20.星下、迎え撃つ
火焔に包まれた国民防衛戦線本部事務局が崩壊するさまを、国民防衛戦線の関係者は呆然と、野次馬根性で押し寄せた市民は小気味よさそうに、そして現場を封鎖する公僕たちは無表情で眺めていた。「新王国を目に見えない侵略から守ろう」「国家と家族を守るために立ち上がろう!」などと書かれた看板が、塵灰と火の粉を撒き散らしながら落下する。
それを見ていた人々の間からは、歓声すら上がりそうであった。この場は悪意で満ち満ちていた。ざまあみろ。これぐらいじゃまだ足りない。人々は更なる制裁を待ち望んでいた。
「くそくそくそくそッ! 貴様ら、何を突ッ立っている!」
そんななかで型落ちの軍服を纏った男、国民防衛戦線の幹部だけが火事場の騒音に負けじと騒ぎ立て、現場を封鎖する警官たちに食ってかかっていた。
「これは放火だ! カヴェリアの連中がやったに決まっている、さっさとあいつらを全員まとめて逮捕しろ!」
時機が時機だけに、これは間違いなくデモクラシアの報復だ。そう思い込んだ国民防衛戦線関係者たちは、怒りの感情を特に何をするわけでもなく現場で立哨する警官たちへ向けた。
が、詰め寄られた警官たちは苦笑を浮かべ、同輩同士で目を合わせては含み笑いをすると、余裕の対応をみせた。
「冷静になってください。犯人ならば、すでに現行犯で逮捕しております」
「なにィ!?」
「まあ、ちなみに申し上げますと、反戦平和団体カヴェリアとは無関係の男ですがね」
なに、と国民防衛戦線の関係者たちは一瞬、鼻白んだ。
「そ、そんなはずがない。これは売国勢力カヴェリアの陰謀だ!」
が、なおも食い下がる国民防衛戦線幹部。
それに対する警官たちの反応は、どこまでも冷淡であった。
「売国勢力、ねえ」
「あのねえ、陰謀論をぶちあげるのも結構だけど、こっちは真面目にやってんの。それともあんたたち、俺たちがいいかげんに素性の調査をやってると思ってんの?」
事実、現行犯逮捕された放火魔は、まったくカヴェリアと関係のない無職男性であった。暇を持て余していた彼は、ちょっとした義憤に駆られるまま、火炎瓶を国民防衛戦線の本部事務局へ投げ込んだのである。しかも彼は罪の意識もほとんどなく、警察の取調べに対して「別にあいつらに何したっていいだろ」と開き直ってみせた。
実際、世論は全面的にカヴェリアを支持していたし、一方の国民防衛戦線に対しては、「何をしても構わない存在」「何をされても仕方がない存在」という認識が広まりつつある。
放火を敢行した男性は当然、法によって処罰されることになる。が、しかし、市井の人々からはよくやった、とばかりに喝采を浴びることになった。
このとき市民たちは、デモクラシア・オルテル・ライオによって明示された「わかりやすい悪党」が、完膚なきままに叩きのめされることを望んでいたのであった。
当然、国民防衛戦線の幹部たちは焦燥感に駆り立てられるまま、雇い入れた刺客にデモクラシアの殺害を再依頼する。
◇◆◇
エイシーハ北区。
屋根から屋根を伝い、夜闇に紛れて疾走する黒い影を、星光煌かせる流星が迎え撃った。1発音間(1秒間)の短い剣戟。競り勝ったのは白銀の板金鎧を纏った迎撃者であり、漆黒の外套を被った冒険者は、たまらず飛び退った。
大跳躍。建ち並ぶ民家を2軒飛び越す。
そして3軒目。民家の瓦屋根の上に、音もなく着地した彼――黒獣は自身の得物を冷静に構え直し、突如現れた敵を見やった。頭頂から爪先に至るまでを装甲板で固めた敵は、両手剣を大上段に構えたまま彫像めいて、先程の位置から動いていない。
(【自重制御】の技能か)
目の前の敵が自身と同類であることを、黒獣は悟っていた。魔力操作を極め、世界の理から脱した冒険者だけが習得出来る技能、【自重制御】を相手が使っているのは間違いない。でなければ、体重と板金鎧と両手剣の重量があってなお、民家の貧弱な屋根の上に立っていられるはずがない。
そしてなによりも黒獣は、突如として現れた迎撃者と面識があった。
(楽に勝てる相手ではない)
相手の表情は、面甲に隠されているせいで窺えない。
黒獣は中段に剣を構えたまま、攻め口を探す。
と、同時に時間稼ぎの無駄話をはじめた。
「デモクラシア・オルテル・ライオを守るつもりか」
「ああ」
迎撃者は、静かに頷いた。
天を衝く両手剣の剣先は、微動だにしない。
が、黒獣は口撃を畳み掛けた。
「同じ冒険者なら【超越凝視】で分かるはずだ。彼女の生涯を、時間を超越して見てみろ。彼女を始末しなければ、近い将来1000万を超える人間が、『自由民主主義に対する大逆罪』などというふざけた罪状で粛清される。それだけではない。彼女は自身の欲求のまま、大戦を引き起こす」
「それがどうした」
「1000万。いや……1億の生命と、自身の妹。どっちを取るつもりだ?」
黒獣の問いに、迎撃者は――シイス・オルテル・ライオは決断的に言い放った。
「おれはデモクラシアをとる」
「そうか」
「逆に問いたい。お前は1000万、1億の生命を尊いと、守りたいと思っているのか?」
「いや。正直、私もどうでもいい」
次の瞬間、黒獣が動いた。
彼は膨大な魔力を噴射し、1宴120万歩間(=時速600km)という超高速で空中へ翔け出した。しかも【速成障壁】で虚空に足場を作りながら、空中で変則的に多段跳躍し、迎撃困難極まる機動をとる。こうして白銀の迎撃者との距離を、一瞬で詰めた。黒獣の握る両手剣が、魔力の残光を曳く。
が、シイス・オルテル・ライオには、黒獣の戦闘機動など、とうの昔に予知えている。乾坤一擲、黒獣が空中で身を捩って繰り出した袈裟懸けの一撃を、シイスは最小限の動作――半身になりながらの半歩後退――で回避し、重量のない両手剣を操って黒獣への反撃を繰り出した。
一方、自身の攻撃を避けられることが、予知えていた黒獣もまた、音もなく着地すると同時にシイスの斬撃を防御する――が、その斬撃を繰り出す速度は、あまりにも高速に過ぎた。
黒獣が纏う外套が、瞬く間に破れ散る。一方、空気との摩擦熱によって加熱され、赤色に輝きはじめたシイスの両腕は、攻撃の手を緩めるどころか、更に激動をみせた。
当然、黒獣は抵抗しきれない――が、彼にも冒険者としての矜持がある。退くわけにはいなかった。
「単純な数の論理だ、ここは譲れ。お前には道徳というものがないのか」
「たかが1億の生命のために、デモクラシアが犠牲になる必要はない」
黒獣の全身からは、鮮血がほとばしりはじめる。
史上最悪の独裁者の兄が繰り出す連撃速度は、並の冒険者が備える自己再生速度を遥かに上回っていた。全身に刀傷を受け、斬り飛ばされた両腕や抉り取られた内臓を幾度となく瞬時再生させながら、戦う黒獣は激痛に苛まれながら、それでも勝機の見えない戦いを続ける。
が、黒獣はこのとき、口の端を歪めて笑っていた。
国民防衛戦線から依頼を受け、黒獣ははじめてデモクラシアを予知た。そのとき彼は自身が憎んだ世界が、デモクラシアによって完膚なきまでに破壊される光景を幻視したのだ。愚かしいが無実の人々が「自由民主主義に対する罪」「平和に対する罪」の名の下、自らが掘った穴の縁で次々と射殺され、暗い穴底へ力なく崩れていく光景は、実に滑稽であった。
彼は半ば狂人だった。
敗北してデモクラシアが、史上最悪の独裁者になるもよし。
この強敵を打破し、将来に大権力を握るはずであった彼女を惨たらしく殺すのもまた愉悦――。
「最強の冒険者も、妹離れはまだか?」
「おれはまだ人間を辞めきったわけじゃない、必ず家族は守る。それが普通の人間として、おれが死守する最後の人道だ。たとえ世界人類60億が敵に回ったとしても、その60億ことごとく斬り捨てる」
「普通の人間なら、まずそういう考えには至らないだろうよ――」
次の瞬間、黒獣は横薙ぎの一撃を受けていた。
シイスの凶刃は黒獣の脇腹を抉り、骨を砕き、臓腑を輪切りにし――こうして分断された黒獣の上半身と下半身は、空中に吹き飛ばされる。
「痛てえ」
空中で飛び散った肉片と血液を回収し、上半身と下半身をくっつけた黒獣であったが、その過大な自己再生による肉体への負荷は大きい。上限ある魔力操作量を破壊された細胞を整形し、傷口を塞ぎ止めることに注ぎ込んだ黒獣は、受身さえもとれないままに路上へ無様に叩きつけられる。
そこへ白銀の風と化したシイスが、追撃を掛けた。
民家の屋根から、両手剣を大上段へ振り被りながら跳ぶ。当然、この高度。この姿勢からシイスが放つ一撃は、迷いなき垂直方向への一刀振り下ろし。
これを黒獣は膝立ちのまま、得物を翳して防御すべく動く。上下方向の単純な剣筋だ、防げないはずがない――。
「があ゛っ」
だが現実には、黒獣は潰された。
【自重操作】により一瞬にして大重量と化したシイスの両手剣は、暴虐的衝撃を生み出し、黒獣の得物を刀身半ばまで破壊した。と、同時に彼の柄を握る指と得物を支える腕が、衝撃に耐えきれずに捩れる。そして黒獣の足下、路面の石畳は放射状に砕け散り、彼の足首が埋まっていた。
「まあデモクラシアが、特別かわいいのは否定しない」
大上段へ両手剣を構えなおす、シイス・オルテル・ライオ。
対する黒獣には、既に武器を握るだけの握力が残されていない。が、諦めるつもりはなかった。彼の周囲の魔力が帯電し、白い稲光をほとばしらせる。常人ならば容易く感電死せしめる雷撃が、シイスの板金鎧を舐めた。
しかしながら魔術戦でさえ、黒獣はシイスにかなわない。
暴力的電撃は狂信的な妹思いの兄に届かず、一方では黒獣の身体が勝手に発火を始めていた。
「そういえばお前の妹も、火焔や爆発の魔術を使っていたな。血は争えないというわけだ」
「我が一統は魔力を燃焼させる術に長けているのさ」
黒獣の細胞ひとつひとつに充満する魔力が、シイスによって燃焼させられている。当然、魔力を利用して自己再生する冒険者の異能は、これに対しては無力だ。一発音、一発音経つ度に、体内の魔力が燃焼させられ、消費されていくのだから当然である。
10発音(10秒)もしない内に、黒獣の肉体のほとんどは炭化し、四肢は完全に崩壊していた。
それでも彼は、最後まで歪んだ笑いを浮かべて、言った。
「せいぜい、全人類60億を、撫で斬りに出来るよう、鍛錬しておくんだな。彼女の、敵は、この、冒険者、界隈、でも、多い、ぞ。そう、長く、生き――」
「この世界の存在意義は、デモクラシアを満足させることにあるのだ。
デモクラシアのために世界は創造され、デモクラシアのために人々は産まれてきた。彼らがデモクラシアを傷つけることなど、あり得ない。あってはならない」
「最高に、狂ってるな」
ついに火焔が肺や脳にまで回った黒獣は、もう喋ることが出来なかった。
「まだ冒険者などというくだらない稼業を続けているのですか」
灰燼と化した哀れな冒険者を踏み躙り、死闘の痕跡を消しはじめた白銀の武者に、声が掛けられる。裏路地の闇から、その声の主があらわれる。紺を基調とする制服、捻じ曲がった左脚、漆黒の髪と瞳――デモクラシアの忠実なる従者は、死闘の一部始終を目にしていた。
デモクラシアの召使と、デモクラシアの兄との間には、当然面識がある。
「くだらなくて結構だ」
シイスは下ろしたままの面甲を上げることもなく、くぐもった声で彼女に応じた。
「労働し、納税し、投票するのはおれの性に合わない。それにおれは勘当された身だ、勝手にやらせてもらう」
「もうご当主さまはお許しになると思いますが」
「それよりもデモクラシアに伝えろ、もっとおれを頼れとな。先の不当逮捕の件もな、もう少し長引けば――」
「エンドラクト国家警察官1万3000名を斬って捨てるおつもりでしたか」
「いや。勝手におれが動けば、デモクラシアは烈火のごとく怒るだろう。昔からそうだ、あいつは“余計な親切”を嫌う」
冒険者の中でも格別の実力をもつシイスが、デモクラシアの前に姿を現さないのは、こういう事情があった。
なにより彼は、自身が妹に嫌われている、という自覚があった。デモクラシアは高慢な精神の持ち主だ、自身の制御下に収まらない絶大な力を憎んでいる。冒険者の刺客に付け狙われた今回ばかりは、さすがに矜持を捨てて、助太刀を頼んできたが――だがしかし彼女にとってそれは屈辱的な選択であっただろう。
「ではな」
両手剣を肩に担ぎ直したシイスは、デモクラシアの傍に控え、その身辺を守る盟友に背を向けた。




