残った痛みと、戻れない未来
――意識が浮上する。
まぶたの裏に白い光がにじみ、遠くで一定のリズムを刻む機械音が聞こえた。
私はゆっくりと目を開ける。
視界に広がるのは、未来の世界の無機質な天井。
タイムマシンの装置の内部だ。
身体をゆっくり起こそうとした瞬間、胸の奥が痛んだ。
鋭い痛みではない。
けれど、深く沈んだ石を引き上げたような重さだった。
「……思い、出した。」
その言葉は、空気に吸い込まれるように消えた。
しかし、確かに自分の声だった。
装置の外で研究員が私を見ていた。
表情は変わらないが、その瞳には揺れがあった。
「黒崎さん。意識ははっきりしていますか。」
「ああ……問題ない。」
声を出した瞬間、自分の声が変わっているのに気づく。
震えではない。
重さだ。
それは空白だった場所に、ようやく“重さ”が戻ったからだ。
私は深く息を吸い、静かに目を閉じた。
――向こう側の世界。
あの夏。
玲の声。
告白。
事故。
忘れたはずのすべてが、鮮明にそこにあった。
傷はもう古いものではなかった。
いましがた刻まれたばかりの、新しい痛みだった。
「……後悔、していますか?」
研究員が問いかける。
私は少し考えた。
答えは簡単ではなかった。
「後悔……か。」
私は小さく笑った。
その笑みに、自分でも驚く。
「後悔するほど、覚えていなかった。」
「……そうですか。」
「でも、今は違う。
後悔も痛みも――やっと戻ってきた。」
研究員がわずかに眉を寄せる。
「人は皆、忘れたい記憶を消そうとします。
あなたも例外ではなかった。
しかし――なぜ改めてそれを取り戻そうとしたんです?」
「……空っぽだったからだ。」
私は胸に手を当てた。
「延命されて、生かされて、ただ時間を積み重ねるだけの人生。
本来なら、それで十分だったのかもしれない。
けれど――私は、何かを捨てたまま生きていた。」
ゆっくり言葉がこぼれる。
「忘れることは、生きるために選んだ逃避だった。
思い出すことは――痛みごと、生を引き受ける行為だ。」
研究員は言葉を失い、ただ私を見ていた。
小さく息を吐いたあと、私は立ち上がった。
装置の部屋から出ると、廊下の先には大きな窓があった。
そこから見える未来の空には、人工的な雲と制御された夕焼けが広がっていた。
だが――その色は、もう嘘の色には見えなかった。
なぜなら、私の中に本物の夕焼けがあるから。
あの日の空。
玲の笑顔。
告白。
そして喪失。
それらは痛みの形をしているのに――胸の奥で確かに輝いていた。
歩き出そうとしたところで、研究員が声をかけてくる。
「黒崎さん。
その記憶は、今後あなたを苦しめるかもしれません。」
「だろうな。」
「後悔、痛み、喪失……
それらはあなたの精神に負担をかけるでしょう。」
「分かっている。」
「それでも――生きたいのですか?」
私は振り返り、静かに答えた。
「――ああ。
痛みがあるなら、まだ俺は生きている。」
研究員の瞳がわずかに揺れた。
そして、ほんの少しだけ――微笑んだ。
私は施設を出た。
自動ドアが開くと、人工の風が肌を撫でた。
未来の街は変わらない。
人工の空、整った音、最適化された生活。
だが、世界は今までより鮮明に見えた。
私は空を見上げた。
手を伸ばしても届かない。
けれど、その手を伸ばす行為そのものが――今の私にとって、生きる証
だった。
薄く笑う。
「……やっと思い出したよ、玲。」
返事はない。
だが、胸の奥で確かに彼女の声が響いた気がした。
――“聞けてよかった”って。
その言葉は風のように消えたが、
消えていないことを、私は知っていた。
そして私は歩き出した。
未来へ。
痛みを抱えたまま、それでも。




