未来に生きる身体、未来に置いてきた心
未来は、思っていたほど明るくはなかった。
けれど、暗いわけでもない。
淡々と、ただ延びていく。
命も、社会も、時間すらも。
私は今年で百三十歳になる。
医師の説明によれば、人工心臓と合成腎臓、そして老化抑制薬のおかげであと三十年は生きられるらしい。
「おめでとうございます。あなたの寿命は更新されました」
そう笑う若い医師の顔は、まるでアプリの通知でも読んでいるようだった。
私はその笑みに返すべき言葉を見失い、ただ曖昧に頷いた。
――寿命の更新。
便利なようで、どこか冷たい響きだった。
昔は誕生日にケーキとロウソクがあったはずなのに、今は数値とデータが年齢を決める。
診察室を出て外に出ると、未来の風景が広がっていた。
人工知能が天候を制御し、炎天下も豪雨も存在しない都市。
気温は常に人体に優しい二十三度前後に調整され、空気には微量のリラクゼーション化合物が散布されている。
風は柔らかく、快適で、優しい。
――あまりにも優しすぎた。
人々はゆっくりと歩き、誰も怒鳴らず、争わず、焦らない。
落ちる葉がないプラスチック樹木の下では、ユニット式の芝生の上で子どもたちが遊んでいた。
けれど、その子どもたちの相手をしているのは、人間ではない。
白いヒューマノイドロボットが人工音声で笑い、転んだ子を完璧な角度で抱き上げてみせる。
子どもの笑い声は確かに明るかったが、そこにはどこか「空洞の響き」があった。
私はふと、自分の胸に手を当てた。
温度はある。
脈もある。
息だって吸えている。
――なのに、心だけがどこか空っぽだった。
なぜ空っぽなのか、その理由は分からない。
けれど、何かを失ったまま生きている感覚だけが、常に私の内側で鈍く疼いていた。
夜眠る前、ふとした瞬間に思い出しそうになる。
だが、その直前で意識が滑る。
まるで見えない手に制御されているように。
空には、雲の形を模したホログラムが流れていた。
本物ではない。
だが、誰も気にしない。
今の世界では、本物と偽物の区別に意味はない。
しかし私の記憶のどこかで――違う空があった気がする。
もっと眩しくて、もっと荒々しくて、遮るもののない夏の空。
蝉の声。
汗。
強すぎる日差し。
息をするだけで胸が熱くなるほどの季節。
そこに――誰かの笑い声があった気がする。
だが、その声が誰のものなのか、私は思い出せない。
思い出そうとすると、頭の奥で「拒否感」だけが走る。
まるで脳が意図的に触れさせまいとしているようだった。
世界は優しい。
身体は延命され、心が傷つかないように管理され、悲しみや怒り、喪失すら治療対象となった。
けれど――その優しさが、ずっと息苦しかった。
私の人生には、穴がある。
空白のまま閉じたページがある。
そこに何があったのか。
なぜ私はそこを失ったのか。
分からない。
――分からないまま生き続けている。
そんなある日のことだった。
自宅の端末に、ひとつの通知が届いた。
《記憶再帰装置(通称:タイムマシン) 被験者募集のお知らせ》
文面を読んだ瞬間、胸の奥で何かが強く鳴った。
恐怖でも興奮でもない。
もっと原始的で、もっと古い衝動。
私はゆっくりと息を吸い、画面に指を伸ばした。
その指先が触れたとき、胸の奥でかすかな声が響いた気がした。
――戻りたい。
私は、そうして応募ボタンを押した。




