未来に残る夏
部屋の静けさが落ち着いている。
人工壁面に映る夕暮れ色は、この時代特有の人工調整だ。
けれど、それでもどこか優しい光だった。
机の上には、一冊のノート。
その表紙には何も書かれていない。
――けれど、中身は違う。
あの日から、私は少しずつ言葉を書き続けている。
「花村玲という少女がいた。」
そんな一行から始まった文字列は、
ときに震え、ときに乱れ、ときに泣いた跡が残っている。
ページをめくるたびに胸が痛む。
だがその痛みは、冷たい刃ではなく体温のある傷跡だった。
窓を開ける。
未来の風が入り、静かにカーテンを揺らした。
その動きがなぜか夏の風に重なった。
私は目を閉じる。
蝉の声が遠くで鳴く。
本当には存在しない音なのに――胸の奥では確かに響いている。
「玲。」
名前を呼ぶ。
呼んだ理由は、もう自分でも説明できない。
けれど、呼ばずにはいられなかった。
「……ありがとう。」
言葉が零れる。
返事はない。
それでいい。
痛みも、記憶も、過去も、失われた夏も――
すべてが私を形作っている。
私はノートを閉じ、そっと手を置く。
ゆっくり息を吸うと、胸にあった重みが不思議と柔らかくなっていた。
未来は変わらない。
人工空調、管理された幸福、延命された社会。
けれど――
私は、記憶と共に生きている。
そのことが、何より確かな答えだった。




