67.いいんじゃない?
「ほんと、遊人らしいわ」
「……抜かせ」
けらけら笑う直斗にしかめ面をしてみせる。
ほんと、理央には敵わない。
プロポーズまで先手取られるとか、マジへこむ。
そうでなくても最近はへこむことばかりだってのに。
「いいじゃないの。手配はアタシの方でやっとくから」
「ふざけんな。自分でやるに決まってるだろ」
「そんな暇、あるの?」
ちらり、とマジな目で見られて口をつぐむ。
今日だって直斗に連行されたんでなきゃここには来なかったらだろう。
「……わかってる」
「遊人?」
理央が不安そうに見上げて来る。
きっと、理央も気がついてるんだろう。
どうして俺がこんな――気の抜けたむさくるしい格好をしてるのか。
「なにかあったの?」
「いや。仕事が忙しいだけだ。復帰したばかりだからな」
理央の頭を撫でながら笑みを浮かべる。
彼女には心配をかけたくない。それに――復帰後で忙しいのは事実だし。
「そりゃそうよね、新しいプロジェクトのリーダーだし」
「えっ、そうなの?」
「……まあな」
嘘は言ってない。……まさか、俺のいた会社がなくなってるとは思わなかったけどな。
じろりと睨んでも直斗はどこ吹く風だ。
労基署の監査が入ったとかで、サビ残がバレて、未払い賃金を払えずに倒産したとか、笑うに笑えねえよ。
道理で、同僚たちが誰一人来ないわけだ。それどころじゃなかったんだよな。
俺だって理央を迎えにくるどころじゃなかった。
「仕事……忙しいんだ」
理央のあからさまに落ち込んだ声に、直斗は苦笑した。
「心配しなくてもいいわよ。遊人はずっと家にいるから」
「え?」
どういうこと? と理央は首をかしげる。
「今の遊人はフリーランスなのよ」
「フリーランス?」
「そう。自宅で仕事をしてんのよ。カッコいいでしょ?」
直斗の言葉に苦笑を浮かべる。
フリーランスのプログラマーと言えば格好はいいが、不安定な職業だ。
会社員と違ってなんの保障もない。仕事がなくなればすぐ干上がってしまう。
「心配しなくていいわよ。可愛い妹に苦労させるつもりはないから」
「あんたの話には乗らねーぞ」
「あらひどい。理央に苦労させるつもり?」
「そんなつもりはない」
「大丈夫よお、アンタならできるって」
「なんのこと?」
キョトンとした顔で覗き込んでくる理央に、顔が緩む。なんでこうも可愛いんだよ。ったく。
「遊人に会社興して社長になれって言ってるんだけどねえ」
「柄じゃねえよ。それに、俺は現役でいたい」
前の会社でもそろそろ管理する側に回れとか言われてた。でも、俺は技術屋でいたいんだよ。
それに、社長なんてほんと、柄じゃない。
「無理して胃をやったくせに」
「……もうやらねえよ」
「そうしてちょうだい。可愛い妹が泣くのは嫌だもの」
「わかってるよ」
「じゃあこれ。さっさと書いてちょうだい」
渡されたのは薄っぺらくて……。
「こ……」
婚姻届。
「ち、ちょっと待て」
「大丈夫、戸籍謄本もあるから」
はい、とか渡されて、俺は理央と顔を見合わせる。
「理央」
「はい」
「……本当に俺でいいのか?」
念のため、と聞いてみれば、理央はぶうと頬を膨らませた。
「ボクの方がプロポーズしたんだよ?」
「そうだな」
するりと頭を撫でると、理央は嬉しそうに微笑む。
この笑顔を守ると誓ったんだ。
そのためなら、なんだってやる。
「……よし」
ペンを取り出してサインをする。理央も同じように書き込む。保証人の欄はすでに埋まっていた。
風間浩人、というのは直斗の父親の名だ。先日の打ち合わせで顔合わせした時にもらった名刺と同じ名前。そして。
「神原……透?」
「……親父の名前だ」
いつの間にもらって来たのだろう。というか、顔合わせする前にすでに話がついてるとか、なんの羞恥プレイだよっ!
「安心なさい。このあと顔合わせだから」
「はあっ!? ちょっと待てよっ」
こんなスウェット姿で顔合わせとか、マジ勘弁してほしい。こんなの見られたら、鉄拳制裁間違いなしだろ。しかも、顔合わせってことは……。
「大丈夫、アンタがどんな格好してても気にしやしないわよ、うちの両親」
「俺が気にするわっ!」
「もうじきここに来るから、あきらめなさい?」
「マジかよ……」
「遊人……?」
「ああいや、大丈夫だ」
両親に会うのは久しぶりだ。入院前には間に合わなかったから、半年以上ぶりか。
眠り病から目覚めた途端に結婚とか、何言われるやら。
理央を撫でながら、こっそりため息をついた。これくらいは許してくれよな。




