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持たざる者からの宣告  作者: 大悪紅蓮菩薩
9/27

集める者-2


 最初の事件が起こったと言われた三層の端に向けてアノスとソラハ、そしてボラルの二人と一匹は坂を下っていた。

大通りから離れ、朝の賑わいも落ち着きを見せたことで人通りは減り、

立ち並ぶ店で足を止めている客も坂を下っていくごとに段々と見なくなっていった。


 軒を連ねる店が減り、かわりに平民たちが暮らす家がその姿を見せてくる。

ブロックを積み重ねつくられたその家々は貴族の屋敷や大通りの店と比べると大きく見劣りする。

しかし派手なそれらの建築物と比べ、慎み深い色合いを基調とするその景色にはどことない趣があるようにも思えた。


「ここらへんじゃねーのか?」

「安易に喋るな。誰かに聞かれたらどうする」


 そんな中、一言喋ることも許されないボラルはそのストレスを発散するかのように時折声を出しては注意されている。

路地が増え人気もなくなり、周囲には誰の目もないはずだがアノスは過剰ともいえる警戒をいまだ解かない。


「ボラルが元の姿に戻れなくなったのはわかってるけど。

それだけでなんで喋れることも秘密にするの? 

もともとは人間なんだって説明すればいいだけじゃ……」

「発動したバイスが収まらないという話は聞いたことがない。

このことについての詮索は、私たちの過去を詮索することと同義だ。それは避けたい」


 発動したバイスが戻らなくなったという話をしていれば、

いずれそのような事態に見舞われた始まりのできごとを聞かれることになる。

そのできごとが彼ら二人の事情に繋がるのなら安易に口にできないのも頷ける。

過去を取り繕うこともできるだろうが、ぼろが出る可能性がある以上その選択肢を取ることはできなかった。


「おかげで俺は毎日毎日ワンワンと鳴くことしかできねえ。

否応もねえってのはわかるが、やっぱ窮屈だぜこれは」

「だから声が大きいと……」

「そんなこと言ったって誰もいやしねえじゃねえか」

「中心部ならともかく、この辺りに犬は珍しい。図体も大きく、ただでさえ目を引く。

加えてここらは逆徒の巣窟だ。そうなれば……」


 その時、アノスらの周囲に動く人影があった。路地の影から姿を現したのは三人の男たち。

やせ細ったその手には木材とガラス片でつくられた凶器が握られている。


「当然こうなる」


 気が付けば背後の路地からも三人。計六人の男たちがアノスらを取り囲んでいた。


「この人たち。私と同じ……」

「逆徒がここまで徒党を組むのは珍しい。よほど優秀な頭でもいるのか」

「つーかなんで全員俺のことあんなに見てんだよッ!」


 現れた逆徒たちは皆一様にボラルの体を凝視している。

皆が目を輝かせるようにしてにじり寄り、その中には涎を垂らす者までいる始末。

彼らが犬の体をしたボラルに求めていることは言わずもがなだった。


「肉だ。肉がある」

「しかも大きい」

「しかもまだ生きてる」

「虫に食われてもいない」

「ウジだって湧いてない」


 それぞれが思いの丈を口からこぼす中、

その視線を受けている本人はアノスの足元まで早々に後ずさるとガクつく顎を震わせながら何事かと訴える。


「おい、おいおいおいなにかッ!? お前ら俺を今日の昼食にでもするつもりかよッ!」

「だから喋るなと……」

「今はそんなこと言ってる場合じゃねえだろ」


 目をギラつかせ徐々に間合いを詰めてくる逆徒に、ボラルは半ばパニック状態でアノスに詰め寄る。

その図体で抵抗しようにも逆徒たちがもつ凶器はなかなかに鋭い。

普段から情報収集や探し物ばかり任されているボラルに彼らを退けるほどの場数はなかった。

ゆえに前に立つのは狙われている当事者ではなくその親類。


「心配するな。こうなることがわかっていたからお前を連れてきたんだ」

「はあ?」


 間の抜けた声を出す兄弟を無視して、アノスは前方にいる三人の逆徒へ駆け出す。

それを迎え撃つように武器を構える彼らに逃走の意志は見えない。

バイソレッドを持つ信徒と戦おうとするその姿勢には、普段の逆徒には見られない団結力のようなものが感じられた。


「奇妙なことだ」


 呟くアノスは自分を迎え撃つように振り下ろされた凶器を片手で受け止め、それを握る腕を蹴りはらいにかかる。

刃のように鋭い蹴りを受け、たまらず武器を手放してしままった逆徒は、その瞬間奪い取られた武器の柄で顎を撃ち抜かれていた。

しかし意識を失った仲間の様子を見ても残り二人の士気は下がらない。


「負けは承知か。となると……」


 もう一人が繰り出す追撃を飛び上がって回避しながら、アノスは後方から迫っていた三人がボラルを捕まえるべく走り出していることを確認する。

前方三人は囮で、その三人が本命。

というよりも初めから交戦に入らなかった側が目標を奪取する手はずだったのだろう。


「随分と組織化されたものだな」


 回避で飛び越えた逆徒の後頭部をそのまま踏み抜き二人目を無力化する。

残り一人となった前方の逆徒は気合の声を上げながら武器を振り上げ突進してくる。

しかし凶器も振り下ろす前にアノスはその胸倉を掴み取った。

棒状の木材につけられたガラス片。

その長い間合いは確かに強力だが、反面懐に入られればただの棒きれだった。


「二人とも頭を下げていろッ」


 後方から今にも迫ろうとしている者たちに向かって、アノスは振り向きざまに掴んでいた逆徒を投げ飛ばす。

やせ細った体とは言え、ほぼ変わらぬ背丈をしている男一人を吹き飛ばす怪力には今さらながら目を見張るものがあった。


 砲弾のように打ち出された逆徒は仲間をまとめて巻き込みながら落下する。

後方の三人は仲間の下敷きとなり前のめりの姿勢のまま崩れ落ちた。


「尻尾はまだついてるか、ボラル」

「……どうだかな」


 涼しい顔で戻ってくるアノスにボラルはもの言いたげな視線を向ける。

それを気にすることもなく尻もちをついたソラハを助け起こす彼は、

その身体に傷がないことを確認すると下敷きになった逆徒たちに向き直った。


「誘拐犯の襲撃を受けた逆徒の集団とは、お前たちのことか」


 うめき声を上げながら身じろぎする彼らはアノスの質問に応えこそしないものの、その声は聞こえているようだった。


「口がきけないわけではないだろう。私はその誘拐犯を探しに来た。

上手くいけばさらわれたお前らの仲間を見つけ出せるかもしれん」

「見つける、だと?」


 アノスの言葉に一人の逆徒がついに口を開く。

首をもたげてこちらに視線を向けるその若い逆徒の目は恨みに満ちていた。

肉を手に入れるのを邪魔された怒りか、今までに受けた迫害への憎しみか。

それともひと思いに殺してくれなかったことへの失望か。

そのどれであろうとも瞳に宿る敵対心に変わりはない。


「そんなの、今さら遅いんだよッ!」

「ということは、やはりそうなんだな」


 仲間がさらわれたことを否定しない彼らに事実上の言質を取ったアノスはゆっくりと起き上がる逆徒たちに努めて穏やかに歩み寄っていく。


「私は騎士団の手先でもなければ、お前たちを正当な理由なく傷つけもしない。

仲間を救いたい気持ちがあるのなら、私たちをお前たちの住処まで案内してくれないか」


 しかしその言葉を聞いた逆徒たちは痛む体を押さえながら力ない笑いを浮かべる。

アノスの進言を小ばかにするように皆が視線を交わし合う中、また若い逆徒が口を開く。


「正当な理由だって? そんなの神様が言ったとさえお前らが言えばできあがるだろ。

俺たちウジ虫の駆除に必要な正当性はそれだけ、それだけなんだよ。

こんなわけの分からん理屈で何人仲間が連れ去られたと思ってる」


 吐き捨てるようにそう告げる若者は他の逆徒たちと共に、アノスたちに背を向けて逃げ出した。

全員が別々の路地に消え、すぐにその姿は見えなくなってしまった。

しかし彼らの居所を探していたはずのアノスは焦ることもなく背中に隠れていた二人に向き直った。


「行っちゃったけど、よかったの?」

「ああ、問題ない」

「なにが問題ないだッ! 俺を囮に使いやがって。そのためだけに連れてきたんなら帰るぞ俺は」


 逆徒を誘き出す餌として使われたことにご立腹なボラルはそのまま帰路につかんと元来た道を戻ろうとする。

しかしそんな彼の進行を妨げるようにアノスが差し出したのは先ほどの戦闘で奪い取った逆徒の武器だった。


「ここからが本領発揮だろ? このために連れてきたんだ」

「……調子いいこと言いやがって」


 自分の役目が囮だけでなかったことを知り、いささかのプライドを取り戻したボラルは追跡、探索という得意分野を発揮させるため差し出された武器に鼻を近づける。


「くせえ、生ごみと汗とクソが混ざったみてえな臭いだ」

「追えるか?」

「任しとけよ」


 よほどの臭いなのか、時折えずきながらも彼はその臭いを追っていく。

地面や壁に鼻を近づけその軌跡をたどりながら徐々に進んでいくボラルの後を二人は追っていった。


「ねえアノス」


 そんな中ずっと黙ったままだったソラハが唐突に口を開いた。

アノスは歩みを進めたままその言葉に耳を傾ける。


「さっきの人たち。自分だけじゃなくて仲間と一緒に逃げていったよね」

「そうだな」

「わたしが今まで見てきた逆徒は、

一緒になにかをやっても逃げる時になると自分のために他の人を押しのけるような人たちばっかりだった」


 ソラハの表情に小さな影が浮かぶのは父親の言葉のせいだった。

自分のために生きるという彼の言葉。

それが今まで見てきたような他人を蹴落とすような人間になれという意味なのだとしたらどうすればいいのだろうかと。


 生き抜くために自分を優先させることはどうしても必要で、だからアノスも優しさに囚われないよう彼女に助言したのだろう。

しかしこの少女にはかつて見てきた他者を押しのける者たちより、

お互い助け合いながら駆けていった彼らの生き方が正しいように思えてしまった。


「あの人たちがそうしなかったのはどうしてなんだろう」


 答えを求めてくるソラハの言葉にアノスは歩きながら考える。

自分のために生きること。誰かのために生きること。

どちらの生き方が正しいだなんてことは言えないが、早死にするのは後者だと彼は思った。

誰かを守ることは自分を守ることより断然難しい。

ゆえにその選択を取るにはなにか理由があるはずだった。


「もしかしたら、あいつらも自分より大切なものを与えられたのかもしれないな」

「それは……誰に?」

「それを見つけるためにも、今は歩き続けるんだ」


 ボラルが辿る道の先には逆徒たちの住処があるはず。

そこには彼らをまとめている誰かがいるはずだった。

本来個人主義の塊である逆徒たちを飼いならしている何者かが。


 いつしか周囲の景色は先ほどのような趣深いものとは似ても似つかない、くすんだ光景へと変わっていった。

持ち主がいなくなってしまったのか、草木が好き放題につたを伸ばし、

石壁や木造の屋根が朽ち果てているような家が見え隠れしてくる。

今朝見せられた大通りの活気とは対極に位置するような荒れた街並みに、ソラハ複雑な思いを抱いていた。


「ここだ」


 歩き続けるうちに街中から悪臭すら漂い始めた頃、ボラルはボロボロに朽ち果てた建物の前で立ち止まった。

周囲のものに比べて巨大な木造の建物は、それだけに荒れ方もひどいものだった。

窓は割れ、壁には腐り落ちてしまったのか歪な穴がいくつも空いている。


「思っていた以上に大きいな。この辺りが荒れる前はダンスホールかなにかだったのか」


 アノスはその印象を口にしながら躊躇することなく建物に入っていく。

入り口の両扉もすでに腐り落ち中に入ることは難しくもなんともなかった。


「いこう、ボラル」

「お前が命令すんじゃねえよ」


 それに続こうとするソラハを追い越すようにしてボラルが室内へ飛び込んでいく。

少女は自分に対するボラルの態度が辛辣なことに少し悲しみを浮かべながら彼を追いかけていった。


「誰かいるかッ」


 天井の穴から漏れる光だけがあたりを照らす薄暗い室内。

辛うじて確認できるのは穴だらけの床と舞台のように見える段差と幕。

あそこで演奏される音楽が多くの人々を躍らせ、この場をにぎわせていたのだろう。

しかし今は、アノスの声に返ってくる言葉一つない。


「誰もいないの?」

「そんなわけねえ。臭いは確かにここまで続いてた」


 続いてやってきた二人も、遭遇すると思っていた逆徒が一人も見当たらずに困惑の声を漏らす。

アノスはもう一度あたりを見回し舞台袖の幕に目をつけると、そこに向かって再び声をかけた。


「いつまで隠れているつもりだ? 

先ほどは逆徒のわりに勇敢な奴らだと思ったが、結局は信徒に勝てない臆病者だったか」

「アノス?」


 相手の神経を逆なでするような言葉を浴びせかける彼を見てソラハは首をかしげる。

自分以外の逆徒がいないこの場所でそのようなことを言っても意味がないのではないか。

そんなことを彼女が思った矢先、彼の煽りに返ってくるものがあった。


「黙れッ!」


 飛んできたのは小さな木片。

先ほどの逆徒が持っていた武器に使われたものよりさらに一回り小さいそれは棒というよりもやせ細った枝のようだった。

怒りの声と共に飛んできたそれをアノスは動揺もなく手で掴み取る。


「声を出すだけって言われたでしょ」

「だって……」


 枝が飛んできた幕の向こう側からなにやら口論をする声が聞こえてくる。

その内容までは幕に音を吸われて聞こえないが、その場に誰かがいることを確認するには十分だった。


「なんだ、いるじゃないか」


 小さな笑みを浮かべながら遠慮なしに壇上へと昇っていくアノスに今度は槍のような武器が投げつけられる。

槍は声がした幕の反対側から放たれ、そちらに背を向けていた彼にとってこの投擲は完全な不意打ちになるはずだった。


「自分たちが殺されないと高を括っているのか知らないが。

生憎、神への信仰を持たない私に恐れる禁忌などない」


 背後から迫っていたはずの槍を見ることもなくまたもや掴み取ると、振り向きながら飛んできた方向へ思いきり投げ返す。

人間一人を優に投げ飛ばす彼の放つ槍がどれだけの速度で迫ったのかはわからない。

槍を投げた逆徒がその反撃に気づいた時には、すでに彼の側頭部スレスレを槍が通り抜けていた。


「それとも、一思いに殺された方がお前らにとっては幸せなのか?」


 へたり込む逆徒は、逆徒であるわりに屈強な体をした毛深い男だった。

全身に冷汗を流しながら自分を見下ろすアノスを恐怖の目で凝視している。

彼にとって突然やってきた信徒はすべて誘拐犯のように見えてしまうのだろうか。


「……なにが目的だ」


 男はアノスから敵意を感じないことに気づいたのか、

息を整えつつ、しかし睨みはきかせたままでここへやってきた理由を聞いてくる。

しかしその訳を話すよりも前に向かってくる者がいた。


「やめろッ! パルマに手を出すなッ!」

「ちょっとッ、危ないから隠れてなさいってばッ!」


 アノスの背後にしがみつくように突進してくるのは背の小さな、ソラハよりもさらに小さな少年。

その後ろから離れるように声をかけるのは少年と同じような背丈をした少女だった。


「この子たちは?」

「そんなことをわざわざ聞きにきたのか? 二人とも、離れなさい」


 騒ぎまわる二人をパルマと呼ばれた男は立ち上がりながら静止させる。

彼が無事であることに気づいた少年はアノスから飛び去ると、もう一人の少女の下へ逃げるように走っていった。


「逆徒ならば見境なく襲ってくると聞いていたが、やはりだいぶ私情が混ざっていたようだな」

「なんの話だ」


 パルマは尻についた汚れを払い、アノスと子供たちの間に立つと改めて向かい合う。

先ほど放った木とガラスの槍を握り二人を背後に隠すように立つ彼からは他者を想う優しさが感じられた。


「お前が俺らの仲間をかわいがってくれたんだろ? おかげで何人かはまだ起き上がれないままだ」


 舞台の裏側に小さく設けられた扉を顎で指しながらパルマは皮肉交じりに言う。

先ほどアノスが痛めつけた逆徒たちは彼にいい報告をしなかったようだ。


「家族を昼食にされそうになったからな。抵抗もさせてもらうさ」

「別にそのことに関して文句を言うつもりはない。

殴られて当然のことをしているし、俺たちにとっちゃこれが日常だ」


 逆徒が生き抜いていくためにはゴミをあさり、ものを盗んでいくしかない。

その行為が世間でどう見られているか、彼は理解しており、理解したうえでそれらを仲間に実行させていた。

それは一種の開き直りともとれる潔さだった。


「気になるのはお前らがなんでこんなところまでやってきたのかってことだ。

見たところ騎士というわけでもなさそうだし、俺たちを捕まえに来たわけじゃないんだろう?」

「そのことについて全員に聞きたいことがある。

悪いが先ほどの六人も含めて、今いる奴らをここに連れてきてくれないか」


 理性的に話し合える相手が現れたことにお互いに安堵しながら二人は会話を続けていく。

後ろでその様子を見ていたソラハとボラルはどこか気まずい空気の中でアノスが話をつけ終わるのを待っていた。


「俺はいつまでここにいればいいんだ? いい加減こんなクサい場所からおさらばしたいんだが」


 後ろ足で首を掻きながら気の抜けた声を出すボラルにソラハは声をかけるべきかどうか決めあぐねていた。

思えば彼は初めて会った時から自分にどこか冷たい態度を取り続けていたようにも感じて、

少女はより彼との交流の仕方がわからなくなった。

単純に逆徒だから嫌っているのだとしたら諦めもついたのかもしれない。

しかしボラルの態度はどうにもそれが原因というわけでもないようだった。

そうでなければソラハの臭いをかいだりはしないだろう。


「あの……」


 だとしたら単純に友好を育むための時間が足りていないだけかもしれないと、彼女は意を決して声をかけようとする。その時だった。


「お前たちもあいつの仲間か?」


 いつの間にか舞台を降りていた少年がこちらにやってきていた。

腕を組み仁王立ちでこちらに話しかける態度は大仰なものだが、その小さな体ではむしろ微笑ましさが勝ってしまっている。


「こら、危ないって言ってるのに」


 もう一人の少女も少年を追いかけるように走ってくるが、その瞳は不安げにソラハたちを見ていた。

まだ信徒という存在に植え付けられた恐怖が消えていないようだった。

その怯えた姿にソラハはまるで自分を見ているようだと感じていた。


 アノスに出会うまで、否、アノスと出会った今であっても自分の中にある信徒への潜在的な恐怖はぬぐえないまま。

ここにやってくるまで、信徒とすれ違うごとに彼女の動悸は早まった。

逆徒であることがばれてしまうかもしれないという話以前に、自分にはない力を持つ存在に抱く恐れ。

それは生物として当然の本能。

自分を助けてくれたアノスはともかく、その友人であるボラルにどこか及び腰になってしまうのも、

もしかしたその本能が影響しているのかもしれなかった。


「おい、オレが話してるんだからこっちをむいたらどうだ」

「あ、ごめんね。どうしたの?」


 再び少年から声をかけられ我に返るソラハは慌てて膝に手を突き彼に視線を合わす。

無視されたように感じたのか、少年は不機嫌な顔を隠さずに眉にしわを寄せている。

その様子を背後からハラハラしたように見ている少女が気の毒になってソラハは二人に秘密を教えてしまった。


「そんなに心配しないでも、私も逆徒だから大丈夫」


 アノスによって隠された今、左手に逆徒であることを証明する掌紋はないが、

彼女のその言葉だけで二人の緊張した空気は拍子抜けしたように霧散する。

少女は安心して胸をなでおろし、少年の方は反対に頭に疑問符を浮かべたように首を傾げ始めた。


「信徒と逆徒がなんで一緒にいるの?」

「それは……どうしてだろう」


 生きていくために、という理由が一番に浮かんだ。

実際にその通りで、彼女は父の言葉を守るために生き抜くための場所を手に入れなければならなかった。

しかし自分から明確な意志をもってその場所を、アノスを選んだわけではなかった。


「必要としてくれたから……なのかな」


これからの人生を生き抜く覚悟を決めて、その時手を差し伸べてくれたのが彼だった。

アノスにはどこか危うい面がある。

まだ出会って二日しかたっていないというのに、彼が自分を通して見ている母親への想いは異常といってもいい。

そんな男に、そんな男だからこそソラハは差し伸べられた手を掴んだのだろう。


「……必要」

「ふーん。信徒のくせに変な奴なんだね」


 ソラハの言葉に少女の方はなにか噛み締めるように目を伏せる。

しかし反対に問いを投げてよこした当の少年の方は答えに納得したのか、していないのか、興味なさげな空返事をするばかり。

その視線は既にソラハのよこで欠伸をしているボラルへと向けられていた。


「こいつは?」


 指をさしながら輝かしい視線を向けてくる少年の問いに、ソラハは答えてよいものかとボラルへ目配せする。

しかし彼はそんな彼女の視線を一瞥しただけで断ち切ると、面倒に巻き込まれないようその場から離れようと立ち上がった。


「あッ! 逃げるなよッ!」


 それを察した少年はボラルの尻尾を掴みにかかるが、それを許すような彼ではない。

少年の手をスルリと抜けたボラルは一度振り返り、鋭い視線で睨みつけると威嚇するように一声鳴いてみせた。

ホール中に響き渡るその声に目を向けられた少年は勿論、その後ろにいた少女もすくみ上り、

一目散に舞台袖へ駆け戻っていった。


「ったく、ガキは嫌いだ」


 鬱陶しそうな声を滲ませてボラルはこの場から離れるべく歩き出す。


「どこ行くの?」

「ここじゃねえとこだよ。声が届くところにはいるってアノスに言っとけ」


 目を合わせないままそう告げ、ボラルは離れていってしまう。

やはりどこかソラハに冷たい態度をとっているのは勘違いではなさそうだった。

父を失い、他者との繋がりに飢えている彼女にその事実は冷たく突き刺さった。


「必要とされたからって言ったよな」

「え?」


 そうして俯きかけた時、ボラルがやはりこちらに背を向けたままソラハに話しかける。


「もしそれだけが理由なら、なるべく早くあいつの前から消えてくれ。

お前がそばにいれば、あいつはますます生き急ぐ」


 遠回しな言い方ではなく、より直接的に彼は言葉を投げかけた。

背を向けたままでその表情がどのようなものかはわからないが、

その真摯で落ち着いた声色は今の言葉が紛れもない本心であることを告げていた。


「あいつはバカだからな、他人のお前をエリヤだと思い込んで守ろうとしてる。

犯人捜しなんてのは、あいつが生きる目的でさえあればよかったってのに。

お前が現れて変わっちまった」


 ボラルはアノスと共にエリヤの下で育った彼の親友であり兄弟だった。

お互いに生き抜くことを決め、二人はそれぞれの特技を活かし合いながらこの王都で生きてきた。

しかしそんな中、彼にはずっと気がかりなことがあった。


「あいつはエリヤのことになると自分をかえりみなくなる。

情報に信憑性がなくたって手がかりになりそうなものがあれば自分から危険に飛び込んでいくんだ」


 全身傷だらけで帰ってきたのは、なにも昨夜が初めてではなかった。

一人で危険に飛び込み傷つき、そしてなにも得られないまま帰ってくる。

しかしあの男はこりずに、次の日にはまた見つかりもしない情報を求めてその体に傷を増やしていく。


「あいつは俺にとっても唯一残った家族だ。今さら過去の復讐なんかで命を落としてほしくねえ。

だが俺はこんな体だ。あいつを止められる力も、あいつの想いを覆す言葉も持っちゃいない」


 犬の彼では復讐の手助けも、そんな彼を力づくで止めることもできない。

アノスの意志はあまりに強固で、何度試みたかわからない説得も結局は意味をなさなかった。

ボラルにできたのはただ見守るだけ。その不甲斐なさを彼はいつも胸に秘めていた。


「それでも今までは生きてこれた。

見つからない手がかりを探しながら、たわいのない仕事を続けて、

寝泊まりする家もできて、全部が安定してた。

後何年もすればあいつも復讐なんて諦めてくれると思ってた。それなのに」


 いつまでたっても手がかりは見つからない。ゆえにアノスがこれ以上危険になることもない。

そう考えて過ごしていたボラルの下に親友はソラハを連れてきた。

その少女が誰で、いったいなぜ連れてきたのか。それも一目で理解できた。


「お前が持ってきた情報であいつの復讐は始まっちまったのかもしれねえ。

貴族共がいる上層に行こうとするなんて今まで一度もなかった。

なにがあるかわかんねえし、取り返しがつかなくなる可能性だって大きくなる。

それでもあいつは止まってくれねえ」


 地平の果てにも見えなかった復讐の二文字が、今では薄っすらとその目に見え始めてしまっている。

そこに近づけば近づくほどアノスはさらなる危険に近づくことになり、後戻りがきかなくなる。

ずっと彼を見守っていたボラルにとって、それはなによりも恐ろしいことだった。


「ただ、お前がいなくなれば。お前があいつの前から消えれば。

あいつは復讐よりもお前を探すことを優先するかもしれない。

あいつがお前を諦めるとも思えねえ。

そうなれば少なくともお前が見つかるまで、あいつは復讐なんてやらずに済む」


 大切な者を守るため、ボラルは少女に残酷な言葉を紡ぐ。

逆徒として少女が一人生きていくことは辛く苦しいことだろう。

ボラルはその過酷さを知っていたし同情もしている。

しかし昨日会ったばかりの少女と、物心がついた頃からそばにいた親友の安全。

その両方を天秤にかけた時に取るべきものは決まっている。

たとえどれほど顔が愛する母に似ていようと別人は別人。

ボラルはアノスと違い、そのことについては割り切りを見せていた。


「だから消えてくれ。あいつが必要としてるから、求めているからなんて理由でそばにいるなら。

あいつのためにそばにいるってんなら、あいつのためにお前が犠牲になってくれ」


 それはまるで頭を下げ頼み込むような声だった。

その言葉を最後に、彼は正面入り口から建物の外へ出て行ってしまう。

残されたソラハはその後もなにも口にできず、ただその場所で忘れられた人形のように立ち尽くしていた。



・・・



 パルマが六人の男たちを呼び出し、彼らと子どもたちを合わせた九人の逆徒が舞台上に集合していた。

六人の男たちはまだ信徒が信用できないのか、

誘拐犯がやってきた時の状況をアノスが聞かされている間も、疑念の混ざった視線を向け続けていた。


「ならば血を吸われたというのは本当なんだな」

「ああ、奴に触れた途端、急に眼がくらんで、息もしづらくなってな。

他のみんなも同じように意識を奪われちまって、気がつた時にはもう女たち三人はみんないなくなってた。

食い物を探しに行ってたやつらが戻ってこなければ俺たちもどうなっていたことか」


 パルマは当時を思い出したのか少し青ざめた顔で目を伏せる。

よほど恐ろしい体験だったのだろうがアノスも質問を止めるわけにはいかない。


「誘拐犯は自分の目的について、なにか話していたか?」

「さあな、ただ『あなたたちが必要だ』とだけ。いったい俺たちのなにが必要なんだか」


 犯人の動機はこの事件で最も不可解な点だった。

信徒を誘拐しているだけなら私怨でも身代金目的でも人身売買でも、何かしらの理由が考えられる。

だが逆徒を誘拐して得られるものなどなにもない。

持たざる者としての立場を神に決定づけられた彼らに犯人はなにを求めているのだろうか。


「犯人の容姿を確認したやつはいるのか?」

「……いや、わからねえな。ここにきた時、あの男は外套を全身にまとってた。

分かるのは長身だったってことだけだな」

「男だというのは確かなのか?」

「え? あぁ、そうだ。あの声は男に違いない。そうだろみんな」


 パルマの声に同調するように他の逆徒もややあって頷き始める。

そんな中、唯一不機嫌そうな顔を動かさなかったのは先ほどからアノスを見つめたままでいた若者。

彼はここにやってくる道中にアノスと問答を交わしたあの若者だった。


「なあパルマ、いい加減こんな無意味なことはよそう。

みんなも言ってたじゃないか、母さんたちがいなくなってもう何十日もたってる。

探しても無駄だって。それなのにこんな奴といつまでも話すことないよ。

どうせ信徒は俺たちを不幸にすることしか考えてないんだ」


 彼にとっては信徒と会話を重ねることすら我慢がならないらしい。

信徒が逆徒に向ける嫌悪感も大したものだが、反対に逆徒が信徒に向ける反発もそれと同じように大きい。

彼の中で定義づけられた信徒像は恐ろしく残忍なものとなっているらしく、

その若さも相まってアノスに対する反発は集団の中でも飛びぬけていた。


「それは俺たち逆徒に力がないからだ。俺やお前がもしあの男を見つけられたとして、万が一にも勝てる可能性はない。

本当に母さんたちを助けたいならこの信徒と協力するしかないんだよ」


 まくしたてる若者をなだめるようにパルマはその肩に手を乗せる。

彼はまだ言いたいことが残っていたようだったが、

それを口の中で抑え込むとパルマの腕を振り払って舞台裏の部屋へ戻っていってしまった。

どうしても信徒であるアノスに協力はできないらしい。


「すまんな。あいつはなにも知らない子どもを脱しはしたが、

物事を割り切れるほど大人になってもいないんだ」


 困ったように肩をすくめながらパルマはため息をつく。

しかしアノスは協力を拒まれたことよりも、若者が口にした言葉に注目していた。


「母さんたちと言っていたが、さらわれた女たちというのは」

「親代わりさ。あいつや、この子らは女たちが拾ってきた。

食いぶちも足りてねえってのに、仕方のねえやつらだった」


 自分が生きていけるかも怪しいというのに彼女たちは捨てられた赤子を放っておけなかった。

それが優しさなのか、行く先のない母性本能が抑えきれなかっただけなのかはわからないが、

少なくともそのおかげであの若者や二人の子どもたちは今日も生きている。

それが幸せなことなのかはともかく、彼らにとってそんな母親たちは、

アノスにとってのエリヤのように決して失いたくない大切な者だったのだろう。

まだ母の不在がどのような意味を持つのか理解していないのか、

二人の子どもたちは困惑した表情を浮かべながら若者の後を追っていった。


「少ねえが、俺たちの知ってることはこれで全部だ。悪いがこれ以上は……」

「ああ、わかっている。まだ別の逆徒たちや信徒の被害者にも話を聞きに行く予定もある。

長居はしないさ」


 結局わかったことといえば、犯人の性別とヒゲワシの言っていたバイスの情報の裏づけくらい。

当然それだけで足取りなど掴めるはずもなく、次の行動を起こすためパルマたちとの会話を彼は終了させた。


「ソラハ、ボラルはどうした?」


 壇上から降り、なぜか一人きりで立ち尽くしている少女にアノスは声をかける。

その声に肩を震わせたソラハはゆっくりと振り返るが、なにか後ろめたいことでもあるかのように目を合わせようとしない。


「……なにかあったのか?」

「ううん、なんでもない。ボラル、声が届くところにはいるって」


 沈んだ声を出す少女を心配するような視線を向けながら、彼は声を上げ親友を呼び寄せる。

するとすぐに壁に空いていた穴からすり抜けるようにボラルは姿を現した。

二人の間に流れる空気を察しているのかその足どりはいつもより重たい。


「ボラル。お前、ソラハになにか吹き込んだな」

「人聞きの悪いこと言うな。俺が俺なりに考えた結果だ。こいつがそばにいてもお前にいいことなんてねえ」

「それはお前が決めることか?」

「お前には選べねえ答えだ」


 アノスの追及にボラルは悪びれた様子もなく淡々と口を開く。

彼は自分が間違ったことを言っていると思っていない。

その言葉の揺るがなさに流石のアノスも閉口した。


「こいつがそばにいることでお前が得られる利点を言えるか? 言えねえだろ」

「この子は間違いなくエリヤの娘だ。それを守ることに理由など必要ない」

「この子はエリヤじゃねえ、血縁があろうと俺たちにとっちゃただの他人だ。

お前が守る必要なんかこれっぽっちもねえだろ」


 次第に口論へと発展していく二人を見ながらソラハは自分がどうするべきかわからないでいた。

確かに彼女が生きていく上でアノスという存在は実に安全な居場所となる。

しかしボラルの言うように、そのせいで彼という恩人が傷ついてしまうのは望むところではなかった。

自分の安全とアノスの安全。その二つを天秤にかけ、そのどちらに結論を傾けたら良いのか。

この優しい少女にはわからない。


「なんだったらうちで面倒見るぞ」


 その時、終わらない口論を続ける二人に壇上からパルマが声をかけた。

突然会話に割って入ってきた彼にアノスは睨みをきかす。


「なんのつもりだ」

「今さっき子どもたちから聞いた。その子も逆徒なんだろ?」


 どうやら二人が言い争いをしている間に、ソラハから話を聞いていた子どもたちがパルマにそのことを伝えていたようだ。

アノスは軽率な行動をした少女に咎めるような視線を送りつつ、なおも話し続ける男に耳を傾ける。


「もしその子の処遇でもめてるってんなら、俺のところで面倒を見てやる。

こんな言い方はなんだが、女たちがいなくなったことで余裕ができたからな」


 確かに三人の女がいなくなったことで食料の余裕ができたのなら、体の小さなソラハ一人を養うことぐらいはできるだろう。

ねぐらにしているこのホールも十分に広く今さら一人増えたところで争いが起きるとも思えない。

だが条件がそろっていようともそんな提案をアノスは絶対に受け入れない。

なによりも彼が逆徒である少女を必要としているのだから。

ボラルの言わんとしていることを理解しつつも、

彼女と共に生きることを自分自身が、そしてソラハ自身が決めたのだと信じていたから。


 しかし先ほどから考え込むように俯いて黙ったままの少女を見て拒絶の意を伝えようと開きかけた口を彼は閉じる。

彼女の中で二つの選択が揺れ動いているのがわかった。


「……お前さんはどうしたいんだ?」


 壇上からパルマがゆっくりと呼びかける。

その目は優しげに少女をまっすぐと見つめていた。

それを目の当たりにしたソラハは視線から逃れるように顔をそらす。


「私は……」


 続く答えが言い出せずに少女はそのまま押し黙ってしまう。

周囲から向けられ、突き刺さる視線を責め立てられているようだと彼女は感じていた。

それはたった二つの選択肢を選び取れない自分に対する自罰の感情なのか。


「いきなりこんなことを言われても答えられないか。それならばアノス。

お前の調査が終わるまで、試しにこの子をここに置いてみないか? 

せいぜい日が暮れるまでだろうが、ここの雰囲気は伝わるだろう」

「ソラハを母親の代わりにでもするつもりか?」


 パルマの続けての提案に相変わらず厳しい声を出すアノス。

しかしその隣でうつむいたままのソラハを見ると一概に拒否もできなかった。

彼とて、この少女を無理に拘束しようなどとは思っていない。

母親にうり二つな彼女だからこそその意志を尊重したいとも考えている。


「私、これからもアノスのそばにいてもいいのかわからない。

アノスは私を助けてくれたから、いつかその恩返しができればって考えてた。

でももし私がいることで迷惑がかかるなら……」


 一つ一つ言葉を探すように話すソラハ。その語りを遮ることはできなかった。

どうしたものかと額に手を当てながら事の発端となったボラルを睨みつける。

アノスは彼が自分の思い通りにことが運んだことをニヤケ面で喜んでいると思っていた。

しかしボラルは言葉を紡ぐ少女の後姿を真剣に、なにかを見定めるように見つめている。

それは無条件に嫌う対象を見る目でも、危険因子として排除しようとする者を見る目でもなかった。

まるで彼女の言葉がなにかの答えになるとでも言うように、ソラハの声を聞き逃さんと耳を立てている。


「時間がないと言っていなかったか?」


 だが続く言葉をかき消すようにパルマが声を上げる。

その声に委縮するように口をつぐんでしまった少女の様子を見て、

ボラルは呆れたように首を折ると不貞腐れたように座り込んでしまった。


「なるべく早く事件を解決したいんだろう? 心配しなくても彼女が望めば夕方には返すさ」


 にこやかな顔を崩さないパルマと再び顔を伏せてしまったソラハを見比べながら、アノスも気持ちを切り替えるように一息つく。

今後どのように行動するかを考えながら彼は最後の質問をした。


「誘拐犯がまたここへやってくる可能性は」

「まずないだろう。他の話でも二度目の襲撃があったところはないはずだ」

「そうか……」


 それが真実ならば少なくともソラハが誘拐犯に囚われることはない。

そう判断したのか、彼は根負けしたかのように少女へ向き直った。


「ソラハ、もし怖い目にあうことがあっても、すぐに助けてやることはできないかもしれない。

だが私には決意がある。お前の父親と交わした約束もある。お前を二度と失わせはしない。

それだけは忘れないでくれ」


 アノスはソラハの頭に手を置くとその耳に顔を近づけてささやく。

彼女のそばから自分が離れてしまうことを詫びるように。

その声を聞きながらも少女には母の幻影と父との約束が彼を縛っているのかもしれないと思えてならなかった。


「ボラル、お前もここにいろ」

「……ああ、わかった」


 そしてソラハともに居残りを命じられたボラル。

いつもなら不満の一つでも言いそうな彼が今回ばかりは素直に頷く。


「……頼んだぞ」

「ああ」


 軽く背中を叩きアノスはホールを出ていく。

その背中を二人は見送りながらお互いに己の中で巡っている思考に結論を出せないままでいた。


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