第二十九話「俺が望んで良いことではなかった」
ミーティアが部屋を出ていった後、コスモはさっそく筆を執った。字なんて滅多に書かないのでなかなか綺麗に書けない。文字を失敗しては初めから書き直し、文章が変になったと思えば初めから書き直しを繰り返しているとなかなか進まない。結局手紙を書き終えたのは夕食の一時間程前のことだった。
しかも、書いたのは「話があります。夕食の後、中庭で待っています」という要件だけのものだった。挨拶から雑談を入れたものも書いたが、意味がわからなくなってしまったので、削っていったらこれだけが残ったのだ。
コスモはその手紙を手にしばらく悩んだ挙句、結局勇気が出ずにロロに手渡してもらうことにした。ロロはすぐに戻ってきて、コスモが「すぐに読んで」と言ったのを伝えて目の前で読んでくれたと報告してくれた。そして、ラッサムは「わかった」と、言ったとのことだった。それを聞いてコスモは安堵と共に緊張が身体中を駆け巡ってわずかに震えた。
夕食の席でコスモはいつものようにラッサムの隣に座った。しかし、内心ではかなり動揺していた。さっき「夕食の後、中庭で待っています」と書いて渡したのに、夕食で顔を合わせることをすっかり忘れていたのだ。いつもならこのまま一緒に戻って夜のお茶の時間を共にする。それなのに、待っています、だなんてなんて恥ずかしいことを書いてしまったのだろうか。
コスモは俯きがちにさっと食事を済ませ、国王と王妃が退席してからラッサムを置いてすぐに食堂を出た。ラッサムはすぐに追いついてくるだろう。それでも、「待っています」という言葉を実現すべく、ラッサムより先に中庭に向かいたかったのだ。
小走りで中庭に出ると、中庭の奥まで入ってアッサムと約束を交わしたあのベンチに腰を下ろした。上がってしまった息を整えようと浅く息を続けるが、走っただけではない息切れはなかなか落ち着いてくれなかった。
それでも時間が経つにつれて周りの景色が目に入るようになってきた。今日はいつもよりも風が吹いている。満開の花がさわさわと音を立てて揺れた。
ちゃんと言えるだろうか。「ラッサムが好き。私もラッサムと一緒にいたい」と。
その言葉を思い浮かべただけで落ち着いたはずの心臓の鼓動がまた早くなってくる。苦しくてじっとしていることもままならない。
そんな自分に負けたくない。コスモはぎゅっと拳を握った。ラッサムに想いを伝えてもっとラッサムのことを知りたい。思えば自分はラッサムのことをあまりよく知らない気がする。一緒に過ごしてきたはずの幼少期の記憶もアッサムのものがそのほとんどを締めている。
ラッサムは花に詳しいように思う。アッサムとはコスモが中庭を気に入ったのを知って、夜に図鑑を中庭に持ってきて一緒に花について学んだこともあった。今ではさほど興味がないように見えるけれど。
ラッサムはどうして花に興味を持ったのだろう。幼少期にラッサムが中庭に来ていた記憶はない。コスモの知らないところでここに来ていたのだろうか。
それにしても、ラッサムはまだ来ないのだろうか。待つというのは時間が長く感じる。
そう思ってコスモはあることに思い当たった。そういえば私は中庭で待っていると言ったけれど、奥のベンチにいるとは一言も言っていない。アッサムとは当たり前のようにこの場所で会っていたけれど、ラッサムがそれを知るはずもないのだから。
まずい───
そう思って腰を上げた瞬間、奥から歩いてくる人影が見えた。だんだんと近づいてきて姿形がはっきりとする。ラッサムだった。
「ご、ごめんなさい。ここにいるって言っていなかったから、別のところで待っていてくれたんじゃない?」
「いや、大丈夫だ」
ラッサムは静かにそう言うとコスモの隣に腰を下ろした。コスモももう一度しっかりとベンチに座り直した。
静かな中庭に自分の心臓の音だけが響いている。言わなければ───
頭がどんどんと真っ白になって身体の感覚がなくなっていく。言葉を出そうと口をぱくぱくとさせるが、乾いた口からなかなか言葉が出てこない。
ラッサムは、と見ると、静かに中庭の花を眺めているようだった。いつも無口で無愛想なラッサムだけれど、今日はさらに暗い影が落ちているように感じた。
いよいよ言葉を発しようと意気込みながら、コスモは不思議な事にアッサムと過ごした夜の中庭でのことを思い出していた。こうして言葉も少なくただ中庭を眺めたこともあった。ぽつり、ぽつりと話すだけで、必要以上のことは話さない。なんだろう、それってラッサムと過ごす時間と似ているような気がする───
「コスモ」
ラッサムが自分の名前を呼ぶ声で過去から引き戻された。ラッサムは自分の斜め下に広がる何もない地面を見つめていた。
「コスモが何を言いたいのか、わかっている」
「……え?」
何を言っているのか、瞬時には理解できない。そんなコスモを置いてラッサムは言葉を続けた。
「困らせるようなことを言って悪かった。忘れてくれ」
強すぎる風が吹いて太めの茎や枝もざわざわと揺れた。
「……嫌なら帰っても構わないから」
ラッサムの出した声は深く沈むような暗い声だった。何を言っているかぼんやりと理解できてきて、コスモは思わず立ち上がった。
「ち、ちが……」
「すまなかった。俺が望んで良いことではなかった」
中庭に来て初めてラッサムと目が合った。その瞳は見たこともないくらい濁っていた。それだけでコスモにもラッサムの悲しみが伝播して身体が冷えていくのがわかった。
「すまなかった」。その言葉には何かコスモが理解できていないことまで含まれているような気がして、コスモは石のように固まってしまった。
ようやく血が通って動けるようになった時にはラッサムの背中が遠く消えて見えなくなるところだった。
「なん……で……」
コスモはその場に座り込んでただ涙を流すことしかできなかった。




