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猫とシオンと日没する国の果ての果て  作者: 大本営
第二章 猫とシオンと日没する国の果ての果て
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第26話

 香柏の森を駆け抜けた僕達を出迎えたのは一陣の風。

 蒸せるような森の香りにややウンザリしていたので、体を突き抜ける清涼感はありがたかい。シオンも同じ感情らしいのは、その笑みから読みとれた。

 僕が猫でも、正直ドキッとする笑顔。

 種族を超える感情って絶対ある。

 シオンを間近で鑑賞できる権利は、マルドゥク様が相手だろうと絶対に譲らない。

 譲らないったら、譲らないんだ!


 僕達が一息ついていると、武装した兵士二人が恐る恐る近付いてきた。

 なにか用?



「おい、本当にあの方が勇者様なのか?」

「間違いないって、お前も聞いただろう? 香柏の森より一匹の猫を連れた少女が現れる。その御方こそ、神が遣わした勇者だと」

「そりゃ聞いたけど緊張感がないというか……」



 はっ!?

 そうだ、僕達の使命は人の軍勢を殲滅の危機から救い出すことだった。

 危ない危ない。

 さっきまではあれほど焦っていたのに。

 彼女の笑顔を目にしたら使命云々が吹き飛んでしまったよ。


 ……シオン、恐ろしい子。


 それはそれとして緊張感がない、という指摘は間違いないね。

 シオンに交渉事は期待できなし、ここは僕がしっかりしないと。

 気を引き締めていた僕の内心を知ってか知らずか、シオンは兵士に笑顔で挨拶をしている。兵士達も釣られて挨拶をかえす。



「風が気持ちいいよね~」

「「ええ、とてもいい風ですね」」


 

 先ほどまでの不信感はどこえやら。

 急に振られた話題に相槌を返すとか、兵士としてどうなのだと小一時間ほど問い詰めたいが、話しやすくなったのも事実。

 ここは良しとしよう。

 シオンが柔で対応するなら、僕が剛でいくべきだな。

 かれらに直接話しかけることも可能だけど、威厳を示すためにも念話で語りかけるとしよう。



『僕達は至高神マルドゥク様によって遣わされてきた。そう、君達を救い出すためにだ』

「「おお、やはりこの御方が勇者様なのですね!」」

「そうだよ~」



 兵士達はいきなり念話で語りかけられたことで動揺したけど、シオンが勇者だと告げられたことで感動している。シオンがフランクすぎるので、やっぱり誰かから念押ししてほしかったのだろうな。

 よし、目論見とおり。

 けどシオンがまたフランクに話しかけたおかげで、兵士達の戸惑いは消えないようだ。



 神の威厳に恐れるべきなのか?

 普通の少女として接するべきなのか?



 ……わかるよ、その気持ち。



『ウガリトの民は神の御意思を疑うのか!』

「「そ、そんな滅相もありやせん」」

「大丈夫、シオンはケイ君のお願いでバビロンに来たの~」



 大上段で脅しつけてみた。

 悪いが舐められたままだと、後々やり難くなりそうだし。

 シオンは相変わらず空気を読まない口調だけど、ここは無視だ無視。



『人の子よ安心したまえ。僕を疑ったことだけで君達を不信者と断罪したりはしないさ――但し! この件はバビロンの大神殿エテメンアンキで詮議にかけるから、両名とも覚悟するように』

「「どうか、どうかそれだけは御勘弁を!」」

「ケイ君、あんまり虐めちゃだめなの」

『君たちの釈明はこれからの働き次第で考えないでもない。さあ、いつまで勇者シオンを待たせるのだ!』



 大神殿エテメンアンキの権威が余程怖いらしく、怯え切った兵士たちはそれ以上余計なことを聞いてこない。罪悪感を覚えないでもないけど、社会において格付けは何より重要。まあ、このくらいで丁度よいのさと割り切る。

 問題は隣でぶー垂れているシオンの方。


 これは宜しくない、非常に宜しくない。

 彼女の不機嫌は僕の精神衛生上の問題に直結する。

 あとで思う存分を僕をモフらせてあげないと。



 ◇



 兵士に案内されて、僕達はひときわ大きな天幕に向かう。

 神自らが異世界召喚という荒業で助っ人を派遣するくらいだ。そこにいる人物は王か、その系譜の連なる誰かなのは推測できる――けど天幕の汚れ具合が気になった。白い生地は染み付いた泥の跡と砂埃で薄汚れていた。


 通常ならありえない。

 天幕に向かう間にみた兵士達のだれもが疲れ切っている。

 ある者は傷つき、ある者は片腕を失い、ある者は息も絶え絶えに地面に横たわっている。

 敗走する軍隊みたいだ。

 けど、意外なことに彼らの目は誰一人死んでいなかった。



 これが勇者に対する期待なのか。



 先ほどあった兵士たちも口にしていたけど、僕達の到着は事前に知らされてたようだし。彼らの気持ちは分からないでもない。ただ大きすぎる期待は正直困る。期待を裏切られたことに対する反発とか、シオンへの過度なプレッシャーは避けたいんだけど。

 

「天幕にいるのが王か将軍かは知らないけど、余計なトラブル起きる前にさっさと会ってしまおうよ」

「……」



 シオンは僕の言葉に反応しなかった。

 通りの脇で怪我をして横たわっていた兵士に、治癒術を施すのに忙しいようだ。らしいといえばらしい対応。兵士は感謝しているけど、正直個人的にはどうかと思う。勇者の使命は一兵士を救うことではなく世界を救うこと。病人の治療は神官か医師にでも任せればいい。



「治癒術は10回使えるだけだよね」

「そうだよ~」

「気を悪くしないでほしいけど、貴重な治癒術をここで使うのはやめた方がいいよ」

「命は大事、だよ。ケイ君」

「そうりゃ、そうだけど」

「《《命は大事》》」

「わかったから二度言わないでよ」



 こんな感じで対応しながらシオンは兵士に声をかけていく。


 まるでなにかを探しているような?


 そんなふうに僕が予想しはじめた瞬間、シオンはいきなり走り出した。

 目標の天幕からは完全に逆方向。

 先導していた兵士は変化に気付いてシオンを止めようとしたけど、もう遅い。砂埃だけ残してシオンが消え去った。完全にパニくっているけど無理もないや。シオンの肩にのっている僕が必死にしがみつかないと、振り落とされそうなくらいの加速なのだ。兵士如きが反応できるはずもなかった。

 

 天幕からみて真逆の位置までくると、シオンはようやく走ることを止めた。

 そこは負傷した兵士たちの治療所だった。どうやらシオンはこの場所を探すために兵士達へ聞き込みをしていたらしい。

 理由は不明。

 まあ、気にしてもしょうがないか。

 したいようにさせるしかない。

 女性の行動とは一見論理的にみえて、実はまったく論理性がないことが間々ある――と、どこかの作家が書いていたような。そもそもシオンの行動は予測不能なケースが多いのだ。一々気にしていたら胃がもたないのさ。

 


 テントの中に入ると簡素の造りという表現すら甘いくらいに酷い場所だった。遠目にしか確認できなかったあの天幕とは大違いだ。治療所では医師や治癒魔術師達がせわしなく働いていた。一目で人員が足りてないのがわかる。医師や治癒魔術師達は禄に休んでいないのか、目にはクマができていた。

 

 あまりに忙しいのか、いきなり現れたシオンを誰一人注意をしなかった。


 彼らの献身的努力は評価するけど、この場所を治療所と呼ぶには余りに酷い環境だ。そもそもここにはベットなどない。あるのは藁で編んだゴザだけ。それもあるだけましな方で、地べたに寝そべっている兵士の方が多いくらいだ。

 患者の方に視線を移す。

 ある者は傷口から流れ出る血が止まらないのか、地面を赤く染めていた。その男の傷口を塞でいるのは衣服の切れ端。清潔な包帯の在庫は尽きたのだろう。酷い状況だが彼はまだマシな方。別の者は切れ端すらないのか、傷口の止血処理が全くされないまま放置され、その場所に虫がたかっていた。

 血と汗と血油の匂いで鼻が曲がりそうになる。


「助けてくれー」

「おかあさーん、しにたくない」


 悲鳴や声を者は出せるのはまだいい。声も出せずにいまにも息を引き取りそうな兵士が何人もいる。阿鼻叫喚の光景とはまさにこれだろう。シオンみたいな年頃の少女に見せるには余りに過酷な現場だ。

 僕はシオンのかたから飛び降りると、彼女の服を噛んで外に連れ出そうとする。

 だけどシオンは動かない。

 ひるまず中に入っていく。



 僕らを案内していた兵士達もようやく追いついたのか、治療所に入ってきた。

「勇者様! 勝ってに走り回られては困ります」

「「「「勇者?」」」」


 勇者の単語に、治療所の全員が反応する。

 シオンへの評価が無関心から興味の対象へ格上げされたけど、それも一瞬だけ。縋りつくように駆け寄ってきて「勇者様、どうかお助けください』などと泣きつく者は一人もあらわれなかった。


 勇者の赴く場所は戦場。


 治療所に勇者は無用の存在と認識されたのかもしれない。

 兵士のほうはこの場から連れ出すのを早々に諦めて、シオンの好きなようにさせている。どうやら先ほど散々脅したのが効いたらしい。王への忠義よりも、大神殿エテメンアンキへの恐れの方が強いのもあるだろうね。


 まあ、僕はどちらでもいいけど。

 


 シオンはテントの真ん中まで歩いたかと思うと急に止まり、両手を広げながらなにかを口走り始める。



天橋あまはし長くもがも

 高山たかやま 高くもがも

 月読つくよみの 持てる変若水をちみず

 い取り来て 君にまつりて

 変若をちしめむはも 


 水の属性の使い手シオンがここに祈る、彼らの傷を癒し給え」



 シオンの体が青く光る。

 宵闇に光る星のようだ。


 僕がそんなふうに感じたとき、天空より一滴の雫が落ちてきた。視覚できないくらいの小さな雫の筈なのに、だけどそこにあると理解させられるなにか。そのなにかが地面に落ちると、波紋は辺り一面に広がっていく。




 体に付着したヒンヤリとした感覚。

 それに触れたことで体に力がみなぎる気がする。

 これって?



 変化に気付いたのは僕だけじゃないらしく、兵士達にも動揺が広がっていく。


「……痛みがない」

「おお、息が苦しくないぞ」

「お、おれの、俺の腕が生えてきたぞ!」

「アースー様! ヘクトール卿が目を覚ましました!!」

「わしはなにも処置をしとらんぞ! 信じられん、奇跡としか言いようがない!!」



 負傷兵の傷があっという間に癒されていく。

 一人や二人じゃない。

 この場にいた全員がだ。

 もしかしたらこの場だけじゃなくて、もっと広い範囲に影響を与えたのかも?

 シオンはなにをしたのか口にしない。

 けど、結果がすべてを語っている。

 全員が目撃しているのだ。

 勇者シオンが治療所に入ってきて、なにかを唱えたことを。その直後に奇跡が起きたことを。僕の知るどんな治癒呪文でも絶対に不可能な御業だ。これは大変なことになってしまった。


 頭を抱える僕を無視して、混乱と喝采は広がっていく。

 はやく、はやくこの場を離れないと。


「……奇跡だ」

「勇者さま――いや、聖女さまが現れたんだ!」

「シオンは勇者とか聖女とかじゃなくて、シオンなの~」

「おぉ、聖女様の御名前はシオン様だそうだ!」


 熱狂した兵士たちがどんどん集まってくる。握手を求める者、跪き感謝を伝える者、感動のあまり発狂するような声をあげると、そのまま気絶する者。熱狂はきけんなレベルに達したので外に出ようとしたけど、それすらもできない。外にいた多くの兵士達も治療所に集まってきた。

 騒ぎに気付いた王とその側近たちの方からやってきた。おかげで天幕に移動する必要はなくなったけど、そのせいで兵士たちの熱狂は最高潮に達してしまった。

 


「おお、ヤクルム2世陛下が御なりだ!」

「そうか、陛下が私たちを救済するためにシオン様を派遣してくださったのか!」

「「「ヤクルム2世万歳!!」」」

「「「ヤクルム2世に栄光あれ!!」」」


 最早、誰にもこの混乱を納めることはできやしない。

 冷静な者などいないと思われたが、一人だけ例外がいた。

 ヤクルム2世その人である。



 余っ、余は、なにもしていないけど? と顔に書いてある。

 


 発言を一つ間違うと、兵士たちに吊るしあげられかねないこの状況。

 生きるか死ぬかの二択に動揺したヤクルム2世は、側近達に視線を送るが、全員明後日の方向をむく。だれも地雷を踏みたくないのだ。側近は全責任を王に擦り付ければいいが、最高責任者たる王は逃げられない。



 王とは孤独な存在。


 

 ヤクルム2世は責任放棄をしたくなる衝動にかられたが、瞬間的にあることに気付くと少しずつ冷静を取り戻していく。


 

 余はなにもしていない。

 一方で兵士たちは余がなにをしたと解釈している。

 余はヘクトール卿はなんとしても助けようとしたが、診療所の他の兵士は見捨てるつもりだった。

 一方で兵士たちは、余が聖女――いや勇者を派遣して救済したと解釈している。

 本当の余の気持ちを誰も悟られていないらしい。



 ……ならば。



「聞くがよい。彼女こそ至高神マルドゥーク様が遣わした勇者だ。ヤクルム2世たる余は至高神マルドゥーク様へ宣誓する。余がウガリトの玉座に復権した暁には、生き残った者全員に金貨100枚を下賜することを誓うと!」


「「「おお! 偉大なるヤクルム2世にあらん限りの忠誠を!」」」

「「「聖女シオン様万歳! ヤクルム2世万歳! 都市国家ウガリトに栄光あれ!」」」



 僕は後になってヤクルム2世の大芝居に気が付いた。ヤクルム2世はシオンを派遣したとも、兵士を救済したとも語らなかった。

 熱狂を煽るだけ煽り、冷静に考える理性を失わせたのだ。

 あの宣誓はヤクルム2世が玉座に復権したときのみ履行されるシロモノ。

 熱狂を煽るための空手形にすぎない。

 


 すぎない筈なんだけど。



 兵士達は『あらん限りの忠誠を』を誓ってしまった。

 ヤクルム2世が至高神マルドゥーク様の名で行われた宣誓に対しての誓い。



 いいのかなぁ、安易に誓ってしまって?

 


 奇跡を前にして浮かれに浮かれているから誰も気づいていないけど、この誓いはかなり狂気じみた代物なのだ。誓いに従う限り神の名の下にある程度の恩寵が与えられるだろうけど、万が一違えればどうなることやら。これから先どれほど困難で絶望的状況に直面しようとも、彼らは絶対に裏切れないし逃亡できない。

 



 ……あれはそういう誓い――いや呪いの類。

 



 本人達が納得していることだし、とやかく言うまい。

 僕はなにも気付かなかった。

 そうだ、そうしよう、そうしよう。




 結局僕らが天幕に通されないまま、熱狂は加速していく。




※シオンが詠んだ歌は万葉集 第13巻 3245番歌になります。

 作者不詳のこの歌は、著作権が消滅しています。

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