第二十八話「ラッサム様は奥手な方だとは思っていましたが、まさかここまで……」
その日の夜、忙しい時間を縫って短時間だけラッサムとコスモはお茶の時間を二人で過ごした。
ラッサムのことが好き。そう気がついたコスモはラッサムの顔をまともに見ることができなかった。
何を話したらいいかもわからず、口の中だけやたらと乾く。ラッサムが話を振ってくれても上手い返しができずに言葉は尻すぼみになってしまった。そして、そのまままともに会話が成立しないままお茶の時間は終わった。
翌日はいよいよ近づいてきた結婚式のリハーサルだった。ラッサムとアッサム、コスモとミーティアの四人で式の流れを確認する。
ラッサムの隣に立ったコスモは本番でもないのに酷く緊張して身体を固くした。あまりに何も喋らないコスモにミーティアが気が付き、心配そうに声をかけたくらいだ。コスモはこれではいつもと逆だ、しっかりしなければ、と思いはするものの、引きつった笑顔しか出せないのだった。
式はコブルスルツ城に隣接する教会で挙げられる。両脇のステンドグラスからキラキラと光が差し込む明るい雰囲気の教会だった。
式のリハーサルと言っても覚えることはほとんどない。リハーサルでも本番でも周りの人の誘導に従って動くだけだ。しかし、王子の結婚式で間違いはあってはいけないと念のためにリハーサルをするのだ。まずは四人で入場し、司祭に祈りを捧げてもらう。
今までは何ともなかったのに、コスモはラッサムの腕に触れるだけで酷く緊張した。服越しなのに触れたところが熱い。顔も赤く染まっている。
本番ではこのままではいけない。そう思うが、自分の気持ちを鎮める方法がわからなかった。
リハーサルは順調に進み、指輪の交換まで終えた。司祭は次にこう口にした。
「それでは誓いのキスを」
「き……キス!?」
コスモは思わず瞳をカッと見開いて司祭を見た。アッサムとミーティアは驚いたようにコスモを見て、ラッサムは少し耳を赤くして司祭を見た。
「はい。今はリハーサルですので結構ですが、本番ではお願い致します」
司祭はコスモの動揺を意に介さないように事務的にそう口にした。コスモはふらっと身体を揺らしたが、何とか踏みとどまって目の前のラッサムに目線を移した。
ラッサムとキス。心臓がドクドクと脈打ち、目の前に靄がかかるようだった。
キスなんてもちろん誰ともしたことがない。それをラッサムと。しかもたくさんの人の前で。
前に立つラッサムの薄い唇が目に入った。その瞬間、顔から火が出そうなくらい熱くなって、慌てて目を逸した。どうしよう、どうしたらいいんだろう。
その後、退場までの流れを司祭の言う通り一通りこなしたが、コスモの頭の中はキスのことでいっぱいで、何も考えられなくなってしまったのだった。
***
結婚式のリハーサルが終わってラッサム達と別れた後もコスモは頬をほんのり染めたまま気が抜けてしまったようにぼーっとしていた。そんなコスモを心配し、ミーティアが部屋に訪れたが、それでもコスモは何も喋ることができずにぼんやりとしていた。
こんな状態でラッサムとキスなんてできるのだろうか。その前に逃げ出してしまうかもしれない。コスモは自分で自分が心配になった。
結婚式はもうすぐだ。そもそも、それまでに自分の気持ちをラッサムに伝えるべきではないだろうか。
ラッサムはコスモが自分のことを好きだとは思っていない。そのまま結婚していいわけがない。ちゃんと自分の気持ちを伝えなければ。
自分からラッサムに気持ちを伝えることを考えるとコスモは気が遠くなる思いがした。どれだけの勇気があればそれができるのだろうか。そして、ラッサムはその勇気を出したのだと思うと胸が苦しくなった。
「コスモさん、本当に大丈夫ですか?」
「……え?」
ミーティアの声が聞こえたものの、内容が理解できずにコスモは聞き返した。
「ケンリウムから戻って来られた辺りから様子がおかしいように思います。ラッサム様と何かあったのですか?」
心配そうにコスモを見るミーティアを認識し、コスモはぼんやりとした意識が現実に戻ってくるのを感じた。しかし、その問に上手く答えることができないかった。既に婚約者であるのに「ラッサムに告白されて動揺しているの」なんて恥ずかしくて口にできない。
「それは……」
否定もできずにコスモは口ごもった。
「コスモさんが結婚式に理由もなく緊張するとはとうてい思えませんので、心配で……」
ミーティアは悲しそうに眉尻を下げてそう言った。
「私でお力になれることがあれば何でもしますから、おっしゃってくださいね」
コスモはミーティアを力なく見た。ミーティアとアッサムは心を通じ合わせているように思えるが、どうやってその勇気を振り絞ったのだろう。いつもは頼りなくさえ見えるミーティアが今は眩しく思える。
「ミーティアはアッサムとキスしたことはあるの?」
「……えぇぇ!?」
ミーティアはコスモの突拍子もない質問にたじろいで、頬にはさっと赤色が差した。そんな態度を見せてもコスモの顔は変わらず真剣なのを見て、ミーティアはこほん、と一つ咳払いをしてから口を開いた。
「それは……はい」
「そうなのね」
婚約者ともなればそれが普通だろう。頬を赤らめて恥ずかしそうにしながらもどこか幸せそうな表情で肯定してくれたミーティアをコスモは純粋に羨ましいと思った。
「コスモさんは、まさか……?」
ミーティアの表情が陰った。コスモは素直にこくりと頷いた。
「ラッサム様は奥手な方だとは思っていましたが、まさかここまで……」
普段は穏やかなミーティアの顔にほのかな怒りが見て取れて、コスモは少し目を見開いた。そんなに怒るようなことだろうか。
「ファーストキスが人前で、だなんて嫌ですよね」
そう言われてみればそうか。ラッサムとキスをすることばかりに考えが向いて、そのことはまったく考えていなかった。何も言わないコスモを肯定と取ったのか、ミーティアは憤慨しながら続けた。
「それは絶対に結婚式までに二人きりでキスをしてもらわなくてはなりませんね!」
ラッサムはキスしたいと思っているのだろうか。そう考えただけでコスモの顔はみるみる内に赤く染まっていった。
メラメラと燃えて拳を握るミーティアにコスモは恥ずかしさを堪えて疑問を投げかけた。
「それじゃあもし、もしだけれど、私からそういう雰囲気に持っていく時はどうしたらいいと思う?」
ミーティアは「普通は男の人の方が頑張ってくれるものですけど」と前置きしてから、
「事前に宣言するのがいいんじゃないですか?やっぱり直接会ってからだと恥ずかしいですし、勇気も出ないですから」
と、言った。やっぱりミーティアでもそういう時に勇気を出すのは難しいのだな、とコスモは少し安堵してから、
「具体的には?」
と、さらに尋ねた。
「そうですね……手紙を書く、というのはどうでしょうか?自分の気持ちを書いてみるんです。手紙なら渡してしまうだけですから」
「なるほど」
手紙、いいかもしれない。コスモは一筋の光を見た気がしてミーティアの細く白い手の上に自分の手を重ねた。
「ありがとう。これから書いてみる」
「上手くいくことを祈っています。もし何かあればまた言ってくださいね。アッサムに言ってもらうこともできますから」
なんて心強いんだろうか。コスモはミーティアという存在のありがたさを改めて感じて強く手を握りしめた。




