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~épilogue~

後篇も同時に投稿しておりますので、未読の方は是非、後篇~trois~から先にご覧下さいませ。

 


「卒業生代表、ララティーナ・ド・ジーベルージュ」



 名を呼ばれたララティーナが、凛とした表情で悠然と壇上に向かう。

 この日の為に新調されたドレスは、亜麻色のビスチェの下にシフォンを重ねたプリンセスラインのドレス。全体的に銀糸で豪奢な刺繍が施されている。

 卒業パーティーという一生に一度の晴れの舞台用のドレスとしてはやや地味な色合いであったが……勿論、亜麻色と銀糸、という色には特別な意味が籠められており、

 また、ララティーナの完璧な肢体を飾るのであれば、この程度の色合いが完璧な調和の手助けをしていると言っても良い程、その日のドレスは彼女に似合っていた。



「皆さま、ごきげんよう。只今、ご紹介に与りましたララティーナ・ド・ジーベルージュでございます。

 この度はわたくし共、卒業生の為にかくも多くのお客様にお越し頂き、誠に恐縮でございます」



 鈴の鳴るような声でそんな挨拶をした後、一歩下がって完璧な淑女の礼(カーテシー)を披露するララティーナ。

 そうして暫く後、顔を上げた彼女の表情に、見守っていた全ての人々が息を飲んだ──その、誇らげな美しい笑顔に。



「ヴェールズ学院。この伝統ある学院で、共に切磋琢磨し、お互いを高め合った同胞の方々。卒業、誠におめでとうございます。

 皆様方と共に学び得たこの時間を……わたくしは一生誇りに思うでしょう。それは、これからのわたくし達の人生にとり、宝物となるに違いがありません。

 そして、そんなわたくし達を教え導いて下さった先生方に心からの感謝を捧げると共に……これから、世界に()で、様々な立場で己の役割をこなして行くのに当たり、そのかけがえのない教えは珠玉の宝物(ほうもつ)として……そして誇りとして、我々の心の奥底に一生存在して行くものだと、今、わたくしは実感しております」


 嫣然と微笑んだ彼女の瞳に、キラリと光るものがある。

 それは、これからの重責に対する不安か、それとも未来に対する希望なのか。

 だが、決して悲しいものではないと実感せざるを得ないその美しい涙に、人々は溜め息を漏らす事しか出来ずにおり、只管に壇上の美しい卒業生に視線を注いでいた。


「名のある家に生まれ、これ以上ないくらいの深い愛情を注いで下さった愛する家族の皆さま、今、わたくしはその愛に深い感謝を捧げると共に、これからの自分に齎される責任の大きさに少々打ち震えております。

 ですが、この学院で学んだこと、出会った人々、掛けられた言葉、経験した一つ一つの出来事。

 決して幸せな物ばかりではありませんでした。時には、心を尽くして支えて来た方からの裏切りを経験したり……自分の才能に絶望したり、或いは恋に破れて自暴自棄になったり。

 未だ若いわたくしたちは、決して真っ直ぐにここまでの道を進んで来たとは申せません。その度に涙を流し、道を踏み外しそうになった同胞も、確かにいたことでしょう」


 その言葉に、一年前に彼女に起きた悲劇を知っている人々が、そっと涙を拭う。

 完璧な淑女であった彼女が、謂れの無い罪を断罪され突然に婚約を破棄された事件。それは今でも、この国に語り継がれる悲劇の一つである。

 だが、その彼女が今、キラキラとした笑顔を以て壇上に立ち、卒業生代表としてスピーチをしている様に、人々は目や耳を集中してその言葉に聞き入っている。


「けれど! その経験の一つ一つが、今のわたくし達を形成しているのです。

 これから先、また悩んだり、歩む道に迷ったりする事も多々あるでしょう。しかし、そんな時は、共に学んだこの学院での時間を思い出し、自分は一人ではないと改めて実感して頂きたい。

 わたくし、ララティーナ・ド・ジーベルージュは、今日卒業を迎える皆々様の同胞であると共に……些細な事に悩み、不安を抱き、時には涙する、一人の小さな人間です。

 けれど、そんなわたくし達が集えばきっと、この国をもっと栄えある国に導いて行けると信じております。

 それを教えて下さった先生方、愛する家族の皆さま、今日(こんにち)まで、わたくし達を教え導いて下さり、本当に有り難うございます。

 わたくし達卒業生は、今日この日を以て学院は卒業致しますが……これから尚一層、国の為、人民の為、そして……愛する方々の為に、粉骨砕身、努力する事を誓わせて頂き、卒業生の挨拶に代えさせて頂きます。

 ……ご清聴、誠に有り難うございました」



 そうして再び完璧な淑女の礼(カーテシー)を披露する彼女に対し、会場から割れんばかりの拍手が送られた。

 顔を上げ、その賛辞を一身に受けるララティーナ。

 ……その瞬間(とき)。ポロン、と、ピアノの音と思しき美しい旋律がその場にいた人々の耳に聞こえて来る。


 ハッ、と、楽団がいると思われる場所に目を向けると。



 亜麻色の髪を一つに纏めた男性が、優しい笑顔をその顔に浮かべ、次々と美しい音階を披露していた。



(──シエル先生!)



 壇上に立ったままのララティーナが、その麗しの(かんばせ)を喜びでいっぱいにする。

 そんな彼女の様子を満足気に眺めた奏者は、微笑みを乗せたまま、美しい音楽を披露している。

 そして、そんな彼の音楽に呼応するかのように、側にいた弦楽器や管楽器や木管楽器が次々に担当する音階を美しく演奏し始める。

 ……それは、この場にいる誰もが聞いたこともない、美しく優しい旋律であった。


「……ねぇ、今、ピアノを弾いてらっしゃるの、シエル・クーヴレールじゃない!?」

「まぁ、本当だわ! 突然姿を晦まして、生存すら危ぶまれていたと言うのに……確かにこの音律はシエルのもの……けれど、以前よりずっと優しい愛に包まれているようね……」


 突然現れたピアニストの正体に騒然とする会場。

 半年前、突如姿を消した天才音楽家、シエル・クーヴレールの突然の登場に気付く人も多く、会場はザワザワと喧騒に包まれる。

 だが、やがてそんな喧騒が、彼の紡ぐ新曲の邪魔をするだけだと悟った人から順に口を閉じ、周囲で尚も言葉を発している人々に閉口を頼む人が増え、やがて会場は美しい音楽のみが満ちる場へと変貌して行った。


 ……と、突然、メインとなる音を紡いでいたシエルが、壇上のララティーナに対し視線を向け、左手で音楽を紡ぎながら、身体を少し左に寄せ、

 トントン、と、右手で空いたスペースを叩き、おいで、と、挑発するように彼女を見やる。



(──シエル先生ったら。こんな素晴らしい音楽に乱入するなんて野暮だと思いますのに……けれど、そうね。わたくしも、今こそ共に奏でたいですわ!)



 子どものように微笑んだララティーナがドレスの裾を掴み、彼の隣に座るまでの数十秒。

 周囲の人々は既にシエルの音楽に魅了されていた為に、突然、彼の隣に座った彼女が空から舞い降りた天使なのではないかという錯覚さえ抱いてしまう。



 そうして、彼女がその小さな椅子にシエルと共に座り、高音を彼女、低音をシエルが担当して、再び紡がれた音楽は、まさに『女神の悪戯』というべき、素晴らしいものであった。

 周囲で伴奏を担当しているプロの楽団でさえ、二人の演者に合わせるのが精いっぱいといった態で……指揮者も困惑しながらも、やってやろうじゃないか、という微笑みを乗せ、タクトを力強く振っている。


「……シエル先生、わたくし、この曲は初めて聞いたのですけれど!」

「……君の為の楽曲ですよ、君に紡げない筈がないでしょう!」


 ピアノ奏者の二人がそんな事を言いながら破顔した。

 その一瞬の表情を目の当たりにしてしまった──特にララティーナから一瞬も視線を反らすことの無い熱心な信者たち、

 例えばリオネル、クリストフやアーリエッタ、今では性別を越えて彼女の親友となっているジャンは思わず顔を背ける──その表情は眩しすぎて、直視するには少し扇情的過ぎたから。


 そうして暫くの間、演奏は続いていたのだけれど。


 やがて、シエルが右手を鍵盤から放し、ララティーナの美しい曲線を描く下顎をクイ、と自分に向ける。



「……迎えに来ましたよ、ララティーナ。……どうか私と、結婚して下さい」



 興奮の中にも照れた表情で、自分にそんな言葉を告げるシエルの瞳を真っ向から受け取ったララティーナ。



「……お待ちしておりましたわ、シエル先生。……お婆ちゃんになる前にお越し下さり、安心しましたわ」



 この世の幸せを全てその微笑みに籠めたと言わん程、幸せな笑顔を彼に──想い人に向けたララティーナ。

 そんな二人の左手と右手が、最後の一音を気高くも美しく奏でた瞬間。



 二人の唇が、そっと、合わさった。




「ブラヴォーーーー!!!!」



 最初に声を上げたのは、恐らく国王。

 突然の口付けに、あっけに取られていた人々もやがて、想い合う恋人達に感嘆の拍手を送る。

 素晴らしい音楽と、人々が願って止まなかった悲劇の女神──ララティーナが真実の幸福を得た瞬間を目撃した事に深い感動を覚えながら。


 自分達に向けられる惜しみない賞賛と祝福の拍手の洪水を受け、そして、気分が高ぶったとは言え人前で口付けを披露してしまった気恥ずかしさに、二人は頬を紅潮させて微笑む事しか出来なかったのだけれど。

 ピアノの椅子の上で重なったままの手から感じる、お互いの温もりに深い幸せも確かに感じていた。



「……ララティーナ、今こそ君に、月になど準えずにこの気持ちを伝えたい」



 そうしてシエルの唇がそっと、ララティーナの耳元に寄せられる。

 盛大な拍手の洪水の只中で、その一瞬だけ、時が止まり、全ての音が消え、世界に二人だけになったような錯覚を、その時ララティーナは感じていた。



「……愛しています」

「……わたくしも」



 重なったままのその手をキュッと握ると、音楽の女神に捧げられたと言われているその手に存外強い力が篭り、ギュッと握り返してくれる。

 生まれて初めて感じる『幸せ』に、ララティーナの麗しの(かんばせ)に満開の花かと錯覚すらしそうな笑顔が咲いた。



 その、幸せに満ちた笑顔の直撃を受けて、会場内では卒倒したり鼻血を出したりして医務室に担ぎ込まれた者が続出したという。

 だがそれは、一年前の悲劇を払拭するには充分過ぎる幸せなエピソードで、この日の卒業パーティーもまた、永く語り継がれる伝説のパーティーとなったのであった。




 ──こうして、その日まで『悲劇の女神』という有り難くない肩書を付けられていた絶世の美女、ララティーナ・ド・ジーベルージュはこの日より『音楽の女神』と称されることになる。

 生涯を国の為に尽くすと誓った彼女の隣には、宮廷音楽家、そして稀代の作曲家として人気を博したシエル・ド・カスティニエが夫としていつでもそっと寄り添い、

 この後、カスティニエ王国の歴史上稀に見る鴛鴦(おしどり)夫婦としての第一歩を、この時二人は歩み出したのであった。



 後の歴史書によれば、王族の養子として迎え入れられたシエル・ド・カスティニエはこの後、次々に素晴らしい音楽を遺し、また、次代を育てるべくその手腕を発揮したと言われ、

 その彼を支え、時には共に作曲したとすら言われている、歴代随一の美女、ララティーナ・ド・カスティニエは、この後何人かの子を儲け、幸せに暮らしたとされている。

 そして、彼等が生きた時代は、王国の歴史の中で最も繁栄した時代であり、この時代に生まれた数々の音楽や文学はこの後も永く歴史に残り、人々に愛され続けるものとなったのである。



 そんな彼らがこよなく愛したのは『月』。

 彼らは度々、家族や信頼する友の為に、王宮に設置されたガラス屋根のガゼボの下のピアノに仲良く座り、演奏会を実施したと記録されているのである。




これにて完結となります。

お読み頂き、本当に有り難うございました!


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