㉖ 流れ星とキスを餞に ~もも叶の語り~
本の中に帰ってしまうカレにもも叶は?
園枝もも叶、十歳。
それはあたしにとって忘れられない夜になった。
式典が無事片付いた、その夜。
あたしはパレ駅にいた。
夢とケストナー先生、モンゴメリさん、そしていっぱいのブーフシュテルンに見守られて。
駅のホームに立っていた。
ある人を、見送りに来たんだ。
マーティン・ターラー。
彼は仲間たちと一緒に今夜七時半の汽車で本の中へ帰る。
やっぱり、本の中の人に恋しちゃった運命の行きつく先は決まってる。
「ももちゃん……」
夢はホームの少し離れたところから、泣きそうな顔でこっちを見てる。
「きたようだね。僕のわんぱく坊やたちが」
ケストナー先生の声に導かれるように、三人の男の子が出て来た。
先を歩く二人、マッツとウリーが夢と握手する。
「クリスマス劇、最高の出来だった。ありがとう。マッツ、ウリー」
「オレとしては、もっと派手なアクションシーンとかほしかったけどな」
手の中にあるポテチ(よっぽど気に入ったんだね)を頬張りながら、マッツが言う。
「君がそんなの演じたら、あの程度の騒ぎじゃ収まらなかったんじゃないかな」
小さなウリーが突っ込む。
「またなにかあったら僕らを呼んでよ。飛んで来るから」
「ありがとう。ウリー」
「その時は食い物も差し入れてくれると、百倍働くぜ」
「マッツ。期待してるからね」
マッツとウリーはあたしと、そして静かにあたしの前に立ったマーティンを見ると、無言で頷き合って、少し離れたところに並んだ。退屈そうに、ただ汽車を待つふりをして。
気をきかせてくれたんだ。
ホームの天井にかかってる時計が、七時二十五分をさしてる。
汽車が出るまであと五分。
この時間を無駄にはできない。
「マーティン。渡したいものがあるの」
肩にかけたポシェットからすっと、一冊の本を差し出す。
その本は、『飛ぶ教室』。
クリスマスカラーの赤と緑の縞模様の帯がかかっていて、そこにはこう書いてある。
偉ぶる上級生に怒って、すてきな大人に憧れて、家族にすばらしい絵をプレゼントする。
正義感いっぱいの彼が大好き。
こんな男の子が、ほんとうにいたらいいのに!――小学五年 園枝もも叶
それを読んだマーティンはかすかにその白い頬を染めて笑った。
「こんなふうに書かれるの、照れくさいけど、嬉しいや」
「……マーティン」
「ありがとう、もも叶」
……ん。
あたしはちょっぴり複雑な気持ち。
だって、この帯を見せるのは、渾身の告白のつもりだったから。
マーティンは全然気づいてないみたい。
物語の中のすてきな男の子も、やっぱりこういうのには鈍いのかな?
がっかりしていると、マーティンが、らしくもなく小さな声で呟いた。
「ほんとは、渡さずに、持って帰るつもりだったんだけど」
「え? なに?」
きりっと、マーティンが顔を上げる。
「やっぱり、君に渡して行くことにする。これは、メッセージへのお返しだ」
そう言ってマーティンが差し出しだのは、青い布に包まれた平たい何かだった。
マーティンが意を決するって感じに頷いて布を取り去ると、そこには、絵の具で描かれた絵が現れた。
カラフルにおしゃれしたクリスマスの街が描かれてて、すっごくきれい。
「これ、マーティンが描いたの?」
すごい。
ほんとに画家になれるレベルだよ。
「現代の世界の、きれいなものを描いておきたかったんだ」
改めて絵の中心を見て、わたしはえっと固まった。
そこにはポニーテールにハートのプリントのスカートをはいた女の子がいて、たくましい男の人に向かって怒っていたんだ。
「やだ……」
あたしは泣きそうになった。
「どうせ描くなら、もっとかわいいとこにしてよ」
顔をくしゃっとさせてマーティンは笑った。
「この瞬間の君を、残しておきたいって思った」
「マーティン……」
「ほんとは僕が持っていたかったけど、やっぱり、君に渡していいかな」
「うんっ」
あたしは、大切に絵を抱きしめた。
「あたしの、宝物」
マーティンはぐっと上をむいた。
「これは、別れじゃない。本の中の僕らと君たちとの間にはほんとうの別れがないんだ。
開けばいつでもそこで会えるから」
「ほんとだっ。やっぱり、本ってすてきだね……」
やばい。
涙がぼろぼろでてくる。
それを見られないように、あたしはしゃがみ込んだ。
後ろで夢のしゃっくりが聞こえる。
「いやはや。こういう切ない青春な感じはやはり、照れてしまうね」
「ケ、ケストナーおじさんッ」
「ん? なんだい夢ちゃん」
「よ、よく考えたらっ、マーティンを生み出したのはケストナーおじさんだよね? じゃマーティンのほんとうの気持ちも知ってるんじゃないのっ?」
「うーむ、それはいかがかな。登場人物の想いというのは作者の思惑に関わらず、向こうからやってきてしまうものだから」
「そんなこと言ってないで、作者さんなら、なんとかならないんですかっ。ももちゃんの恋を叶えてあげて!」
「わたくしとしてもぜひ頼みたいわ。というか、命令ね。ケストナー、どうにかしておあげなさい」
モンゴメリさんまで強く出てる。
「無茶を言うなぁ。そもそも彼の持ち場は恋愛小説ではないんだからね。僕の見たところマーティンが恋愛体質ではないことは確かだ」
モンゴメリさんの溜息が夜風に乗ってこっちまで届く。
「それは確かに、そのようね」
「そんなぁ~」
あの、ぜんぶ聞こえてますけど、三人とも。
ケストナーおじさんの言うのはほんとみたい。目の前のあたしが涙がでてきて止まらないのに、マーティンどうしたらいいかわからないって感じで額をかいてる。
もう、これだから優等生は。
「あのさ。……これ、知ってる?」
やっと口を開いたと思ったら。
「今見えてる星の光のほとんどは、キリストが誕生する前に消えてしまっているものなんだ。でも今も、こうして僕らを照らしてくれてるんだよ」
あたしはうずくまったまま、ぼそぼそ答える。
「知ってるよ。マーティンそれ、『飛ぶ教室』のラストでも言ってたもん。同じこと何回も言う男子はもてないよ」
「……ごめん」
マーティンは肩を落とした。
あーあ。
余計しんみりするし、涙は止まらないし。
どうすりゃいいのこれ。
ふわっとかすかに甘いバラの香りがして余計落ち込む。
そう。
『秘密の花園』でモンゴメリさんからもらった香水――ジュリエットの唇。
こっそりつけてきたんだ。
ちょっと、期待してたりして。
でも、かんじんの相手がこんなじゃ望みなしかぁ。
がっくりきた、そのとき。
「あっ」
とんとんと、リズミカルに、うずくまってる肩をたたかれた。
「見て、もも叶。流れ星」
えっ。
思わず、あたしは立ち上がった。
マーティンの指差す星空に必死で目を凝らす。
「どこ、どこ?」
一生懸命探すけど、みつからない。
そのとき、ぷぉーっという汽笛とともに、汽車が近づいてくる音がした。
ぷしゅーって音がして、汽車の扉が開く。
マッツやウリーは軽く手を上げて挨拶すると、早々と乗り込んで行ってしまう。
「ほら、あそこだって」
マーティンが一生懸命指差してくれるけど、どうしても見つけられない。
「あんなに長い尾を引いて流れてる」
「えぇっ。長い光?」
それならすぐ見つかるはずだけどなぁ。
どこ?
どこ……?
「ないじゃん、どこにも――」
左の耳元で、ちゅって、音がした。
そこにつけた『ジュリエットの唇』が、ぱっと強く香る。
軽くって柔らかいものにほんの一瞬触れた耳たぶが、とたんに熱を持ってじんじんしてくる。
そっと耳を押さえた時、マーティンはもう汽車の窓ガラスの奥にいた。
片手を上げた彼が、ちょっとだけ恥ずかしそうに笑ってる。
あたしは今まで生きてきた中で一番になるように、涙でぐちゃぐちゃな顔で思いっきり笑顔をお返しした。
「あなたのわんぱく坊やも、なかなかやり手だこと」
モンゴメリさんの声がする。
「さすがは我が主人公だ。これですべてはおさまるべきところにおさまった」
後ろでケストナー先生に勝手にまとめられてるけど、いいんだ。
あたしはとても晴れやかな気持ちで、遠ざかる汽車を見送った。
――余談。
落ち着いてあたしやみんなが気が付いた時、夢は、りんごか! って突っ込みたくなるくらい真っ赤になっていて、マジで倒れる三秒前だった。




