第二十一話「揺れる気持ち……」
アウスルツへ到着したコスモとミーティアは町長と役人達、噂を聞きつけてやってきた町の住人達、そしてラッサムとアッサムに出迎えられた。優雅に馬車から降り立ったコスモは、まずはにこやかな笑顔を住人達に向け、湧き上がる感嘆の声には手を振って応えた。すぐに町長の出迎えを受けると、美しい笑顔で町長と握手を交わした。
続いて降り立ったミーティアもコスモに習い、住人達にぎこちないながらも笑顔を向けた。住人達はコスモのすきのない美しさに感嘆した後だったため、少し緊張した様子の可愛らしい姫を微笑ましく受け取り、ミーティアに温かい笑顔を向けてくれた。それに安心し、ミーティアも恥じらいながら手を振ってそれに応えた。
町長と握手を交わした二人は目の前にあるアウスルツの町役場の中に案内された。ラッサムとアッサムが二人を囲むように立った。
二人の姫を出迎える時、コスモはアッサムと目が合った。コスモは浮かべていた美しい笑顔を一瞬で消し去り、鋭く冷ややかな顔に一変させた。そのあまりの鋭さにアッサムは目を見開いて後ずさりしそうになったほどだった。
しかし、今は公務の最中。コスモのその鋭い表情もアッサムから目を逸らすとまた元通りの美しい笑顔に変わっていた。夢でも見ていたのかと面食らってしまったアッサムだったが、それが現実のことだと背中を伝う冷や汗が語っていた。
「移動で疲れていないか?」
何も気がついていないラッサムは美しい笑顔を浮かべるコスモの手を取ってエスコートしながらそう尋ねた。
「大丈夫よ、ありがとう」
熱い怒りの感情を胸に押さえ込んでいたコスモだったが、そのラッサムの言葉に再び背筋を伸ばして自分の振る舞いに落ち度がないように思考を集中させた。
***
一行は昼食にしては豪華な食事を堪能した。その豪華さから、アウスルツの豊かさが象徴されるようだと感じた。
昼食後は役人に案内されて予定通りアウスルツの街を視察した。住民の興味の瞳に晒されながら街を歩き、市場に向かった。市場はほとんどが午前中に営業を終了しているので客はほとんどいなかったが、その広さと後片付けに追われる人々の多さから活気のある市場なのだろうということがすぐにわかった。
市場に残る品物は王都に流通しているものなのでほとんど目にしたことがあるものだったが、コスモ達は普段見ることのできない市場の様子を興味深く視察して回った。
ひとしきり見回った後、コスモ達は馬車で泊まる宿に移動した。部屋は婚前だということもあり、ラッサムとアッサムで一部屋、コスモとミーティアで一部屋使うことになった。結婚式が終わった後はラッサムと同じ部屋で過ごすのか、と思うとコスモは落ち着かない気持ちになった。
疲れた身体を少しだけ休めると、今度はアウスルツの役人や貴族たちとの夕食を兼ねたパーティのためにコスモ達はドレスに着替えて身なりを整えた。
パーティ自体は50人規模の小さなものだったが、王子達の婚約者を初めて目にするアウスルツの人達を前に一時も気が抜けなかった。そのおかげでパーティが終わって部屋に戻った時にはコスモとミーティアはくたくたになっていた。
「流石に疲れたわね……」
「はい、今日はよく眠れそうです」
花柄で白く綺麗だが座り心地は良くない椅子に身を預けて、二人は代わる代わるに溜息をついた。しばらくそのままただ身体を休めるだけの時間を過ごし、少し顔色が良くなったミーティアがコスモの様子をじっと伺いながら口を開いた。
「コスモさんはもうお休みになられますか?」
「そうしたいところだけれど、今日のうちに見ておきたいものがあって」
「ラッサム様ですか?」
「違うけど……」
コスモは目に当てていた腕を離して昼間よりもくぼんだ瞳でミーティアを見た。
「そっか、ミーティアはアッサムに会いたいわよね」
言い当てられてミーティアはぱっと頬を明るくした。
「いいわ、いってらっしゃい。私もそんなにすぐは寝ないし、寝ていたとしてもこんなに疲れていたら起きることはないと思うから気にしなくていいわ」
「ありがとうございます……」
ミーティアは今にも動き出したそうにもじもじとした。その姿を見てコスモは純粋に羨ましいという思いと、アッサムに対する嫌悪感を思い出した。
「それでは……」
コスモはミーティアが出て行くとすぐに立ち上がった。あまり遅くならない内に見ておきたいものがある。疲れた身体を奮い立たせて部屋を出た。
宿を出るとすぐそばにある花壇に向かった。宿に入る時に花壇があるのを見つけて、デーラに聞いたブラックムーンを見ておきたいと思ったのだ。
花壇を見つけて暗がりに目が慣れるまで屈んでじっと見つめた。目が慣れてくると様々な花が植わっていることに気がついた。コブルスルツ城の中庭で見かけた花もある。コスモはじりじりと横へ移動しながら花を丁寧に観察していった。
花壇も端まで行って、もうここにはないかもしれない、と思った時にその花を見つけた。白い花びらで中心が濃い紫色になっている。デーラに聞いた特徴と一致している。この花がブラックムーンだ。
顔を近づけて匂いを嗅いでみた。よく鼻を近づけないとわからないくらいかすかに甘い香りがした。横に生えている色とりどりの花に比べて白と黒に近いその色は地味に見える。しかし、ずっと見ていると他のどの花より可愛らしく見えてきた。そして、コスモは何故かラッサムの顔を思い出していた。
「揺れる気持ち……」
コスモは小さくブラックムーンの花言葉を口にした。ラッサムはコスモのことをどう思っているのだろうか。ラッサムはその答えを拒否した。何故それを口にすることができないのだろうか。そもそも何故自分はこんなにラッサムの気持ちが気になるのだろう。
「コスモとラッサムはとてもお似合いだと思うけどね」というグリーゼの言葉が頭に浮かんだ。もしそうだとしても、ラッサムの本当の気持ちがわからないまま結婚式を迎えてしまっていいのだろうか。
自分の中でラッサムという存在が大きくなってきているという事実をコスモは自覚しはじめていた。ラッサムに避けられて食後のお茶を拒否されていた時、苛立ちと共に寂しさを感じていた。
ラッサムと一緒にいると落ち着く。無愛想なその顔からチラリと覗く笑顔をもっと見たいと思うことすらある。
アッサムへの想いを断ち切ってラッサムと夫婦としてやっていけるかもしれない、そんな予感が胸の奥深くで渦巻いている。それなのに、それを表面に出すにはあと一歩何かが足りない。
それがラッサムの言葉なのか、アッサムに対する気持ちへの踏ん切りなのか、自分の気持ちの問題なのか、それがコスモにはわからずにいた。
「コスモ……っ!」
自分の名前が聞こえてゆっくり横を向くと、息の荒い余裕のない表情のラッサムが立っていた。
「ラッサム?」
「はぁ……」
ラッサムは大きく溜息をついて片手で額を抑えた。
「部屋にも宿にもいないからどこへ行ったかと心配した。ここは城の中じゃないんだから、一人で勝手に出歩くな」
「あ……ごめんなさい」
コスモは素直に謝った。ラッサムの余裕のなさの原因が自分にあるとわかったからだ。田舎のケンリウムでは一人で勝手に外に出ることなんてしょっちゅうあったし、自分の立場を考えていなかった。申し訳無さと共に、ラッサムが心配してくれたことに対して胸がぽっと温かくなるのを感じた。
「……花か?」
落ち着きを取り戻したラッサムがコスモの目の前に広がる花壇を見た。
「そう。デーラからアウスルツにはブラックムーンという花が咲いていると聞いていたから見てみたくて」
「何故そんな地味な花を……」
「そうかしら。可愛らしい花だと思うけれど」
コスモはブラックムーンをもう一度見た。控えめだけど可愛らしい花はどこかラッサムに似ている、と思った。コスモはブラックムーンを一輪手折ると立ち上がった。もう一度鼻に近づけると、かすかな甘い香りが優しかった。
コスモは無言でそれをラッサムに差し出した。ラッサムは大きな手でその小さな花を受け取ると顔の近くまで持ってきてじっと見つめた。
「ブラックムーンの花言葉、知っている?」
「……あぁ」
「デーラに今の私の心のようだって言われたわ」
「コスモの?」
ラッサムとコスモの目線が交わった。コスモは迷いなくラッサムを見つめたが、ラッサムの瞳の奥は揺れた。
「勝手に外に出てしまってごめんなさい。自覚が足りなかったわ、これからは気をつける。迎えに来てくれてありがとう。嬉しかった」
コスモはそのまま一気にそう言って、最後に「おやすみなさい」と付け加えてラッサムから目線を外してそのまま宿に戻っていった。ラッサムは顔だけ後ろを振り返ってコスモの一本筋の通った背中を見たが、コスモの姿が宿に消えると手に持った一輪のブラックムーンに目線を戻した。
「揺れる気持ち……」
ラッサムはそう呟いて、そのまましばらくその場に立ち尽くしていた。




