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猫とシオンと日没する国の果ての果て  作者: 大本営
第二章 猫とシオンと日没する国の果ての果て
24/26

第24話

 僕らが森の中を疾走しているころ、魔族軍と対峙する人の軍勢は絶望と焦燥感に支配されていた。このときはまだ到着していなかったので、これからのくだりは後で聞き知った状況を軽くまとめただけ。

 僕の所見がほとんどないのは、まあそういうこと。


 猫の聴力やスキル『鷹の目』だって万能じゃないのさ。

 それを理解した上で聞いて欲しい。



 えー、おほん。



 彼らは港湾都市国家ウガリトの者達。

 魔族の猛攻に晒された港湾都市国家ウガリトの防衛は、一か月に及んでいた。打ち払っても打ち払っても押し寄せる魔族の攻勢。誰もがウガリト陥落を覚悟し始めていた。そのときだった。バビロンより派遣されたマルドゥーク神の神官ウスルが神託を口にしたのは。



 香柏の森の前に逃げよ、と。

 



 逃げろ!?

 神器を与えるとか。

 勇者が遣わすとか。

 恩寵を与えられるとか。

 そんなものではなく?




 神による敗北宣言だが、再起の場所を示されたと言えなくもない。絶望なのか希望なのかは微妙な内容だけど、彼らは後者の意味と理解した。退却部隊を編成できるギリギリのタイミングだったというのも、彼らの理解を後押ししたのかもしれない。

 退却部隊はいつ終わるとも知れぬ亡命生活に身をゆだねることになるが、ウガリト残留任務に待ち受ける運命は、全滅以外ありえない。過酷な運命にある者は泣き、ある者は狂い、ある者は絶望し、ある者は救いをもたらさぬ神を恨んだが、その想いは魔族によって全て踏みにじられた。

 

 業火と悲鳴に包まれるウガリトを逃げ出した敗残兵は、ウガリト残留部隊を一顧だにせず一心不乱にひたすら逃げた。追いすがる魔族をどうにか振りきり、香柏の森の前まできた彼らを待っていたのは無である。


 神の降臨も。

 神器下賜も。

 勇者降臨も。

 神の恩寵も。

 人っ子一人すらいなかった。


 いや、待っていたものも、いるにはいた。

 彼らを待ち受けていたのは、魔族の軍勢である。

 やっと生きる希望がみえたからこそ、魔族軍に捕捉されたという状況への絶望は大きすぎた。それでも勇気を振り絞って敵軍突破を試みたが、成功した者はいない。


 一人もだ。


 三度目などナイトマスターの称号を持つヘクトール卿が精鋭部隊を率いて敵本陣に切込み、敵将と一騎打ちにまで持ち込んだ。ヘクトール卿は二人といない英雄と目されている人物だけど、彼をもってしても敵軍突破ができなかった。

 三度の攻撃で証明されたのは、突破不可能の事実のみ。

 

 ある者は恐れおののき、ある者は自制心を失って意味不明の叫び声を上げ、ある者は逃亡を図るが魔族によって無情にも体を食い千切られた。軍勢としてほぼ機能していない状況の中で陣形だけは維持しているのは、ヘクトール卿が生きているからだろう。

 ヘクトール卿は重傷を負いながらも、突撃隊と共に帰還を果たしていた。

 無傷な兵士は一人もいなかったが、精鋭部隊が壊滅しなかったというのは数少ない朗報だろう。


 ヘクトール卿は帰還するとすぐに王に目通りを許され、自分達が置かれている状況を報告する。敵将撃破に失敗した事実と、魔族がさらに増加しつつあるという情報は、いずれもヘクトール卿によってもたらされたものだ。

 王は打開策を検討したが、方針は一つを除いてなにひとつ決まらなかった。


 ヘクトール卿の回復を待つ。

 ただそれだけ。


 ヘクトール卿はウガリトの盾であり、ウガリトの剣であり、ウガリトの象徴。

 王がヘクトール卿の回復に全てを賭けたのも、無理もなかった。



 ヘクトール卿が倒れて三日。

 未だ意識を取り戻していない。

 息こそしているが生死境を彷徨っていた。

 徐々に衰弱していていくヘクトール卿の姿を前にして、彼らの中でなにかが壊れる。

 



「マルドゥーク神の神官よ、すべてお主のせいだ! お主が神の神託と抜かして我らを香柏の森の前に導いたのだ。なにが神だ、なにが神託だ、なにが勇者だ。そんな物は一向に現れないではないか! これでは隣国ミタンニ王国に逃げ込んだ方がまだマシだったではないか!!」

「陛下、ヤクルム2世陛下。ミタンニ王国は我らを受け入れるでしょうが、代償としてウガリトの統治権を求めてくるに決まっております。それでは帰還できたとしても、我らの復権は果しえません」

「それでも死ぬよりマシではないか! だれでもいい、だれかなんとかしてくれ!!」

「陛下、ヤクルム2世陛下。どうかどうか、マルドゥーク神の神官様の御言葉を信じてくださいませ」


 臣下たちは絶望的状況でも、発狂寸前の王を落ち着かせようとする。彼等だって叫びたい筈だが、骨の髄まで刻み込まれた忠義の誓いのおかげで、どうにか理性を保っているのだろう。

 だが、王の非難はある意味事実だった。

 彼らを死地に追いやったのは、この天幕の隅で一人超然としているあの男。

 マルドゥークの神官ウスルのせいなのだ。


 無数の非難の視線が気に障ったのか、ウスルは立ち上がる。


「偉大なる至高神マルドゥーク神はバビロンで祈りを捧げていた私に、あの日御言葉を遣わしてくださいました。絶望的状況にある港湾都市国家ウガリトに神託をつたえよと。都市陥落が避けられなくなったときは香柏の森の前に逃げよ。決して、決してミタンニ王国の方角へ逃げてはならぬ、と」

「「「それはもう聞き飽きた! いつ来るのだ、勇者とやらは!!」」」




 ウスルとて内心では焦っていた。

 彼は二ヶ月前までしがない下級神官に過ぎなかったのだ。いや、しがないは言い過ぎか。十代の若さでバビロンに築かれている大神殿エテメンアンキに奉公することを許された経歴をもつ若きエリートなのだ。


 いや間違いではないけど、この説明はほぼ詐欺というくらい脚色された経歴だろう。


 二ヶ月前のウスルの身分は下級神官ではなく神学校の一生徒。

 その彼が大神殿エテメンアンキに滞在していたのは、授業という名の雑用を友人からたまたま押し付けられて、その派遣先がたまたま大神殿エテメンアンキで、派遣先がたまたま人手不足で、人の良いウスルがそのことを言い出さないので良いようにこき使われて、ズルズルと二ヶ月間も奉仕活動をしていたにすぎない。


 事情を知らない人が見れば、十代の若さで大神殿に仕えることを許されたエリートと誤解するだろうね。




 そんなウスルに、ある日、マルドゥーク神より神託が下された。

 

 大神官や巫女を飛び越えて、である。

 いや、この表現は正確さにかける。大神官と巫女にも神託は下されていたけど、その神託というのが曲者だった。大神官と巫女が賜った神託は、「ウスルとかいう若者に神託を与えたから、君たちは細かいところを調整するように」という業務連絡みたいな代物。

 大神官と巫女のプライドはズタボロである。

 


 とはいえ相手は神。

 怒ったところで詮無きこと。

 気を取り直さないと。



 落ち込んだ大神官と巫女がショックから立ち直ったところに、予想外の事態が起きる。業務連絡のような神託しか与えられないような人物に、大神官と巫女の座が相応しいのか? と皆が疑問を抱いたのだ。

 最初は小さな疑問に過ぎなかったけれど、疑心へと変わるのに時間はかからなかった。



 神に仕える者も人である。

 


 

 大神官と巫女の権威失墜は彼らの首のすげ替えを引き起こす。

 トップのすげ替わりは一定の影響を与えるものだけど、今回のそれはスキャンダルすぎた。ドミノ倒しのように神殿内のあらゆる階級へと伝播し、ある種の政治ショーとなってしまった。

政治ショーに明け暮れて、皆が神託云々を忘れてしまうのに大して時間はかからなかった。

 

 気にくわない上司、経歴だけは無駄に長い長老、気位が高くて鼻につくインテリ。

 そういった奴らの足の引っ張り合いで、予定外に予定外を重ねた大規模人事異動が行われた後、ある人物がぽつんと呟く。



 神託を受けた人間が学生って、神殿としても格好がつかなくない?

 


 魑魅魍魎の魔窟と化した大神殿エテメンアンキであったが、この意見には皆が賛同する。結果、急遽召し出されたウスルは司教という役職を与えられ、任官と同時にウガリトへ派遣された。


 どこかの派閥に利用されるくらいなら、摘まみだした方がマシと判断されたのだろうね。


 役職だけ与えて放り出された感じだけど、実はこれでもまだマシ。

 ウスルは神託の内容を伝える相手を聞いただけ。


 神託では勇者に出現は明言されていなかった


 内容から多分勇者が現れるだろうし、出現場所もどこなのかは推測できたが、肝心の「いつ? だれが?」などの詳細は聞かされていない。


 だが、それは口が裂けても言えなかった。


 大神殿エテメンアンキから摘まみ出されたことで、ウスルはとりあえず誰にも話す必要がなくなる。エテメンアンキが問いたださない以上、それがバビロンという都市国家の意志。興味本位で詳細を問いただすことなど、誰にも不可能なのだ。



 ウスルの運命はエテメンアンキの権威に振り回されたけど、同時に彼を守ってもくれた。権威が守るあいだ、彼にできることは祈ること。

 ただそれだけである。



 神に仕えるものは辛い。

 ほんと辛いよと、後年ウスルは当時の心境を僕にだけ教えてくれた。

 

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