丘の上の小さな公園
バイトで一緒になったSさんから聞いた話。
彼は子どもの頃、山沿いの町に住んでいたという。
起伏の激しい土地で、買い物ひとつに出るにも、
坂道を何度も越えなければならない。
「自転車に乗っているだけで、結構な運動になるんですよ。
ま、控え目に言っても田舎ですね」
そう言って、Sさんは懐かしそうに目を細めた。
§ § §
ある夏のこと、台風がその町を通り過ぎた。
台風一過の朝、まだ小学生だったSさんは、
なんだかワクワクが止まらなくて、近所を探検してみることにした。
「危ないからやめなさい!」
親にはそう言われたものの、子供心には逆効果でしかない。
適当に返事をして、家から飛び出した。
町の変化は、なかなか刺激的だった。
風で吹き飛ばされたらしい看板が、
車のフロントガラスに突き刺さっていたり。
根元から折れた古木が、最期の意地とでも言わんばかりに、
信号を巻き添えにして倒れていたり。
気が付けば、滅多に来ないようなところまで足を延ばしていた。
――丘の上の小さな公園。
周囲には、個人経営の小さな工場と、寂れた神社があるくらい。
いったい、誰に向けて設けられた公園なのだろう。
遊具はブランコが一つだけ。
木のベンチは腐れ果てていて、とても座れたものではない。
普段から人の気配はほとんどなく、
背の高い雑草が生い茂る様は、どこか人を拒むような雰囲気が漂っていた。
おまけに台風の影響だろう。
園内のほとんどを大きな水たまりが覆っていて、
なおさら足を踏み込むのはためらわれる。
(ここは、もういいかな……)
そう思い、自転車を漕ぎ出そうとした瞬間――
【ばしゃん!】
突然、周囲に水音が響き渡った。
音のした方を向けば、水たまりの中央に、
何かが投げ込まれたような大きな波紋が立っている。
訳が分からないまま、水面をぼんやり見つめていると――
【ばしゃん!】
今度は、はっきりと見えた。
魚だ。
一抱えはあろう大きな魚が跳ねたのだ。
(え……なんで? ただの水たまりになんで魚が!?)
不思議に思い、そっと水たまりへ近づいていく。
靴の先が、水に触れるか触れないかのところで――
【びゅうううう!】
突然、強風が背後から吹き付けた。
バランスを崩し、そのまま水たまりに突っ込んでしまう。
(!?)
全身が、水に飲みこまれる。
深いのだ。
足が付かないくらい深い。
(そんな馬鹿な!?)
必死に手足をかいて浮かび上がろうとしても、
水を含んだ服が物凄い重さになって、下へ下へと引きずり込まれる。
泥混じりの苦い水が喉に入りかけた、その瞬間――
「おい、どうした!? 何やっているんだ!?」
身体がぐっと引っ張り上げられた。
顔を上げると、ベストを着た見知らぬおじさんが、自分の腕を掴んでいた。
Sさんは言う。
「いやあ、命が助かったと思ったら、急に恥ずかしくなって。
助けてもらったお礼もそこそこに、必死に事情を説明したんですね」
すると、おじさんは怪訝そうな顔で――
「うーん、僕には君が、水たまりでひっくり返って、
じゃれているようにしか見えなかったけどなあ……」
そう言うと、止める間もなく、
水たまりの中にずいずいと歩いていってしまった。
(危ない!!)
けれど、おじさんの足はくるぶし程度が濡れたところで底をつく。
いくら進んでも、身体が沈む様子はない。
水たまりの中央あたりまで歩いたところで、おじさんが振り返った。
「ほら、ただの水たまりだし、大きな魚なんてどこにもいないよ」
(そんなはずは……)
と思ったものの、もう一度水たまりに入る勇気はない。
「こんなに日差しが強いから、日射病にでもかかったのかもしれない。
今日はもう、家に帰った方がいいね」
おじさんはそう言って、家まで送ろうかと申し出てくれた。
けれど、親に事情を話されたら、今度こそ叱られる。
そう思ったSさんは、その申し出を必死になって断ったのだという。
§ § §
「話はこれでお終いです。
オチらしいオチもなくてすみませんね。
それから何回かその公園に寄ったことはありましたけど、
怪しいことがあったのは、この一回きり」
そう言ってから、Sさんはわずかに眉をひそめた。
「――けれど、ひとつだけ、今でも気になってることがあるんです」
「私を助けてくれたおじさん……
あんなところで何をしていたのかな、って。
小学生の私にとっては夏休みだったけれど、たしか平日の昼間ですよ。
その日の朝、父親が仕事に出て行ったことを憶えていますから」
「後になって思い返すと、あの人、
釣りに行く途中だったような気がするんですよね。
釣り竿ケースみたいなものを持っていたし、
水たまりの中を平気で歩いていけたのも、ゴムの長靴を履いていたから。
でも――」
「公園のまわりに、釣りができるような場所なんてないんです」
「いったいどこで、何を釣るつもりだったんでしょう?」




