第三十話「俺の妻には必ず君を迎える」
その日を境にラッサムは露骨にコスモのことを避け始めた。夜のお茶の時間はもちろん、食事の席でも目すら合わせない。
アッサムとミーティアも流石にその異変に気が付き、それぞれ二人に声をかけた。それでも事態が変わることはなかった。
前のように部屋に乗り込んで問い詰めればいい。ラッサムの考えは勘違いだ、と今すぐに訂正すればいい。そうわかっていながら、コスモはそれを行動に移すことができなかった。
それは、あの時見たラッサムの表情があまりにも暗いものだったから。そして、コスモは一つの疑問にぶつかってしまったから。
ラッサムのことがわからない。元々表情から読み取れる情報が少ない人ではあった。しかし、コスモがしたことに対して嫌がっているのか、そうではないのかくらいはわかっていたつもりだった。
今回はその比ではない。こんなにラッサムのことがわからないのは初めてだった。
「俺が望んで良いことではなかった」ラッサムの言ったその言葉がコスモの頭の中にへばりついて離れない。
ラッサムはどんな想いでそんな言葉を口にしたんだろう。そう考えてコスモは今まで疑問に思ってこなかったことが突然気になり始めた。
コスモはラッサムの妃になるためにコブルスルツ城にやってきた。既に婚約もしている。結婚式だってもう間近だ。
それなのに何故ラッサムはここまで臆病になっているのだろう。コスモの気持ちがあってもなくても結婚はするのだ。それなら何故勝手に振られたと解釈し、あんなに悲しい顔をしてコスモを遠ざけたのだろうか。
そう思うとどんどんと疑問が膨らんでいく。今までだってそうだ。コスモになかなか気持ちを打ち明けなかったのは何故なのか。夫婦になるのだから隠す必要なんてないはずなのだ。
何かがおかしい。コスモはその言葉を頭の中で何度も何度も繰り返し唱えた。
単純に気持ちを打ち明けただけでラッサムを安心させることはできるのだろうか。自分は何かラッサムのことで重大な見落としをしているのではないか。そう思うとコスモは何も行動に移すことができなくなってしまったのだ。
答えは出ないまま、とうとう結婚式の前日になってしまった。ラッサムとは相変わらず会話もできていない気持ちは焦るばかりだが、どうすることもできない。
夜、コスモは食事を軽く済ませて自室でぼんやりと紅茶を飲んで過ごしていた。ラッサムに何か言わなければならない。しかし、何を言ったらいいのだろうか。どうしたらあの悲しそうな顔を笑顔に変えることができるのだろう。
どこで間違えてしまったのだろう。中庭でラッサムを呼び止められなかった時、ケンリウムで気持ちを伝えられなかった時、軽率にラッサムの妃となることを決めた時だろうか。それとも、アッサムと中庭で結婚の約束をしたあの夜だろうか。
じんわりと涙が滲んでコスモの下睫毛を濡らした。どうしてこうなってしまったのだろうか。アッサムと結婚の約束をしたあの日のような幸福感はもう二度と自分には訪れないのだろうか。
あの時のアッサムの言葉が蘇る。
「俺の妻には必ず君を迎える。そうすればこのお話の姫みたいにならずに済む」
あれ、何だろう。コスモの心に何かが引っかかった。見落としてはいけない何かが───
コンコン
その思考は部屋をノックする音にかき消された。「はい」と返事をすると、「失礼しますね」と元気のいい声が聞こえてサーシャが中に入ってきた。
「やはりまだ起きていらっしゃいましたね。明日、顔に隈ができないように早くおやすみになられませんと」
サーシャはコスモの目の前までやってきて、朗らかに微笑んだ。サーシャもコスモの様子に気がついて気を使ってくれている。それはコスモも数日前から気がついていた。
「そうね、ごめんなさい。もう少ししたら休むわ」
本当は眠りたくなんてない。眠ってしまったら結婚式がやってきてしまうのだから。
「でも、そうですよね。眠りたくない気持ちもわかりますよ」
サーシャがコスモの気持ちを汲んだかのようにそう言った。
「私も今日は眠れそうにありませんからね」
「サーシャも?」
「はい。ここだけの話、自分が幼い頃から見守ってきたラッサム王子とアッサム王子がお妃様を迎えるんですもの、何だか子供が独り立ちしてしまうような、そんな寂しさを感じるんです」
目を細めて、少し苦しそうにサーシャは笑った。
「ラッサム王子とアッサム王子には手を焼かされましたから、特に」
サーシャの目尻にはかすかに皺が刻まれている。私達は大人になったのだ、そう思えてコスモの心もきゅっと音を立てた。
「アッサムは別として、ラッサムにはそこまで手を焼かなかったんじゃないの?昔から大人しい人だったから」
「あら、コスモ姫はラッサム王子にそんな印象をお持ちでしたか?」
クリクリとした無邪気な瞳がコスモに向いた。
「とんでもないですよ。二人ともにとても苦労させられました」
「ラッサムにも?」
意外だった。ラッサムはあんなに大人しい人だったのに。
「はい。二人とも悪戯好きで、二人揃って私のことを騙したりするんですよ。特に入れ替えっこにはいつも騙されてばかりで」
「入れ替えっこ?」
「えぇ、今はお二人は髪型が違うので見分けがつきますが、昔はほとんど同じ髪型だったのを覚えていらっしゃいますか?」
確かに昔はラッサムもアッサムも同じくらいの髪の長さで髪型も同じだった。
「でもあんなに性格が違うのだから、見分けられない訳はないと思うのだけど」
「そう思うでしょう?それがまったくわからないんです!」
サーシャは気持ちも昔に戻っているのだろう。砕けた口調になって続けた。
「見た目はもちろんですけど、性格や口調まで真似るんですよ?それがまぁすごい完成度で!」
「アッサムはまだわかるけれど、ラッサムがアッサムの真似を?」
「そうなんです!あの大人しいラッサム王子が一変して、元気なアッサム王子になりきるんですもの。本当に見分けがつかないくらい本人そのものなんですよ?ものすごい演技力ですよね」
見分けがつかないくらいの入れ替えっこ。コスモはハッと息を飲んだ。
「ラッサム王子は普段からあのくらい感情表現しれくださればいいのに。やればできるんだな、と思いましたよ」というサーシャの声を遠くで聞きながら、コスモの頭の中ではあの日のアッサムの言葉が再び響いていた。
「俺の妻には必ず君を迎える。そうすればこのお話の姫みたいにならずに済む」
俺。アッサムは自分のことをいつも僕、と言っている。あの時だけ、俺、と。
ドクドクと心臓が大きな音を立てはじめた。まさか、まさか───
「コスモ姫?」
顔色が変わったコスモを心配そうにサーシャは覗き込んだ。コスモはどこか遠くを見つめたまま、がたっと音を立てて椅子から立ち上がった。
「ラッサムは、今、どこにいるかしら」
その声の必死さから何かを感じ取ったのだろう。サーシャは、
「先程、部屋から外に出ていかれました。城内にいらっしゃるかとは思いますが」
と、すぐに答えた。
「中庭だわ……」
コスモはそう呟くとサーシャと目を合わせて、
「ありがとう、サーシャ!」
と、お礼を言ってそれを合図にものすごい勢いで部屋を飛び出していった。




