其の20
私は研究所内にある空き倉庫に閉じ込められていた。広さは学校の教室程度。
倉庫の中はがらんどうで窓さえ無い。
先日、お父さんと私は研究所のどこかにある部屋に通されて面会を行った。
ひとしきり世間話をした後、お父さんは急に真剣な顔になってもう二度とここへは来るなと言いだした。
なぜそんなことを言うのか私はお父さんに問い質した。しかしお父さんは話そうとしなかった。
それでも私は食い下がらなかった。この研究所に配属されてから明らかに様子が変わってしまったことを指摘するとお父さんは周りを確認して小声で私にある話をした。
それはこのテトラポッド社がいかに危険な研究をしているかということだった。
遺伝子操作・遺伝子改良を元にした生命兵器の製造。
そして再び最後にお父さんは言った。
『二度とこの研究所には近寄るな』と。
私はお父さんの身を案じたが、お父さんは笑って大丈夫だと言った。どう見ても大丈夫そうな表情には見えなかったが、私は何も言わなかった。
お父さんとの面会を終えた私は研究所の人に連れられて出口へ向かっていた。
だがしかし、出口へと向かっていると思っていたのは私だけだったようで、実際到着したのは研究所内のどこかにある格納庫だった。
どうやらお父さんが私にテトラポッド社の研究内容を話してしまったことがバレていたらしい。
かくして私は捕まり倉庫の中へと閉じ込められてしまった。
その倉庫には他にも何人もの人がいた。
老若男女の別無くまるで共通点が見つからない人々。
彼らの話を総合するとどうやら誘拐されたようである。
そしてその倉庫の中の人数は時間が経つにつれ減っていった。
連れて行かれるのだ。テトラポッド社の研究員に。
中で何もすることのない捕まった人々はどこに連れて行かれているのだろうかと訝しがり不安になっていた。
それがどこに連れて行かれているのか、何をされるのか私はお父さんから話を聞いたせいで知っていた。
だが私は黙っていた。倉庫の中にいる人たちに話してしまえばきっとパニックになると思ったのだ。
私はどうなってしまうんだろう……。このままいつか実験体にされるのだろうか。
その夜も私は寝れずに倉庫の角で三角座りをしていた。
そんな時だった。
ドゴオオオオオオーーン!
研究所全体を揺らすような轟音が響いた。
「なんだ!? 爆発か!?」
「畜生! 出せ! ここから出せよ!」
「やだもう……帰りたい……!」
倉庫の中は一気にパニックになった。今までの不安をぶつけるように人々が暴れだす。
パニックになったのは私とて同じだった。
一体、何が起こったのか理解できずにいた。
そしてすぐにその音は聞こえてきた。
パラララララ……!
ドドーン!
銃撃戦と爆発音。
まるで戦争でも起こっているかのような音が聞こえてくる。
怖い。何が起こっているか分からない。
次に聞こえるようになったのは人々の叫び声と獣の咆哮だった。
『ひぃいい! 化け物……!』
『ぐるぉおおおおお!』
『ぎゃああああああ!』
扉に聞き耳をたてていた人たちが不審がる。
「化け物……だって?」
「外で何が起こっているんだ?」
私は直感的に悟っていた。遺伝子操作をされた動物たちが研究所から逃げ出したのだと。
それなら逆にこの倉庫内にいるほうが安全かも知れない……。
しかし、私の考えは甘かった。
ドガォン!
倉庫の扉に何かが体当たりして扉がぐしゃりと凹む!
『ぐるるるる……』
扉の向こう側から聞こえる唸り声。
一気に倉庫の中は叫び声が渦巻いた。
みな、扉から離れ壁際へと退避する。
ドゴォン! ドゴォン! ドゴォン!
何度も、何度もその“何か”が扉に体当たりをする。どうやらこの中に私たちがいることを理解しているようだ。
そしてついに扉がひしゃげ、“それ”が私の視界に入る。
「ひっ!」
身がすくんだ。
ひしゃげた間から見える“それ”はあまりにも自然界の生物から逸脱していた。
「なんだよあの動物!?」
「動物!? お前、馬鹿か! 化け物だろうがどう見ても!」
姿は狼のように見える。
だが明らかに頭が二つあるのだ。
それはまるでケルベロスを模して創られたかのような“キメラ”であった。
ケルベロスはひしゃげた間に二つの首を突き入れると左右に穴を広げていく。
メキョ! メキョメキョ!
なんて力なんだろうか。大の大人たちが叩いても体当たりしてもビクともしなかった金属の扉が簡単に割れ、音をたてて地面に倒れる。
ケルベロスはのっそりと倉庫の中に入ってくると四つの瞳で人々を見回した。
そして一人の男性に眼をつけると口からよだれを垂らして跳びかかった!
「ぎゃあああああああ!」
倉庫内で血飛沫が跳ぶ。
壁にペンキをぶちまけたかのように赤が彩る。
べちゃべちゃと人の内容物が床にばら撒かれる。
「キャアアアアアアアアアァ!」
叫ばずにはいられなかった。
「に、逃げろおおお!」
誰かが叫んだ。
その声で倉庫の中の人々が扉へ向かって走りだす。私もすぐに死に物狂いで逃げようとした。
だが――
「あ、あ……」
男の子がケルベロスに怯えて尻餅をついたまま動けないでいた。
ケルベロスの視線が男の子の方へと向く。
「だめ……!」
思わず私は引き返して、男の子を抱きしめた。
守らなきゃ……!
「ぐるるるるる……」
ひたひたとケルベロスが私と男の子に向かって歩いてくる。
誰か……! 誰か助けて……!
「あおおおおぉーーん!」
ケルベロスが私たちへと跳びかかる。
「誰か助けて!」
私は眼を瞑って叫んだ。
刹那!
「シヤィニングイツキキーック!」
「!?」
そんな叫び声がし、眼を開くと――
どげし!
まさにあの人がケルベロスに横から跳び蹴りを食らわせているところだった。
「きゃいん!」
ケルベロスは吹っ飛んで床へ体を打ち付ける。
『………………』
呆然としてしまう私と男の子。
そこに現れたのは一体どういうことだろうか樹先輩である。
なぜ? どうして樹先輩がここに?
彼は振り向くとキラリと白い歯を光らせて親指をたてた。
「迎えに来たぜ、菊りん!」
ケルベロスは起き上がると唸りをあげて彼を睨み付ける。
「い、樹先輩……! 後ろ……!」
私がツッコミを入れることも忘れケルベロスを指差す。すると、彼もケルベロスの動向に気づいた。
「任せろ、菊りん! はああああっ!」
ケルベロスが駆けてくる!
「スーパー……!」
そして樹先輩も駆ける!
彼は右拳を大きく振りかぶるとケルベロスにすっと手の平を出した。
「お手……!」
がぶ。
ケルベロスは先輩のお手を無視して彼の頭にかぶりついた。
一瞬、間を置いて先輩の頭からぷしゅーっと血が出る。
「きゃああああああ! 先輩! 血ぃ! 血ぃいい!」
それを見て私の顔からサーッと血の気が引く。
「オー、グッドボーイ、グッドボーイ」
しかし先輩はケルベロスの頭を撫でていた。
がぶ。
もう一つの頭が先輩のその手に噛みつく。そして彼の手を引き千切ろうと頭を振る。
「なんだー? 腹が減ってるのかー?」
それでも先輩はにこにことしていた。
しばらく本能に任せて先輩を噛み殺そうとしていたケルベロスだったが、先輩がなんら抵抗しないことを不思議に思ったのか急に動きを止めた。
「…………」
唸るのも止め、じーっと噛みついたまま樹先輩を見ているケルベロス。
するとどうだろう。
ケルベロスは何を思ったのか。さっきまで歯を剥き出しにしていたにも関わらず、先輩の頭と手から口を離した。
代わりにペロペロと彼の傷口を舐め始める。
「優しさは嬉しいがよだれが染みて痛いぞ、このー」
先輩はケルベロスの二つの喉をくすぐった。
「ハッハッハッハ」
するとケルベロスは舌を出して喜んだ。
「せ、先輩……大丈夫なんですか、それ……」
「ああ、こいつら人間に実験されたから人が怖かったんだろう。でも敵意がなけりゃ大丈夫さ」
でも先輩、最初思いっきり蹴ったじゃないですか……。
「って、そもそも樹先輩どうしてここにいるんですか!? ていうか、なんですかその格好!?」
樹先輩は黒のスーツに身を包んでいた。しかもその腰には銃がぶら下がっている。
かつて私は彼のそんな姿は見たことがない。しかもどうして銃なんかを持っているのか。
私の問いに彼はバーローの人みたくフッと格好つけて答えた。
「新谷樹……アンサラーさ」
アンサラー……!
ふらふらと私は彼から離れる。
予感はあった。普段の彼からは到底想像できないような印象を受ける時はあった。だけど、それが事実として目の前に突きつけられ、私は動揺を隠せないでいた。
「この件に君を巻き込んでしまったことを……」
そこで溜めて再び彼は私を見た。
「本当にすまなかった思う……!」
「いやジャックバ○アーの物真似とかしないでいいですから。もう古いですから」
「ちぃ! この流行敏感娘め!」
例えアンサラーであっても樹先輩は樹先輩であった。
そのことに私は少し安堵する。
「はい、隊長。質問です」
すっと私は手をあげた。
「なんだね、菊隊員」
「どうやって脱出するんですか?」
「うむ、いい質問だ。本来はこっそり脱出するつもりだったんだが……」
と樹先輩は銃撃戦の音がしている方を見る。
「なんだか予定外のことになっちゃった☆」
ぺろりと舌を出す先輩。
「なっちゃったじゃないですよ!?」
「お、お姉ちゃん……」
男の子が私の服の袖をくいくいと引っ張った。樹先輩は男の子の存在に気づくとハッと驚いた表情になる。
「まさか! その子は……! 菊っちの隠し子!?」
「違いますよ! どう考えたらそうなるんですか!」
「ほら、俺とあの時の……」
指をもじもじと絡ませてあらぬ方向を見ている樹先輩。
「あの時ってどの時ですか! 何もしてませんよ! 誤解されるような言い方はやめて下さい!」
怪訝に思ったのか男の子が再び私の服の袖を引っ張る。
「お姉ちゃん、なーに、あの時って?」
「純粋な瞳で訊かないで!?」
「あっはっは。まるで家族だなー。ペットもいるし」
樹先輩は傍に付き従っているケルベロスの頭を撫でた。
すると頭を撫でられなかった方が、撫でられた方に嫉妬をして喧嘩をしだした。一つの体で喧嘩するのはとても難しそうだった。
「こらこら、ラルクとシェル、喧嘩しちゃだめだろー」
…………。色々と間違ってる気がする。
「さーてと、そろそろ本気で脱出するか。戦闘がかなり激しくなってきてる」
不意に先輩の瞳が真剣な色に変わった。
樹先輩が銃を取り出し、両手に持った。
ばさっと彼の黒い背広が靡く。
瞬間。
彼の気配が変わった。
「一気に行く。はぐれるなよ、菊」
どきっ。
嫌応無しに私の胸が高鳴る。普段のへらへらした顔ではなく、とても頼もしく感じられる横顔。こういうギャップは卑怯だと思う。
「は、はい!」
「アオーン!」とラルクとシェルが吼える。
どんなにちゃらけていても、どんなに馬鹿をやっていても、彼はやっぱり頼りになる人なのだ。
かくして私は男の子の手を握り彼の背中を追って走りだした。




