⑳ ケストナー生誕120周年記念式典
ケストナー生誕120周年の記念式典に、本焼く炎が襲います。
「いよいよだね、夢」
赤い座席につきながらももちゃんが言った。
ここは栞町駅ビルの五階大ホール。普段はコンサートなんかに使われる会場が、今日はケストナー生誕百二十周年一色に染まってる。いくつもシャンデリアが並んで、天井が赤いカーテンで飾られて豪華な感じ。その真ん中より少し後ろの席に、わたしたち、本を守れチーム(ごめん。センスのいい名前思いつけなかったんだ)は勢揃いしていた。
「安心しなよ。あたしたちでがっちりあんたをガードするから」
ももちゃんはあちこち警戒しながら、わたしを隠すようにしてくれてる。
お父さんがどこにいるかわからないから心配してくれてるんだ。
「二人とも。今日は僕の生誕祭だよ。もっと明るい顏をしてくれないかな」
「ケストナー先生、相変わらず緊張感なさすぎですってば」
ももちゃんのつっこみにも、ケストナーおじさんはなんのその。
「生まれてから百二十年も経つと、逆境を楽しむ才能に長けてくるものさ」
ケストナーおじさんはお隣の席に微笑みかける。
「そうだろう、モンゴメリ嬢。さて、君は今年で生誕何年だったかな」
「お黙りなさい、ケストナー」
モンゴメリさんはぴしゃりと言ってから、頭痛がするように額を押さえた。
「作品が世に残るのは作家の誉れだけれど、いつまでも年齢を数え上げられるのだけはなんとかならないかしら。過去の偉人には女性だってたくさんいるのだから」
あはは。
偉大な女流作家ならではの悩みかも。
わたしとももちゃん、思わず笑っちゃう。
そうだよね。怖い顔してたって仕方ないもん。
こんなときこそ、ユーモアだって大切。
それから、嬉しいお報せも、大事にしなくちゃ。
「ももちゃん、おめでとう」
「ありがとう、夢」
わたしが言ってるのは、ここへ来る途中のロビーの掲示板で発表されてた、ケストナー作品の推薦文入賞者のこと。
そう。なんと。
ももちゃんの書いた『飛ぶ教室』の文章が金賞を獲ったの!
「僕も見たいな。もも叶の書いた推薦文」
お隣のマーティンに言われて、ももちゃん真っ赤。
ふふふ。かわいいなぁ。
そうだよね。だってももちゃん、推薦文に彼のこと書いたんだもん。
ここは恋の応援だ!
「今日売られる本の帯になるから、あとでロビーにみんなで見に行こうよ」
ももちゃんは赤い顔をふりふり。
「ちょっと、夢やめてよー」
「いいじゃない。行こうよ」
ここでモンゴメリさんの縁なし眼鏡がきらりん。
「もも叶、確かさっき、係の方から金賞の賞品を受け取っていたわね」
「……見てたんですか?」
「え? そうなの? なになに? なにもらったの?」
ももちゃんがポシェットから差し出したのは、空に浮かぶ雲とカラフルな傘が描かれた、式典の後で売られる予定のケストナーおじさんの本の引換券だった!
「せっかくの券、使わないのはもったいないわね。そうでしょ、作者様?」
ナイスアシスト! モンゴメリさん!
作者様ことケストナーおじさんが当然というように頷く。
「もも叶ちゃん、観念してあとでロビーに行ってくるんだね」
そして、マーティンに向けてこっそりウインクする。
「君もしっかりやりたまえよ」
「え、どうして僕が」
マーティンが首を傾げたそのとき。
舞台にマイクを持った女の人が現れてお辞儀をした。
「皆様、本日はケストナー生誕百二十周年記念パーティーにお越しくださり、誠にありがとうございます。ユーモアに溢れたケストナー作品は時を超えて、子どもたちだけでなく私たちにも、力強いエールを送り続けてくれています」
こっそり、絶賛されてる本人を見ると、
「いや、本当のことを言われるのは照れるね」
なんて言ってる。そりゃ、嬉しいよね。あとの時代に生きる人に、こんなふうに言われるなんて。
くすくす笑ってたわたしの身体が次の瞬間、凍りついた。
「それではさっそく、開式の言葉を夢売館社長よりいただきます」
正装した夢売館の社長が壇上に上がる。
あっと声をあげたのはももちゃんだった。
「あのおじさん、クレープ買うとき、あたしにぶつかっていちゃもんつけてきた人だ。
あんな人が、出版社の夢売館の社長? ありえないんだけど!」
わたしはそっと、呟いた。
「お父さん……」
ももちゃんはあんぐりと口を空ける。
「え、嘘。あれが」
わたしは震える身体を抱きしめた。
お父さん、あのときと同じ顔をしてる。
鋭い目の下の、曲がった口元が開いた。
「皆様、本日はご来場誠にありがとうございます。わが社は社訓を、『子どもに夢を、想像の翼を』と掲げています。
さて、我々が敬愛するケストナー氏は『子どもにも心痛はある』と言っています」
すごくつまらなそう。台本を棒読みにしてる感じ。
「我々はそんな彼の本を――うっ」
あれ……!?
会場がざわつく。
お父さんが苦しそうに呻いて、その場にうずくまったの。
お父さん、大丈夫!?
思わず立ち上がりかけるわたしの肩をつかんで、ももちゃんが止める。
会場にどよめきが走った、次の瞬間。
ぼうっと赤い炎がお父さんの周りに現れたの。
「彼の本を」
立ち上がったお父さんの目の中にも、炎が燃えていた。
「燃やそうと思うのです」
お父さんは宣言を続けた。
「本なんていらない。
とりわけ物語などなんの役にも立たない。
世の中を生き抜くのに必要なのは、役立つ人間になることです。
お金を稼ぐこと。
便利な道具を生み出すこと。
そのためにはくだらぬ文学など必要ない。
この世界の全ての本を燃やせ!」
お父さんがはそう言い放って、拳を高く掲げた。
なんて酷いことを言うんだろう。
わたしは言葉もない。
でも、びっくりしたことに。
会場中に大きな拍手が鳴り響いたの。
会場の人たちは立ち上がって、興奮したみたいに手をたたいてる。
どの人の目にも、炎が映ってる。
「本野社長の出す炎が他の人々に飛び火したんだ!」
マーティンが叫ぶ。
ケストナーおじさんが悔しそうに頭を振って立ち上がる。
「なんという火のまわりの速さだ」
人々は舞台袖から、ロビーの段ボールの中から、そして自分のかばんの中から、本を持ちよって、舞台の中央に次々に本を投げ入れていく。
高く積み上がった本の山に、お父さんが手を触れた途端、勢いよく炎が本たちを包んだ。
舞台だけじゃない、会場のあちこちで、本に炎がつけられる。
どうしよう。
このままじゃ全部の本が、燃えちゃう。
あ……。だめ。
暑くて、倒れそう。
「もも叶、だめだ。一人で行ったら危ない!」
マーティンの声ではっと我に返った。
ももちゃんが客席の通路にひらりと躍り出て、舞台の方に走って行ってる。
舞台に着くと、その隅で一冊の本に火をつけようとしてる女の子にタックルした!
「これは、だめ!」
倒れる女の子の手から滑り落ちた本をももちゃんは見事キャッチした。
それは、『飛ぶ教室』。
ももちゃんのの推薦文が帯になった本だった。
「もも叶。それ、返して」
ゆっくりと起き上がった女の子を見て、ももちゃんもわたしも目を瞠った。
それは赤々と燃える目をした、白石さんだったの――。
「このままじゃもも叶が危ない。まずは友達の救出を第一に考えよう」
マーティンの言葉にはっとする。
そうだ。
「少しの炎なら消せるものを会場の外に隠してある。夢未、とってくるまで、もも叶のことを頼む」
「わかった!」
わたしはすでに会場の大きな扉へと走るマーティンに頷いた。
そして、舞台の上――ももちゃんに向き直って、全身が固まった。
ももちゃんは白石さんの方に向かってゆっくりと近づいて行ってる!
ももちゃん、そっちへ行っちゃだめ!
一歩踏み出したその時。
ぼうっと目の前を大きな炎が燃え上がって通せんぼする。
熱い……苦しい。
身体がいうことをきかずに、しゃがみこむ。
目の前に炎が迫ってくる。
そこへ、細くて力強い水しぶきが吹いた。
「こうなったら、悪あがきするしかないわ」
モンゴメリさんだ。なんと消火器を持ってる!
「えぇっ、本焼く炎って水で消えるんですか?」
「もちろん、普通の水では無理。文学の中に登場する、美しい水や風ならば多少はその勢いを抑えるの」
そう言ううちにもモンゴメリさんは消火器の栓を抜いて、炎に向かって水をかけていく。
「こんなこともあろうかと、グリーン・ゲイブルズのきらめきの湖から酌んできたの」
きらめきの湖!
『赤毛のアン』に登場する、きれいな光る湖のことだ!
「さすがだ、モンゴメリ嬢、手伝わせてもらおう」
ケストナーおじさんももう一本の消火器で火に対峙する。
それでも炎は一向に小さくならない。それどころか、本を飲み込んで大きくなるばっかり。
あっちでも炎。こっちでも炎。
迫りくる炎の向こうに、かすかにももちゃんが見えたとき、わたしは叫んだ。
「モンゴメリさん、わたしにもそれ貸してください!」
モンゴメリさんは頷いて、座席の下から消火器を投げてくれる。
腕一杯にそれを抱きしめて、わたしは祈るように栓を抜いた。
せめてマーティンが戻るまで。
少しでも弱まれ、炎――!




