学年の間での評判も高いみたいだぞ」
「なるほど・・・俺は思ったより人望はあるのか・・・」
優斗は話の話題を"零夜の尋常ではない記憶力"から別の話題に変えると、零夜に対して"生徒会に立候補"しないのかと聞いた。
優斗にそんなことを聞かれた零夜は特に考える素振りを見せることなく瞬時にそう答えた。
優斗はそんな零夜の返答を聞き、若干呆れながらもクラス内では勿論のこと、他学年の間ても評判が良いことを伝えると、当の本人である零夜は意外にも人望があることに衝撃を受けていた。
「何だ?意外に自分の評判がいいことを知って生徒会に立候補する意欲が湧いてきたのか?」
「まぁ、そこまで評判がいいのなら立候補ぐらいしてもいいかも知れないなと思って。一つだけやってみたいこともあるし」
「何だよ、そのやってみたいことって?」
「学生運動だ」
「・・・・・・はぁ!?学生運動だ!?」
「あぁ、学生運動だ」
優斗がニヤつきながらそんなことを零夜に聞くと、零夜は"そこまで評判がいいのなら、立候補ぐらいしてもいいかも知れない"と答えたあと、更に続けて"一つだけやりたいことがある"と話した。
それを聞いた優斗はそのやりたいことについて聞くと、零夜は真面目な表情で"学生運動"だと答えた。
零夜の突飛もない答えを聞いた優斗は周囲に聞こえるぐらいの大声を上げた。
「何で今更、学生運動なんかをやろうと思ったんだよ?」
「実は結構前から色々と調べて内に学生運動に興味を持ち始めたんだよ。それで改めて学校の校則を確認している内に何個か理不尽な校則を見つけて、より良い学園生活を送るために改めて校則を改正しようと思うようになったんだ」
「・・・・・・なるほど。それでその学生運動についてのやり方とかは決まってるのかよ?」
「いや、それが全然決まってないんだよな・・・」
「まぁ、それに関しては立候補して当選してから考えればいいんじゃないか・・・・・・って赤信号だぞ!!」
「えっ・・・・・・?」
優斗は驚きながらも"何故今更、学生運動を行おう"と思ったのかと聞くと、零夜は"より良い学園生活を送るために、校則を改正するため"だと答えた。
優斗は呆れながらも"学生運動についてのやり方は決まっているのか?"と聞くと、零夜は"決まってない"と答えた。
それを聞いた優斗が"学生運動に関しては当選してから考えればいいんじゃないか"と提案したあと大声を上げそう叫んだ。
零夜は学生運動について考えながら歩いている内に赤信号の横断歩道を渡っていた。
それに気付いた優斗が慌ててそう叫んだが、時すでに遅く横断歩道の真ん中で歩みを止めた零夜に一台のトラックが突っ込み、零夜はそのまま吹き飛ばされてしまった。
「れ・・・零夜!!」
「お・・・おい、大丈夫か坊主!!」
「・・・・・・何でだ?何で零夜が居ないんだよ!!おい、おっちゃん確かに零夜を撥ね飛ばしたよな!?」
「あ・・・あぁ、言っちゃなんだが確かに坊主を轢いちまった感覚はあった・・・」
「じゃ、何で零夜の姿どころか血痕さえ無いんだよ!!普通あんな轢かれかたしたら少しは血痕ぐらい残るはずだろ!!」
「お・・・俺に聞かれても知らねぇよ・・・」
零夜がトラックに撥ね飛ばされたのを見て優斗とトラックの運転手である男は慌てて零夜の元に駆け寄ったが、そこにはトラックに撥ね飛ばされた零夜の姿は無く、それどころか零夜がトラックに撥ねられた形跡自体が何一つ残っていなかった。