⑫ 誘拐先は本の中
かみやんが本の中に誘拐されちゃった……!?
とは言ったものの、犯人の正体も目的もぜんぜん検討がつかない。
メルヒェンガルテンから帰って次の日の夜遅く、その日は塾で中学授業体験があった。
あたしたち小学六年生が集まって、中学で新しく勉強することを教わるの。
っていってもがっつりした予習じゃない。新しい勉強に少しでも興味が持てるように、教科書に載ってないミニ知識やコラムがほとんどなの。
今日教わるのは世界史。――かみやんが担当。
白馬に乗った姿で描かれてるナポレオンが乗っていたのは実はロバだったとか、世界史のこぼれ話がかみやんの手にかかるときらきらしたなにかの破片に思える。楽しい授業は進んで、マリー・アントワネットは、嫁いだ王様のほかに好きだった人がいたっていうコラムにさしかかった。
「なにそれ、浮気か~?」
「マリー・アントワネットって性格悪い感じだもんね」
みんなが口々に言う。
そうね。
マリー・アントワネットは、フランスのお金を無駄遣いして、最後はギロチンにかけられてしまった王妃だもの。
そんなあたしたちに、かみやんは答える。
「そうか。でも先生的には、彼女の気持ちもわかってやりたい気もすんだよな。一四才で決められた相手に嫁がされたらそりゃま、そうなるわなってとこで」
へ~ぇ。
わがままで贅沢三昧で、悪女イメージの強い王妃様だけど、ほんとは色々抱えていたのかもね。なんだか身近に思えてきたわ。
「じゃ、最後、おまけのコラムやって終わるぞ」
え~?
もう終わり?
もっと話聴きたかったな。
しぶしぶ、プリントの最後のコーナーに落としたその目が、そこから離せなくなる。
そこには、華やかな女の人が描かれた絵がプリントされてたの。
肩についた大きなリボン。
長いスカートの裾には蔦に咲く花の模様が描かれてる。
そして隣には王子様のような豪華な衣装をまとった男の人。
かみやんが説明する。
「これは、イギリスのヴィクトリア女王の結婚式。結婚式に白いドレスを着る習慣は、実はここから始まったと言われてる」
すてき。
興味しんしんって感じで、一つ向こうの机の女の子が質問する。
「かみやん、プリントにあるアルファベットと王冠みたいな模様、なに?」
「これは、当時の貴族の女の人の嫁入り道具。服とかカーペットとか、いろんなところにイニシャルと、貴族の印をプリントしたんだ。なかなか洒落てるよな」
ほんと。
きれいなレースで作られてるところがまたいいわ。
「当時身分が高いことを示すことは、女の人の結婚でも重要だったんだな。一人の女性がお嫁に行くときにまず男の人に求められるのは、どれくらいお金を持ってお嫁にきてくれるかってことだったんだ。一方で、年頃の女の人のお父さんお母さんは、娘さんがパーティーに行くときにメモを渡すんだよ。それこそは、金持ちの男の人の名前リスト。この人たちと踊りなさいってわけだ。みんな必死すぎだろ」
教室に笑いが起こる。
昔の結婚って、大変だったのね……。
「いいか。この時代に生まれた君たちは、将来ちゃんと好きな人と結婚しろよ」
かみやんがそうしめくくったところで、チャイムが鳴った。
❤
授業のあと、いつもの日課であたしは自習室にいた。
教科書を見ながら、教科書とは別の問題を懸命に解こうとする。
わかっているのは、犯人は物語を書き換える不思議な力をもつこと。
つまりメルヒェンガルテンの住人――本の中の登場人物だということ。
ももぽんの言ってたように、きっと性格が悪いに違いないけど、本の中に登場する意地悪な悪役はごまんといる。
いったい、犯人は誰――?
「泉先生。すみません」
自習室の外から聞こえてくる声に、はっと我に返った。
「あの手紙、なかったことにしてください」
かみやんの声。
「……どうしてですの」
泉先生の声もする。
思わず、壁に耳をくっつける。
次に聞こえてきたのは、ぞっとするほど暗い声だった。
「今になって、怖気づいたんです。泉先生と一緒になって、家業ついで、そういうのが、負担になったからです」
しばらく、完璧な静寂が訪れた。
「神谷先生は、お父様の会社を継ぐため、あの手紙をわたしにくださったんですか」
答える泉先生の声が、震えてる。
「そうですよね。もともと偽の婚約ですし。わたしったら、おばかさんだわ。でもね、神谷先生。一つ、お教えします。女性は、好きでもない人とは、例え偽物であっても、婚約はしませんの」
パン、と鋭い音がして、あたしは身を縮ませた。
恐る恐る、窓の向こうを見る。
泉先生が、かみやんの頬を打ったんだ――。
「でも、これは嬉しかったです。ほんのひと時でも。ありがとう」
もらったっていう手紙をかみやんの胸に押し付けて。
走り去って行く泉先生のその目が涙で光ってた。
わたしは無意識のうちに、廊下に走り出てた。
かみやんの足元に、泉先生が残していった手紙が落ちてる。
彼が、泉先生に送ったっていう、結婚の申し込みのその手紙。
拾ってみると、やっぱり。
いつも黒板で見る、かみやんの筆跡とぜんぜん違う。
「せいらか」
頬を殴られたことなんてまるでなかったみたいにかみやんは微笑んだ。
「そろそろ帰れよ。家の人が心配する」
あたしにはわかった。
なんでかみやんが、泉先生にほんとうのことを――この手紙はほかの誰かが勝手に送ったんだって言わなかったか。
嫌われるためだ。
泉先生の受ける傷が少しでも少なく済むようにって。
ぼうっとする頭に、誰かの夢見るような声がした。
『あなたの好きな人ってすてきね。思わずさらってしまいそう』
誰?
『とってもすてきすぎて、ほんとに――』
声が、突然低くなる。
『厄介な人。あと少しだったのに』
廊下を見回すけど、誰もいない。
怖くなって、あたしは思わずぎゅっとかみやんにしがみついた。
「かみやん」
彼が、頭をぽんぽんとたたいてくれる。
「どうした、せいら。夜の建物には慣れっこだろ」
「違うの。今なにか声が聞こえたの」
「……せいら?」
「かみやん、辛そうな顔してるし。心配で」
「……」
彼はかがみこんで、あたしに目線を合わせた。
「よしよし。きっと、せいらは勉強のしすぎと、今の衝撃映像のせいでちょっとだけ参ってるんだ。今日は帰って、ゆっくり寝ろ」
「待ってっ」
離れて行く彼を、またぎゅっと抱きしめる。
「行かない……で」
このまま別れたら、一生のお別れになっちゃうような。
なんだかそんな気がしたの。
かみやんが、少しだけ切なそうな顔をしたのは、気のせい?
すぐに笑顔に戻った彼は、言った。
「心配してくれてありがとよ。でも大丈夫だ。また金曜に、教室でな」
あ……っ。
あたしの手をすり抜けて、彼は闇にまぎれるように、行ってしまったの。
❤
いやな予感はそのあとも消えなくて、次の金曜日は、走って塾まで行った。
待ちわびた社会科の時間、教室に入ってきたのは、彼じゃなかった。
「みんな、急でごめんね。今日はわたしが代わりに社会の授業をします」
泉先生。
いつものふんわりした笑顔がなく、青くこわばっている。
「落ち着いて聞いてね。神谷先生は、今週の月曜日の夜から、連絡が取れないそうです。心配だけど、きっと大丈夫だから、みんなは授業に集中してね」
当然あたしはそのあと、授業どころじゃなかった。
かみやんの行方がわからなくなった。
これがもし、メルヒェンガルテンの事件と関係があったら……!
きゅーっと胸が痛くなる。
なんとか隙を見て、夢っちとももぽんに連絡しないと。
授業中はスマホ厳禁の規則すら構わずに、机の中を必死で探っていると、カサッと身に覚えのないものが、手に当たった。
取り出してみると……白い封筒?
嫌な予感がして急いで開封する。
あたしは思わず悲鳴を上げそうになった。
「露木さん。どうかした?」
泉先生に言われて、わたしはなんでもないですと謝る。
その手紙には、月曜日に見た、かみやんを装った泉先生宛ての手紙にあったのと同じ筆跡で、こう書かれていたの。
露木せいら様
あなたの愛する人をメルヒェンガルテンにてお預かりしています。
「すみません、先生!」
立ち上がったわたしに、泉先生は首を傾げた。
「ちょっと頭が痛くて。今日、早退させてください」
「まぁ」
根が優しい泉先生は、あっさり信用してくれた。
「わかったわ。今日はもう帰りましょうね」
急いで教科書とノートを片付けて、荷物をまとめる。
仕上げに、青いガーベラの飾りのついた帽子を被って、準備オッケー。
「あの。泉先生」
廊下を出る時、くるりと振り返って、小さな声で言った。
「泉先生への結婚の申し込みの手紙を書いたのは、かみやんじゃありません。詳しくは言えないけど。他の人の、いたづらなんです」
ふんわりと、泉先生はいつもと同じように笑った。
「知ってるわ」
え……!
「あれが神谷先生の筆跡じゃないことくらい、わかる。でも、わたしつい、信じたかったのね。あれが彼からだって」
これは秘密ねと、泉先生の優しい声が耳元で響いた。
「おうちでゆっくり休んでね。神谷先生もおっしゃってたけど、露木さんは少し頑張り過ぎよ」
ちょっとだけ、泣きそうになった。




