⑱ 優しい伏線路のゆくえ
本を読んでいて、なにかの訪れを予感させる文章が伏線。
この出来事のさきに続いているのは幸せ? それとも……。
パレ駅って宇宙に浮かんだお城みたい。
優しい茶色の大きな建物の上に、緑の屋根がどっしり構えられてる。その中心に二つ、小さな三角のやっぱり緑の屋根。
入ってみると、そこは広い広間でちょっとした街みたい。
周りにはいくつもガラス扉があって、奥にカフェや雑貨屋さんが並んでる。あるレストランの外には茶色いテーブルとイスが並んだアウトサイド席まである。
切符売り場は、オレンジのレンガで囲まれた窓口だった。
後ろを本棚で囲まれたそこにいたのは、肩までの髪をカールして垂らしている女の人。
「オルコットさん!」
声をあげたのはももちゃんだった。
「ハイ。生身で会うのは初めてね」
「ももちゃん、この人知ってるの?」
「話せば長くなるけど、若草物語の作者のオルコットさん」
「えーっ」
あの、四人姉妹が出てくる若草物語の!
「握手してください! あのわたし、若草物語大好きで。特に、三女のベスが――」
いつものように興奮してお喋りモードになるのを後ろからももちゃんにとめられる。
「はいはい、後でね。夢は本関係のことになるとすぐ熱くなるんだから」
モンゴメリさんが進み出て、オルコットさんと握手していた。
「久しぶりね、オルコット」
「モンゴメリ。あんたも元気そうじゃない」
二人はお友達同士みたい。
「切符売りのアルバイトをしているとは知らなかったわ」
「ちょっと買い揃えたい詩集があってね」
「あなたってほんとうになんでもするのね」
「なに言ってんのよ。元祖職業婦人とはあたしたちのことじゃない」
和やかに笑いあったと、モンゴメリさんはすっと真剣な顔になって言った。
「オルコット。千四十四番線から出る汽車の切符はまだあるかしら」
にやりとオルコットさんは笑った。
「あんたたち、運がいいわよ。これが今日の最初で最後の一枚」
最初で最後の一枚?
どういうことだろう?
「行けばわかるわ。ホームに案内するわね」
ホームに出ると、きれいな青い宇宙空間に、あちこち曲がりくねった透明の線路が浮かんでる。
すぐに千四十四番線の汽車がやってきた。
……でもこれ、汽車って呼べるの?
すごく短い汽車。
先頭の煙を出す部分と、緑の個室が一つだけだった。
「火事で大部分やられちゃってね。今定員が一人なのよ」
と、いうことは。
ナミダガラの滝はどうしたら起こせるのか。
その答えを知っている人のところに行きつけるのはこの中で一人だけってこと。
わたしは一歩足を踏み出した。
「わたし、行ってくる」
「そうね、それがいいわ」
オルコットさんは切符をわたしにくれた。
かわいいユリと汽車、それから本の模様が描かれてる。
「どこに辿りつくかわからない旅に、夢一人で? だめ、そんなの。オルコットさん、あたしも行く」
「一人しか汽車に乗れないって言ったでしょ。この子に任せなさい。答えに辿りつける相が出てる」
ももちゃんはぷくっとほっぺをふくらませた。
「信用できるの、それ」
「あら。あたしの占い、当たったでしょ? あんたにはほんとうに恋が訪れた。夢に溢れたロマンチックな恋が」
ももちゃんは真っ赤になった。
「それは……」
「そしてあんたの親友には危機が訪れた分、それを解決できる力みたいなものが強まってるの。免疫力っていったらいいかしら。つまり、汽車に乗れば知りたい答えに辿りつける可能性が高いということよ」
ももちゃんはじっと黙って、考えてるみたいだった。
「オルコットの予言は外れたことがないわ。もも叶。今回はわたくしたちは留守番ということにしましょう」
モンゴメリさんにしぶしぶ頷いたももちゃんにわたしは元気よく言った。
「大丈夫だよ。答えをつきとめて、絶対戻ってくるね」
「約束だからね、夢」
ももちゃんと小指をからめて、同時に呟く。
「鋼の誓い」
『飛ぶ教室』で男の子たちが約束の時に使う言葉。
ぷしゅっと音をたてて汽車の扉が開く。
「気を付けて行っておいで。君ならきっと答えを導ける。信じているよ、僕のロッテちゃん」
ケストナーおじさんの声に送られて、わたしは汽車の扉の前に立った。
「ではお客さん。行先は?」
オルコットさんに、なるべくきっぱりと響くように答えた。
「どうしたら本焼く炎を消す、ナミダガラの滝が出てきてくれるか。その答えまで」
がたごと揺れる個室の中で、わたしは外の景色を見てた。白いユリやピンクのバラ、その中の小さなブーフシュテルンが現れては遠ざかってく。
火事のあとだからかな。花たちの数が減ったように思う。
お花さんたち、待ってて。
必ず守ってみせるから。
「間もなく、ナミダガラの滝の呼び出し方。終点です」
車掌さんのアナウンスに、あわてて席から立ち上がる。
汽車の個室の扉がひとりでに空いて、わたしは外に出た。
あれ。
目に飛び込んできたのはなんと、見慣れた本棚や流れ星型の看板だったの。
ここ、星降る書店の六階……!?
「車掌さん、道、間違えてますっ」
振り返ったけどそこにはもう汽車も扉もなにもない。
かわりに本のいっぱい入った段ボールを抱えた星崎さんがいて不思議そうにこっちを見てくる。
「あれ、夢ちゃん。まだいたの?」
「えっ。その、いえ、そうじゃなくて……」
なんて答えようか迷ってると、星崎さんは笑顔はそのままに、ちょっと怒ったように眉を吊り上げる。
「さてはまだ、豪華な夕飯を買うのをためらってるね」
「い、いえ。ちが――」
「意外と強情だなぁ」
今度はおかしそうに笑ってる。
わたしは手に握りしめた切符がなくなってることに気付いた。
行先は……ここで間違ってないってことかな。
ナミダガラの滝をどうやったら呼び出せるか、その答えを知ってるのは星崎さんってこと?
でもでも。
ナミダガラの滝どころか、伝記本から文学者の人たちが出てこられることとか、物語の庭の存在すら知らないはずの星崎さんに、本焼く炎を消す滝はどうしたら起こせると思いますかって訊くわけにはいかないしなぁ。
うーんどうしよう。
考えていると、ふと、すぐ側の本棚が目についた。
大人向けの特集のコーナーだった。タイトルは、『ページを開いたら別世界。聖夜に読みたいファンタジー』。
それを見て、ピンときたんだ。
「わたし、おもしろい本を見つけちゃって! 星崎さんにお話ししたくて」
「慌てなくても、家でゆっくり聞くよ。盛大なパーティーでね」
『盛大な』を強調して言う星崎さん。
やっぱりまださっきのこと気にしてるのかな?
「今夜は、お野菜もお肉もいっぱい買って、たくさんごちそう作って待ってます」
「ありがとう。でも遅くなっちゃったし、オレももうじき上がりだから、一緒に地下に寄って帰ろうか」
あ。
もうそんな時間?
外を見ると、赤い夕陽が夜の紫に大分追いやられていた。
星崎さんのお手伝いをしてようやく出来上がったごちそうに感動して、わたしはしばらくテーブルに見入っちゃった。
ローストチキンは持つ部分を赤いリボンで飾ってある。
ジャーマンポテトも、サーモンのマリネもおいしそう。
いただきますって言ってから夢中で食べちゃった。
ご飯がそろそろなくなる頃。
わたしは冷蔵庫からあるものを取り出したんだ。
ナプキンで覆われたトレイを星崎さんの前に出す。
実は、もう一つメニューがあるの。
「デザートです」
わたしはナプキンを取り去った。
ハート型のクッキーの上をチョコレートが覆っている。外側を白いお砂糖でふわふわと飾り付けたの。
真ん中に、ピンクのチョコレート・ペンで星崎さんへって書いたの。ももちゃんは、アイラブユーにすべきとか言ってたけど、さすがにそれはできなかったんだよね。えへへ。
「すごい。上手にできたね」
そうなんです。
さっきももちゃんが、手作りデザート、星崎さんにプレゼントしちゃいなよって囁いてくれて。
星崎さんがご飯作ってる横で頑張って一人で作ったの!
「レープ・クーヘン、久しぶりだな」
そう。
これはドイツのお菓子で、『飛ぶ教室』にも出て来るんだよ。
「おいしいかどうか、わからないんですけど」
星崎さんは大切そうにハートの隅をきりわけて、手に取って、しばらく見つめたあと、
「口、開けて」
わたしの方に差し出したの!
えぇっ。
そんな。
食べさせてくれるってことだよね。
恥ずかしいけど、こんなチャンス、二度とないかも。
わたしは決心して、口を空けたんだ。
ぱくりとケーキを口に入れて、もぐもぐ。
ううっ!……泣きそう。
「うわ~ん、失敗しちゃった」
がっかり。
甘すぎて、あんまりおいしくない。
謝ろうとして星崎さんを見ると、声を出して笑ってる。
「夢ちゃんはいつも期待を裏切らないね。絶対引っかかってくれると思った」
へ?
どういうこと?
「失敗なんかじゃないよ。レープクーヘンっていうのはこういう味なんだ」
えぇっ。
『飛ぶ教室』では確か、子どもたちが楽しみにしているものって書かれてたような。
「ドイツと日本の味覚の違いかもね」
星崎さんはレープクーヘンの欠片を口元に持っていって微笑んだ。それからどきっとするような声で、囁くように言ったの。
「これはしばらく飾っておくよ。ドイツでは好きな人からもらったレープクーヘンはそうするんだ。」
ええっ。今の、どういう意味?
訊き返す間もなく、星崎さんはすぐにこう訊いてくれた。
「それで、夕方の話だけど。今度はどんな本に夢中になってるの?」
そっか。
それを話さなきゃ。
わたしは、さっき星降る書店でひらめいたことを話した。
「ファンタジーです。
そこは、本が不思議な力を持つ世界で。
本を焼く悪い炎が現れて、それを消すには、伝説の滝が必要なんですけど。
奇跡が起きないと、現れてくれないんです。
どうすれば奇跡が起こせるんだろうって、主人公たちが頭を捻ってて。
最後のページを読んだら下巻に続くって書いてあって。
その下巻はずっと学校の図書室で貸出中なんです。
その方法が気になってもう、夜も眠れなくて」
あれれ。
ひょっとしてわたし、作り話うまい?
ケストナーおじさんやモンゴメリさんみたいな作家になれちゃったりして! なーんてね。
「おもしろい本だね」
星崎さんは興味深そうに訊いてくれた。
うう。なんかちょっと悪いような……。
「物語の先を想像するには、もう少し情報がほしいな。主人公はどんな人物なの?」
えぇっと。
ちょっと考えたら、すぐに答えられた。
「女の子です。本が大好きで。でも臆病なんです。言いたいことが言えない」
「そう。それじゃ、その主人公には、悩みとかもあるのかな」
「……はい」
喋っているうちに、悲しくなってくる。
「好きな人からもらった大事な本を、壊しちゃったんです。もう直らないくらいぼろぼろに」
泣きそうになった。
星崎さんからもらったあの『南海千一夜物語』――今どこにあるかわからないけど。
きっとひどいことになってる。
お父さんが真っ二つに引き裂いたのをはっきり見たんだ。
本が泣いてるのが、聞こえる。
わたしには聞こえるの。
「わかった。ひらめいたよ。多分だけど」
星崎さんの声が悲しい心に寄り添ってくれるみたいに響く。
「その主人公の子が自分の気持ちを叫ぶシーンが鍵になるんじゃないかな。
その女の子はきっとすごく優しい子なんだよ」
溢れてくる涙を拭って、なんとか答えた。
「どうかな。そういう性格描写はなかったから、わかんない、です」
「よく読んでごらん。行間に含ませてあるよ。
臆病で言いたいことが言えないっていうのは、人を傷つけてしまうのが怖いからなんだ。
心がきれいすぎるから、結果として、自分ばかり傷ついてるでしょ」
星崎さんの言葉を聞くたび、涙が止まらない。
「そんな、心がきれいすぎるなんて。そんないい子じゃないと、思います。ただ、泣き虫で怖がりで、逃げてばっかり」
それでも星崎さんは優しく首を振る。
「優しくて、ほんとうは強い子なんだと思う。本を壊した人を庇って、自分が壊したって言い方をしてしまうくらいだからね。
そういう主人公の性格。これは伏線だね」
伏線っていうのは、物語の中の、結末や出来事を予感させる部分のことなんだ。
ほら、本を読んでると、きっとこの人なにか秘密があるな、とかこのあと事件が起きるなって思うことない?
そう思わせる文章を伏線って言うんだよ。
「女の子のそういうきれいな心が、もう少しだけ、勇気を得て、外の世界に羽ばたく瞬間に、きっと奇跡は起こる」
最後に星崎さんはそっと言ってくれた。
「大丈夫だよ、夢ちゃん」
ずっとあとになって気が付いた。
女の子の本がほんとは他の人から壊されたなんて、わたし言ってない。
なのに星崎さんは言い当てたんだ。
これがどういうことかなんて。
わたしはこのときそんなことには全然気付けなかった。
なんにも知らないで、彼の優しさに守られてた。
今思うと、これも後に続く運命の伏線だった。
優しさが奇跡の伏線だって星崎さんは言ったけど。
銀河鉄道の夜を旅した少年の親友が、優しいからこそ命を落としたように。
文学の中では優しさっていう伏線がはられていたら、その線路は悲劇に到着することだってあるって、知ってたはずなのに。
星崎さんに見守られて、安心しきっちゃってた。
だから気が付けなかった。
本棚の影に、専用のテープやボンドで一生懸命に修理してくれた、『南海千一夜物語』が横たわっていたことにも――。




