1.ユグドラシルの木の下で
ヘレナは、薄らと光沢を放つ萌黄色の髪に藍白の瞳を持ち、すらりとした肢体で背の高い美しい令嬢でした。
彼女は、ユーレイル国の現公爵が外遊先のエルフの森の中で好意を寄せ、結婚を申し込んだエルフの王女との間の子でした。
その頃、寿命が300年ほどもあるエルフたちは森の中に引きこもり、普段人間と交わることはありませんでしたが、人間好きで変わり者だったその王女は200歳になっても人間との交流を夢見ていたのです。
そんな時、エルフの森を訪れたのが現公爵でした。
「種族は違えど、心は通じあえると信じたいのです。どうか、あなたを想うことだけは許してくださいませんか」
当時まだ30歳そこそこの公爵子息だった彼が変わり者の王女にそう言ったという記録は、今もまだエルフの森で驚きの発言として伝えられていました。彼もまた、長年エルフとの交流を夢見ていた変わり者だったのです。
それに、エルフの森ではどんな人物も隠し事をすることが出来ません。森には多くの精霊たちが住んでおり、中でも風の精霊はどこにでもいる上に噂好きで、あらゆる会話をすぐに吹聴したからです。
「聞いた?聞いた?」
「聞いたよ聞いた!聞いちゃった!」
「変わり者の王女に変わり者の人間!」
「何?何?教えて!」
「ワタシが教えてあーげーる!」
「ボクもみんなに教えてこよう」
「ボクもー!」
「ワタシも行こうかなー」
その公爵が外遊に行くまで、人間にとってエルフの森は長らく閉じられた領域でした。
人間が、大陸の半分もあるエルフの森に近付くだけで、人間には見えない精霊たちから謎の攻撃を受けたからです。
まだ父親が存命で公爵ではなかった当時の公爵子息は、多くの資料や史実を元に何年もかけて根気強くエルフの文化を習得し、精霊を介して数年に渡る交渉を経て、ようやくエルフの森を外遊することができたのでした。
人間にも関わらず、見えない精霊をいると信じて交渉しようと粘った彼の努力は、好奇心旺盛な精霊たちの心を動かしたのです。
「見えてないのにー。変なのー」
「実は見えてる、とかー?」
「見えてない、見えてない」
「でも信じてるよプフッ」
「面白い人間!」
「変わった人間!」
「ねえねえいいやつ面白いやつ!」
「一度だけなら?」
「一度だけなら!」
「入れてあげよう!森の中に!」
そこで彼はエルフの王女と出会いました。お互いに変わり者の2人は次第に意気投合し、想いを寄せ合うようになりました。
でも、エルフの王女はもう既に婚期を過ぎていました。エルフの森では100歳までには大概のエルフが結婚しましたから。変わり者の王女はエルフの中でも普通以上の美貌を持っていたにも関わらず、その独特さから200歳を過ぎるまで結婚していなかったのでした。
(私はもう200歳ですもの……。人間の国で、しかも公爵家のお跡継ぎとなられるような立場のある方に想いを告げたところで、人間にとっては、もう死ぬ間際の老人か、墓場の下に埋められた腐乱体から想いを寄せられるようなものですわよね……)
そう思って気持ちに蓋をしていた王女に公爵子息は跪き、ユグドラシルの木の下で想いを告げたのでした。
それは彼が帰国する予定となっていた日の前日で、(精霊たちとの交渉で来れるのは今回限りということになっていますから……最後だけであれば、私の気持ちを伝えても迷惑とはならないでしょう)と考えた公爵子息の、祈るような告白でした。
風の精霊は大喜びでした。
この数千年、そんな面白い出来事はありませんでした。だって、精霊が大量に棲みついているユグドラシルの木の下でそんな告白を行うなど、エルフの森にとってみれば、"世界中で配信されている国際放送で憧れのアイドルに本気の求婚をする名も知られていない一般男性の発言"とそんなに変わらないことでしたから。
それに、エルフの王女も目に涙を溜め、真っ赤になって黙り込んだのです。
エルフの王女には精霊たちが大盛り上がりしているのが完全に見えていましたが、感情をほとんど表に出さないエルフにしては珍しく、心の底から嬉しいあまりに感情を隠すことができませんでした。
雲の上にいるかのような、精霊たちが時折くれる御神酒を飲んだかのような、変に浮き立つ奇妙な気持ちで勝手に涙が溢れたのです。
(私もう200歳なのに……いいのかしら。見た目だって……。この方を苦しめてしまわないかしら)人間から見れば十分に美しいのに、王女はそう思いました。
(私の寿命など、エルフから比べると短過ぎて迷惑でしょうね……それでも、彼女の人生の一瞬でもいいから記憶に残って欲しいのです。それとも、精霊すら見えない人間などに好かれた記憶すらも困るでしょうか)公爵子息はそう思っていました。
「2人とも!変なの!」
「変だよ変だ!」
「2人ともそっくり同じ!」
「同じ気持ち!」
「王様に言いに行こう!」
「お似合いだと言いに行こう!」
精霊たちはそんな2人に大笑いをし、それでもやっぱり精霊ですから、エルフの森中にこのことを広め、そして王女の溢れた涙が地面に落ちる前に、エルフの王はこの2人を結婚させることを決めたのでした。
あまりにも精霊が煩かったので。
それに、もう一生結婚しないと思っていた王女が結婚するのであれば喜ばしいことでした。
「おめでとう!」
「おめでとう、おめでとう!」
「愚かな2人に!」
「変な2人に!」
「でも悪くない!」
「全然ぜんぜん悪くない!」
「むしろいいかも?」
「面白かった!」
「でもこれで終わり!」
「物語はすぐに終わる!」
「面白いのに!」
「面白いほど!」
「残念、残念!」
「さようなら面白い人間!」
「さようなら変わり者の王女!」
結局、当時の公爵子息……現在の公爵がその後エルフの森に再び入ることが許可されることはありませんでしたが、何よりも大事なものを手に入れて国へ戻ることになったのです。
ユーレイル国も公爵子息が帰国すると、初めての出来事に上へ下への大騒ぎとなりました。エルフが実在するなど、エルフの森の外では歴史上の御伽話だと思われていましたから。
「エルフが実在したというのは本当ですか!?」
「エルフの森は人間でも入ることが可能なのですね。どうしたら入れるのでしょうか」
「かの公爵子息も、これが最初で最後だとエルフから宣言されたそうですよ」
「あのような美貌を持つ種族がエルフなのですか。やはりかつての戦争のことなど全て謝罪して、エルフと交流を持たせていただくようあの森と交渉すべきではありませんか?」
「我々では近づけないから無理でしょう」
「でもあの公爵子息は森の中まで入れたわけでしょう?エルフの王女を説得し、高価な贈り物を持って一緒にエルフの森へ向かえば森に入れるのではありませんか?」
「公爵子息が言うには、エルフの王女ももうあの森へは入れないとエルフたちから宣告されていると」
「実質国外追放のようなものですか」
「あの公爵子息がエルフの森で何か問題を起こしたわけではありませんよね?」
「問題を起こしていたら森にすら入れないのではないですか?実際、殺されもせず、エルフの王女を連れて返ったわけですし」
「また無理にあの森に入ろうとすれば、謎の攻撃が返ってくるだけでしょう。エルフの森に攻撃を仕掛けた者は森から離れても死ぬまで謎の攻撃を受け続けているではありませんか。エルフが1人でも手に入ったのですから、王家との縁もある公爵家で沢山子を産ませた方が問題は起きないのではないでしょうか」
「王家ならもっと良かったのですがね……」
「現国王のご子息はあのような公爵子息とは違って変わった研究などなさらないですから、仕方ないでしょうね」
「変わり者も時々異常に成果を上げる者がおりますなあ」
そんな歴史的な大騒動を経て結婚した2人の間に産まれたのが、ヘレナでした。
母親の美貌をそっくりそのまま受け継いでいたヘレナは、母親よりちょっと耳だけが短めのハーフエルフでした。
「耳だけ少し短いかしら?でも、とても可愛らしいわ……。愛しい人の子を成すというのは、これほどに素晴らしいものなのですね……」
結婚や出産に強いこだわりを持っていたエルフの王女がこのように言ったことは、精霊たちにとっても良い変化として受け止められました。
何日も我が子を幸せそうに見つめるエルフの王女の姿や様子はいつだってエルフの王にすぐに伝えられましたから、その数日、王国はほとんど快晴だったにも関わらず、公爵家にだけ時々にわか雨が降ったのは、彼なりの祝福だったのかもしれません。
エルフは皆、人間と違って濃淡様々な緑色が入った、僅かに光を放つ髪をしていました。
それこそが、精霊を見える理由や、何日も殆ど食べなくても水だけ飲めば長生きする秘訣だったのですが、人間は知らなくてもいいことでした。
ですから、彼女が6歳で学園に入った途端、ヘレナが一躍学園の人気者になったのも当然のことでした。幼い子は本能的に美を最強の遺伝子だと思っているような残酷なところがあるからです。
「エルフは非常に美しいと聞いていましたが、これほどとは」
「あれほどのエルフを射止められるとは、流石公爵家の方ですわね」
「公爵様もお美しいですから」
「あのような方を射止めてみたいものです」
しかも、ヘレナは公爵の遺伝もきちんと受け継いでいましたから、学力も高い様子でした。
実はエルフの王女も相当優秀な賢い女性だったのですが、ユーレイル国内では男尊女卑社会が根強かったことと、エルフの生態はあまり知られていなかったため、公爵の優秀さを受け継いだとされたのです。
それに、ユーレイル国では知能指数が両親両方の遺伝に関与する可能性が高いことは、あまり認識されていませんでしたから。
「ヘレナ様。入学試験に引き続き今回の試験でも1位ですわね!おめでとうございます」
「ええ。ありがとうございます」
(良かったですわ……、頑張った甲斐がありましたわね……。あら?あらあら、闇の精霊が彼女にあっかんべーをしていますわ……。どうしたのかしら?ふふふ、でも可愛らしいこと)
ヘレナはその後も、常に学園トップの成績でした。
ところで、多くの貴族令息や貴族令嬢がヘレナを取り囲む中、埋もれるようにして一緒にその取り巻きに混ざっていたのがアンナでした。
アンナは紅藤色の髪に薄桜色の瞳をした、色だけ見ると、とても鮮やかな伯爵令嬢でした。でも彼女はいつも口数少なく、集団の何処かに溶け込んでいるようなところがありましたから、誰かが取り立てて注目するようなこともありませんでした。
彼女たちが学園へ入学してから数ヶ月もすると、多くの貴族令嬢や貴族令息は、ヘレナがあまり表情を変えず、人を寄せ付けないような不思議なオーラを漂わせていることに気づきました。エルフの血を引いていたからかもしれません。
「エルフの方ってあまり感情がないのかしら?」
「きっとエルフの王家に縁があるから、普通の貴族となんて話したくもないのですわ」
「エルフの森はずっと閉じられていて人間をほとんど入れないと聞きましたわ。エルフは人間が嫌いなのかもしれないですわね」
彼女たちはそう言ってお互いの傷を舐め合いました。
(自分が美人だからってお高く止まって!)と、そう思ったのです。




