↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/21

第21話 セリナの願い


 翌朝。

 レインが目を覚ます少し前――。

 薬屋の奥の寝室で、セリナはエリナのベッドに寄り添い、楽しそうに話していた。


「それでね、ママ。レインってば、D級になったのよ」

「まあ、そうなの?」


 エリナが優しく目を細めると、セリナは少し得意そうに頷いた。


「うん! 冒険者になったばかりなのに、もうD級なのよ」

「ふふっ。セリナも嬉しそうね」

「だって、レインが頑張ってるんだもの」


 セリナは嬉しそうに笑った。


「でも、無理してないかは心配なの」

「レインくんのこと、よく見ているのね」

「だって、この前も私をかばって……」


 そこまで言って、セリナは口を閉じた。

 森で、自分をかばってくれたレインの姿が頭に浮かぶ。

 あのときのことを話せば、母をまた心配させてしまう。

 セリナは顔を上げ、話を変えた。


「今度、顔を見せに来てもらおうか。ママも、少し調子がいい日に……」

「ええ。私も……こほっ」


 エリナが口元を押さえた。

 一度だけだった咳が、続けて出る。


「ママ?」


 セリナは椅子から立ち上がった。

 細い肩が揺れる。

 背中へ手を添え、そっとさすった。


「お水、飲める?」


 エリナは小さく頷いたけれど、すぐには手を伸ばせなかった。

 セリナは卓上のコップを持ち、咳が落ち着くのを待つ。

 ようやく受け取った母の指は、冷たかった。


「……ありがとう」

「お薬も、飲もう。まだ残ってるから」


 用意してあった薬を渡し、身体を支える。

 エリナは少しずつ飲み、息をついた。

 セリナは空になった器を置き、ベッドの脇へ座り直した。

 しばらく待っても、母の呼吸は楽にならない。

 胸元に置いた手が、浅い息に合わせて上下していた。


「ママ……苦しい?」

「少し、休めば……大丈夫よ」


 微笑もうとした唇から、また咳が漏れる。

 セリナは立ち上がり、扉へ向かった。


「お父さんを呼んでくるね。すぐ戻るから」


 廊下へ出ると、薬を片付けていたルーカスが顔を上げた。


「セリナ?」

「ママ、薬を飲んだのに、まだ苦しそうなの」


 父はすぐに器を置き、寝室へ入った。

 セリナもあとについて戻る。

 ルーカスはエリナのそばに膝をつき、顔色と呼吸を確かめた。


「エリナ。横になれるかい?」


 母が頷く。

 二人で枕を外し、ゆっくり身体を寝かせた。

 セリナは掛け布を直しながら、父の顔を見る。

 ルーカスは母の手を握ったまま、しばらく黙っていた。


「……お父さん」

「ドロップリーフを採ってきてほしい。残っている分だけでは、次の薬を作るには足りないんだ」

「分かった。私、行ってくる」


 そう答えてから、戸口で足が止まった。

 森へは、一人で行けない。

 籠へ伸ばしかけた手を握る。

 ルーカスが、こちらを見た。


「護衛を頼まないといけないね。私が……」

「お父さんは、ママについていて」


 セリナは首を振った。

 ベッドの上では、母が目を閉じている。

 重ねられた両親の手を見てから、父へ向き直った。


「レインに、お願いしてくる」


 *


 トントントンッ!

 朝食を終え、ポーチの中を確かめていると、玄関の扉が勢いよく叩かれた。


「レイン! いる!?」


 セリナの声だ。

 ボクは玄関へ向かい、扉を開けた。


「セリナ、おはよう。どうし……」

「お願い! 私と一緒に森へ来てくれない?」


 セリナの肩が、大きく上下している。

 籠を持つ指が、持ち手を強く握っていた。


「ママの具合が悪いの。薬を飲んでも、よくならなくて……。ドロップリーフが必要なのよ」

「エリナさんが?」


 セリナが頷く。


「お父さんは、そばについてるから。私、レインに……」

「うん。ボクも一緒に行くよ」


 言い終わる前に頷くと、セリナの唇が小さく震えた。


「……ありがとう」


 母さんも、玄関へ来ていた。


「母さん。エリナさんの薬草を採りに、森へ行ってきてもいい?」

「お話は聞こえたわ」


 母さんがセリナの肩へ手を添える。


「セリナちゃん、走ってきたのね。少し息を整えて。その間に、レインも準備するから」

「すみません、急に……」

「いいのよ」


 母さんがボクへ顔を向けた。


「レイン。セリナちゃんをお願いね。二人とも、無理はしないこと」

「うん。気をつけて行ってくる」


 部屋へ戻り、胸当てを着けて剣を下げる。

 ポーチには回復薬も入っている。

 口を閉じ、急いで玄関へ戻った。

 母さんが、昼食の包みを差し出してくれる。


「これ、持っていって。二人で分けて食べられるようにしてあるわ」

「ありがとう、母さん」

「ありがとうございます、マリアさん」


 セリナが頭を下げる。

 母さんに見送られ、ボクたちは家を出た。

 セリナは王都の門へ顔を向け、足早に歩き始める。

 ボクも、その隣へ並んだ。


 *


 森へ着くと、ボクは剣の柄へ手を掛けた。

 木々の間へ続く道は、草原よりもずっと薄暗い。

 セリナが籠を持ち直し、足元へ目を向ける。


「前に採った場所があるの。そっちへ行ってみたいわ」

「分かった。ボクが先に歩くね」


 枝や根を確かめながら、教えてもらった方へ進む。

 背後で、草を分ける音がした。

 振り返ると、セリナが道の脇へしゃがみ込んでいた。

 葉を一枚ずつ確かめ、すぐに立ち上がる。


「違ったわ。もう少し先ね」


 いつもなら、見分け方を聞いていたかもしれない。

 けれど、今は木の向こうの物音へ耳を澄ませた。

 セリナが薬草を見ている間は、ボクが周りを見ていよう。

 しばらく歩いたところで、前方の茂みが揺れた。

 緑色の腕が、枝の間から伸びる。


「セリナ、下がって」


 剣を抜く。

 出てきたのは、棍棒を持ったゴブリンだった。

 こちらを見つけると、口を開けて走ってくる。

 振り上げられた棍棒を横へかわし、剣を振った。

 ゴブリンが地面へ倒れる。

 その向こうにも目を向け、ほかにいないのを確かめてから剣を下げた。


「……もう大丈夫だよ」


 振り向くと、セリナは籠を胸元へ抱えていた。


「怪我は?」

「してないよ」


 頷いて見せると、セリナはようやく息を吐いた。

 落ちた素材を手早くポーチへしまい、先へ進む。

 さっきより、二人の間が近くなっていた。

 木の根を越え、低い枝の下をくぐる。

 少し開けた場所へ出たところで、セリナが足を止めた。


「……あった!」


 すぐに駆け寄ろうとして、ボクの方を見る。

 周りを確かめて頷くと、セリナは木の根元へしゃがみ込んだ。

 重なった草の中から、葉を持ち上げる。


「ドロップリーフ?」

「ええ。間違いないわ」


 セリナが薬草へ目を凝らす。

 『薬学眼』で確かめているんだろう。

 手を添え、傷つけないように採っていく。

 一つを籠へ入れると、その隣も確かめた。

 ボクは少し離れたところに立ち、木々の間へ目を配った。

 背中の方で、葉の触れ合う音が続く。

 やがて、その音が止まった。


「レイン。これだけあれば大丈夫よ」


 振り向くと、セリナが籠を両手で抱えていた。

 中には、採ったばかりの薬草が入っている。


「よかった。じゃあ、戻ろう」

「ええ。……ありがとう」


 セリナが籠へ目を落とす。

 その指は、まだ持ち手をきつく握っていた。


 *


 王都へ戻ると、そのままセリナの家へ向かった。

 店の扉を開け、セリナが奥へ声を掛ける。


「お父さん! 採ってきたわ!」


 すぐにルーカスさんが出てきた。

 セリナを見て、それからボクへ顔を向ける。


「レインくん……。ありがとう。二人とも、怪我はないかい?」

「はい。大丈夫です」

「お父さん、これを!」


 セリナが籠を差し出す。

 ルーカスさんは中を確かめ、頷いた。


「うん。これなら作れる。すぐに取り掛かるよ」


 薬草を持って、奥の作業台へ向かう。

 セリナは籠を置き、寝室へ急いだ。

 ボクもあとについて、扉の前まで行く。


「ママ、ただいま。薬草、採ってきたわよ」


 エリナさんが、寝台の上で顔を向けた。

 頬の色が薄く、返事をするまでに少し間があった。


「……おかえりなさい」

「レインも一緒に来てくれたの」


 セリナが振り返ったので、ボクは部屋へ入った。


「こんにちは、エリナさん」

「レインくん……。ありがとうね」


 エリナさんは微笑んだけれど、そのあとで小さく咳き込んだ。

 セリナがすぐに背中へ手を添える。

 ボクは扉の脇へ下がり、二人を見ていた。

 部屋の外から、薬草を刻む音が聞こえてくる。

 しばらくして、温めた薬の匂いが廊下まで漂ってきた。

 ルーカスさんは何度も手元を確かめ、薬を器へ移す。

 ボクは空いたところへ椅子を寄せ、エリナさんのそばへ座れるようにした。


「ありがとう、レインくん」


 ルーカスさんが腰掛け、薬の器を手に取った。


「エリナ、飲めるかい?」


 セリナが身体を支える。

 エリナさんは器へ口をつけ、少しずつ薬を飲んだ。

 飲み終えたのを見て、セリナがそっと息を吐く。


「……これで、少し楽になるわよね」


 ルーカスさんは器を卓上へ置き、エリナさんの手を取った。

 ボクも椅子へ座り、静かに待つ。

 窓から入る風が、薄い布を揺らしていた。

 外を通る荷車の音が遠ざかる。

 けれど、エリナさんの呼吸は変わらなかった。

 ときどき咳が出るたびに、セリナが身体を支え直す。

 ルーカスさんが額へ手を当て、それから脈を確かめた。


「お父さん……?」


 セリナの問いに、すぐには返事がなかった。

 ルーカスさんは空の器を見てから、寝台へ目を戻した。


「……まだ、苦しいかい?」


 エリナさんが、小さく頷いた。

 セリナの手が止まる。


「どうして……。ちゃんと、ドロップリーフを……」


 声が途中で途切れた。

 ボクは膝の上で手を握る。

 薬草は採れた。

 ルーカスさんが薬も作ってくれた。

 それなのに、エリナさんは苦しそうなままだ。

 何か、ほかにできることはないのかな。

 ルーカスさんが、エリナさんの手を両手で包んだ。


「……エリクシルがあれば、あるいは……」


 小さな呟きだった。

 ボクは顔を上げた。


「エリクシル……?」


 ルーカスさんが、こちらを見る。


「遠い昔、賢者様が、どんな病も治す薬を調合したという記録があるんだ。エリクシルという名の万能薬でね」


 そこで一度、言葉が止まった。

 寝台の上で、エリナさんの胸が浅く上下している。


「ただ……本当に存在したのかさえ、分かっていないんだよ」


 ボクは腰のポーチへ手を添えた。

 その名前なら、知っている。

 湖の宝箱に入っていた、あの瓶。

 口を開け、割らないように両手で取り出した。

 細い首を飾る金色の蔓と、小さな花。

 窓から差す光の中で、透き通った白金色の液体が揺れる。

 その中に、ほのかな黄金色の輝きが混じった。


「ルーカスさん」


 そっと、瓶を差し出す。


「そのエリクシルって……これでしょうか?」


 ルーカスさんの目が、瓶へ向いた。

 少しの間、何も言わずに眺めてから、ゆっくり顔を上げる。


「レインくん……これは、どこで?」

「湖の近くで見つけた宝箱に入っていたんです。取り出したら、エリクシルって名前が出てきて……」


 瓶を両手で持ったまま、ルーカスさんを見る。


「さっき、その名前が聞こえたので。これなら、エリナさんに使えませんか?」


 ルーカスさんは瓶を受け取り、窓の明かりに透かした。

 細かな花の飾りへ目を向け、それから中の液体を確かめる。


「……すまない。私には、これがその薬なのか、見ただけでは分からない」


 その横から、セリナが身を乗り出した。


「私にも、見せて」


 ルーカスさんが瓶を差し出す。

 セリナは栓に手を添えず、じっと中を見つめた。

 『薬学眼』で調べているんだ。

 ボクは声を掛けず、待った。

 やがて、セリナの唇が小さく動く。


「……大病に、効能のある薬……」


 ルーカスさんが顔を向けた。


「そう分かるのかい?」

「ええ。でも、それ以上は……。ママの病気を治せるのかまでは、分からないわ」


 セリナはもう一度、瓶へ目を凝らした。

 それから父親へ顔を向ける。


「お父さん……」


 ルーカスさんはエリナさんを見た。

 浅い息を繰り返す顔と、卓上の空になった薬の器。

 膝の上で握っていた手を開き、ボクへ向き直った。


「レインくん。本当に、使わせてもらっていいのかい?」

「はい。エリナさんが元気になるなら、使ってください」


 ボクが頷くと、ルーカスさんは深く頭を下げた。


「……ありがとう」


 セリナが唇を結び、エリナさんの隣へ座り直す。

 ルーカスさんは新しい器を用意し、瓶の栓を外した。

 白金色の液体が、細い筋になって注がれる。

 窓からの光が当たるたびに、ほのかに金色が混じって見えた。


「エリナ。もう一度だけ、薬を飲めるかい?」


 エリナさんが目を開ける。

 ルーカスさんの手にある器を見てから、ボクへ視線を向けた。


「……レインくんが?」

「はい。役に立てばいいんですけど……」


 エリナさんは小さく頷いた。

 セリナが背中を支え、ルーカスさんが器を口元へ運ぶ。

 少しずつ、薬が飲まれていった。

 最後の一口を飲み終えると、エリナさんはそっと目を閉じた。

 ボクは息を詰めて、その顔を見る。

 誰も、何も言わなかった。

 器を置く小さな音が、部屋に響く。

 やがて、エリナさんの胸が大きく上下した。

 ボクは思わず、椅子から腰を浮かせる。

 けれど、咳は出なかった。

 エリナさんはゆっくり息を吸い、それから長く吐いた。


「……あら」


 胸元へ手を当て、目を開ける。


「息が……」

「ママ?」


 セリナが顔を覗き込む。

 エリナさんは、もう一度深く息を吸った。


「……苦しくないわ」


 ルーカスさんが、すぐにその手を取った。

 指を添えて脈を確かめ、エリナさんの顔を見る。


「ほかには? 身体は、つらくないかい?」

「ええ。さっきまで、あんなに重かったのに……」


 エリナさんが、自分の腕へ目を落とした。

 指を開いたり、握ったりする。

 その頬に、少しずつ赤みが戻ってきた。


「ママ、本当に? もう、苦しくないの?」

「ええ」


 エリナさんはセリナを見て、微笑んだ。

 さっきのように、返事の途中で息が切れることもない。


「大丈夫よ、セリナ」


 背中を支えていたセリナの手が、ゆっくり離れる。

 それでも、エリナさんは自分で身体を起こしていられた。

 ルーカスさんが口元を押さえる。


「……よかった」


 それだけ言って、エリナさんの手を握り直した。

 セリナは何度も瞬きをしている。


「ママ……」


 エリナさんが腕を広げた。

 セリナはその胸へ飛び込んだ。


「ママぁ……!」


 声が震える。

 エリナさんの服を掴んだ指に、ぎゅっと力が入った。


「よかった……。本当によかった……!」


 エリナさんは何も言わず、セリナの背中を撫でていた。

 ルーカスさんも、二人へそっと手を添える。

 ボクは浮かせていた腰を、椅子へ下ろした。

 膝の上の手を開くと、掌が汗で湿っていた。

 よかった。

 エリナさん、治ったんだ。

 ようやく息を吐くと、少しだけ鼻の奥がつんとした。


「レインくん」


 顔を上げると、エリナさんがこちらを見ていた。

 セリナを抱き締めたまま、優しく微笑んでいる。


「ありがとう。あなたに助けてもらったのね」

「……元気になって、よかったです」


 それだけ答えると、ルーカスさんもボクへ頭を下げた。

 セリナがゆっくり顔を上げる。

 目も頬も赤くなっていたけれど、今度は笑っていた。


「レイン……ありがとう」


 ボクも頷いて、笑い返した。

 セリナがまた母親へ向き直る。

 その手を、エリナさんが両手で包んだ。

 セリナはその手を握り返し、もう一度、母親の胸へ顔を埋めた。

 エリナさんが、セリナの赤い髪をゆっくり撫でる。

 ルーカスさんは二人のそばで、静かに目元を拭っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。