1.打ち切り作家のテレビデビュー
売れない、というのは正確じゃない。
売れなかったが正しい。過去形だ。
俺——青柳律の作品が刊行されたのは一度だけ。本屋で売られているのを見たのも一度だけ。重版なんてかかるわけもなく続刊の話も出ない。
俺の作家人生は過去形でできている。
「なぁ青柳、お前これ知ってる?」
大学の学食。向かいでスマホを掲げてきたのは、唯一気安く話せる男——佐倉だ。
差し出された画面には、見覚えのある顔が映っていた。
いや、見覚えがあるというより、見覚えのない日本人がいないと言う方が正確である。
「真昼クレアじゃん」
「可愛いよなぁ」
佐倉がしみじみと言う。
真昼クレア。アイドルグループ『プラネタリア』のメンバーで、最近やたらとセンターを任されている子だ。
テレビをほとんど点けない俺ですら顔と名前が一致する時点で、その人気のほどが知れる。
雑誌の表紙、配信のサムネ、駅の広告。
どこを向いても彼女の笑顔がこちらを見ている。
二十人近くいるメンバーの中でも彼女は一際輝いていた。
画面の中の彼女は完璧だった。
艶のある黒髪を綺麗に巻き、計算され尽くした角度で微笑んでいる。仮に、これが計算でないとしたら、天性のものだとしたら。きっと、彼女には傾国の才能があるだろう。
一分の隙もない。可愛いとか綺麗とか、そういう言葉が全部、彼女のために用意されていたみたいに似合っている。
「……可愛いな」
俺も同意した。実際に可愛いと思っているし、斜に構えて否定するには、自分の感性の独自性をアピールするには相手が悪すぎる。
空が青いとか、水に触ると濡れるか、そういうレベルの事実確認でしかない。
俺と真昼クレアのあいだには、画面という名の絶対に越えられない一枚のガラスがある。
住む世界が違うというのは、こういうことを言う。
彼女は何百万人もの「好き」を浴びて立っている人間で、俺は数人の「つまらない」を浴びて沈んだ人間だ。
同じ国の同じ空の下にいるだけで、軌道がまるで違う。
交わることなんてない。天体の運行みたいに、起こらないことが容易に予測できる。
「お前さ、こういう可愛い子に興味ないわけ?」
「ないわけじゃないけど……縁がないだろ。彼女なんてできたこともないし」
「そりゃあ、クレアちゃんみたいな子は無理だけど……枯れてんなぁ」
枯れてる。佐倉は何気なく言ったんだろうが、その単語は俺の古傷を抉ってくる。
——枯れ尾花。
それが俺のペンネームだ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。期待して近づいてみれば、正体は枯れたすすきの穂だった。
ただの見間違い。そういう意味の言葉を、俺はわざわざ自分の名前に選んだ。
小説投稿サイトに初めてライトノベルを載せてから、俺は「期待の新人」だった。
コメント欄では「次世代を担う才能」だの「高校生離れした構成力」だの、読者は好きなだけ持ち上げてくれた。気持ち良かった。自分が何か特別な存在になれた気がした。
だからこそ、こういう名前にしたのだ。
だって格好いいだろう?
謙遜しているけど本当は実力があるなんて、漫画の主人公みたいで。
しかし、俺の謙遜は単なる事実確認になってしまった。
本が出て、売れなくて、数字が出ると、全員が潮が引くみたいに俺から離れていった。
才能。期待。次世代。そういう言葉は、売上という光を当てた瞬間に、すすきの穂に戻ってしまった。ただ揺れているだけの。
今でもほそぼそと投稿は続けているが、反応なんて皆無になった。一つだけ収穫があるとすれば、手元に残った名前だけだろう。
先に言っておけば誰かに言われずに済む。
お前の正体なんて枯れ尾花だろ、と。
「俺には眩しすぎるんだよ」
俺は話を逸らすように、もう一度画面の中のセンターを見た。
努力の量も、メンタルの負担も俺とは比べ物にならないのだろう。
俺が浴びたかった賞賛も、浴びたくなかった批判も、一身に引き受けて。
遠い人だ。本当に、どうしようもなく。
・
その夜のことだった。
バイトから帰ってシャワーを浴び、髪を乾かす。
「話し込んじゃったな……」
バイト先の先輩と流行りのアクションゲームについて情報交換をしていたら、つい時間を忘れてしまった。もう日付を越えている。
コンビニ弁当をかき込みながら、俺はなんとなくテレビを点けた。
普段は点けないのに、その日に限って点けたのは、本当にただの偶然だった。
「……なるほどね」
時計を見たらゾロ目だったとか、次のガチャでお目当てが出ると思ったら本当に引けたとか、そういうやつだ。
……俺の場合は良くない方の偶然だったが。
流れていたのは、プラネタリアのバラエティ番組。
初めて見るからよく分からないが、おそらくファン獲得のためだろう。
ライブの時には見せない等身大の一面が知れるというのは、ファンからしたら魅力的……なんだと思う。
今回はメンバーが自分の「人生を変えた一冊」を紹介するという、よくある深夜のバラエティ企画だった。
箸が止まったのは、画面にあの顔が映ったからだ。
真昼クレア。
昼間に佐倉のスマホで見たのと同じ完璧な笑顔が、今度はテレビの中にいた。
スタジオの照明を浴びた肌は不自然なほど滑らかで、やはりこの世の存在ではないように思える。
そんな彼女がひな壇の最前列から立ち上がり、MC席の横に設置されている演題に向かった。
演題に立った真昼クレアの手には一枚のフリップがあった。
そこに彼女が選んだ一冊の説明が書かれているらしい。裏返しでまだ見えない。
「わたしの人生で、一番好きな本です」
彼女が言う。
俺の口から意図せず「へぇ」という声が漏れる。
こんなアイドルが、一体どんな本を読んでいるのか。
正直、興味の根源は綺麗なものじゃなかった。何百万人に「人生で一番」なんて紹介するなら、どうせ気取った一冊を選ぶんだろう。
誰もが知る文学賞の受賞作とか海外の古典とか、賢く見えて品が良くて叩かれない本。そういうのを澄ました顔で挙げるに違いない。
見てやろうじゃないか。
売れている人間が売れる場所で教養をひけらかす。その様子を売れなかった俺が寝転がって眺める。皮肉なもんだ。
「この本に出会ったのは、わたしがプラネタリアに入って一年ぐらいの頃でした」
スタジオが少し静かになる。
さっきまでの作られた華やかな声とは質が違った。
「元々わたしは人見知りで、アイドルを始めたのはそんな自分を変えたいと思ったからなんです。だから最初のうちは歌って踊れるだけで幸せでした。でも……」
彼女は少しだけ顔を俯ける。
「少しずつ、自分がいる意味がわからなくなって。センターに立つことが全てじゃないって分かっていても、頑張っている証明が欲しかったんです」
画面の中の彼女は、もう完璧なアイドルの顔をしていなかった。
二十人の真ん中で輝いていた彼女とは別人みたいだった。
俺の意地の悪い予想は少しずつ形を失っていく。
これは台本を読む顔じゃなく、本心だ。
「……そんな時に、何気なく手に取ったライトノベルの中に、わたしと同じアイドルの子がいたんです」
プラネタリアのメンバーが小さく「ライトノベルってなに?」と漏らすのが聞こえる。
ガヤであり、本当に知らないのだろう。
なぜだか嫌な予感がした。
逃げ切ったと思っていた殺人鬼が扉を開けた先にいたとか、そんな時間差の恐怖だ。
「その子が最後に気付くんです。主役になんてならなくていいって。自分の物語の主役はずっと自分なんだって。自分が自分を信じられれば一等星になれるって」
箸が止まった。
その台詞を俺は知っている。
「なっ…………」
どうして俺は知っているんだ。
どこかで読んだ言葉だが、どこだ。幅広く知られている名言じゃない。
脳の奥で、記憶が一つずつ手繰り寄せられていく。
あの頃の俺は調子に乗っていた。
投稿するたびに伸びる数字。並ぶ称賛のコメント。
自分はこのまま、なんの苦労もなく特別な何かになるんだと本気で信じていた。
主役になれない女の子に最後の一行を書いたときも、迷いなんてなかった。
——自分が自分を信じられれば一等星になれる。
これは刺さる。そう確信して打ち込んだ。読んだ奴は絶対に泣くとすら思っていた。
あの時の俺は、自分の言葉が誰かに届くことを一ミリも疑っていなかった。
届かなかった。本は売れず、その一行は誰の目にも留まらないまま消えた。
確信はただの自惚れに変わって、俺は自分の言葉を信じるのをやめた。
その、信じるのをやめた一行を。
いま何百万人に向けて、彼女が読み上げている。
俺はただの大学生だ。形にできない鬱屈とした感情を不恰好な型にハメているだけの枯れ尾花。
彼女の言う「一等星」なんて、俺から一番遠い言葉だ。
なのに、どうして胸の奥がこんなに熱いんだ。
どうして目の奥が痛むんだ。
まるで、俺の書いた一行が、本当に誰かを救ったみたいに。
俺はいつの間にかテレビに身を乗り出していた。
答えに辿り着く前に、目の前の女の子が教えてくれるからだ。
「わたしは、この本に救われました」
真昼クレアがフリップをゆっくりと返した。
「『日陰くんと二等星』です」
そこに書かれていたのは俺の本のタイトルだった。
売れなかった、誰にも評価されなかったはずの、俺の。
歩く魚には珍しい、ヒロインが一人のラブコメです。甘々にします。
初日三話投稿。ひとまず一章分は投稿し、伸びなかったら完結になるので応援お願いいたします!
評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!
作品作りにご協力いただけると幸いです!




