第53話 罠
全土食典準決勝の朝。
会場となる広場には、夜のうちにギルドの手回しで用意されたという新たな調理台が並べられていた。
「準決勝のテーマは『野鳥と香草』! 残る四組による同時調理、制限時間は二刻!」
進行役の重々しいドラの音が鳴り響くと同時に、観客席から割れんばかりの歓声が上がった。
『ガストロノミー・レオン』の調理台に運び込まれたのは、山間部で捕獲されたばかりの『岩山ウズラ』と、野生のソレル(酸葉)やヨモギといった青々としたハーブ類だ。
「よし、仕込みに入るぞ。ルカ、解体からだ」
「おう!」
ルカが細身の包丁を構え、ウズラの羽元へと刃を刺し入れた、まさにその瞬間だった。
「……ん?」
ルカの動きがピタリと止まった。無骨な指先がウズラの腹を割き、断面の匂いを嗅ぐなり、太い眉をグッとひそめる。
「シェフ……こいつは酷えな」
「どうした?」
レオンが近づくと、ルカは解体途中の肉を指し示した。身の奥深くに、どんよりとした赤黒い血汁が溜まっている。
「血抜きが露骨に雑だ。それどころか、わざと血を体内に残したまま時間を置いてやがる。皮裏の脂も傷んでやがるぞ」
「なに……!?」
バルトが身を乗り出し、激昂しかけたのをリゼがとっさに手で制した。
「静かに、バルト……! 周りの客や審査員が見ています」
隣の区画を見ると、商業ギルドと裏で通じている老舗の料理人たちが、ニヤニヤとこちらを盗み見していた。モルガンが裏から手を回し、レオンたちの調理台だけに劣悪な下処理の食材を回したのだ。
「ちっ……こんな腐りかけの血が残った肉でどうやってまともな料理を作れってんだ!」
バルトが低く唸る。
だが、レオンの表情には焦り一つなかった。静かにウズラの肉を手で触れ、その弾力と匂いを確認する。
「……問題ない」
「シェフ!?」
「血が残っているなら、その血ごと旨味に変えればいい。料理を舐めるな」
* * *
レオンの手が、素早く動き始めた。
「ルカ、骨ごとに解体して関節の血溜まりを削ぎ落とせ。水洗いは最小限にして、塩水と砕いたソレル(酸葉)の汁に浸けて血を浮かせろ」
「了解だ!」
「ヴォルフ、澄ましバターを用意しろ。いつもより少し高めの温度で一気に焦がし、ヘーゼルナッツのような芳香を立たせるんだ」
「はいっ!」
「リゼはヨモギの葉を細かく刻み、すり鉢でペースト状に潰してくれ。酸味と苦味で、肉に残るエグみを完全に中和する」
狙い済まされた指示が飛ばされる。
普通の料理人なら、強い特製蜜や濃縮果汁をぶち込んで臭みを塗たくるところだ。だが、レオンはソレルが持つ野生の鋭い酸と、焦がし澄ましバターの香ばしさ、そしてヨモギの爽やかな苦味を組み合わせることで、残された血を『重厚なソースのコク』へと昇華させようとしていた。
ルカの包丁が肉の繊維を正確に切り分け、リゼのすり鉢から力強い野草の香りが立ち上る。
妨害などなかったかのように、完璧な集中力で調理を進める彼らの姿に、観客席からも「あいつら、何かトラブルか……?」「いや、手際が凄まじいぞ」とどよめきが広がり始めた。
* * *
終了のドラが轟く。
審査卓に運ばれたのは、商業ギルド推薦の老舗が出した『岩山ウズラの特製蜜とぶどう煮込み』。濃厚だが、肉の奥に潜む血生臭さを蜂蜜のしつこい甘さで無理やり押さえつけた一皿だ。
そして、『ガストロノミー・レオン』が出した一皿『岩山ウズラの焦がしバターロースト・ソレルとヨモギの野草ソース添え』。
こんがりと香ばしく焼き上げられた肉身に、深緑色の艶やかなソースがとろりと絡んでいる。
「ふん……血の抜けていない不完全な肉で、一体何ができたというのだ」
モルガンが客席の影で冷笑を浮かべた、まさにその時だ。
審査員長を務める王国公爵が、ナイフで肉を切り分け、口へと運んだ。
「――っ……!?!?!」
公爵の手からナイフが落ちそうになるほど、目が見開かれた。
「な……なんだこの深みは……っ!? 野鳥の力強い肉の旨味が、焦がしバターの香ばしさと合わさって怒涛のように押し寄せてくる……っ!」
「ええい、このソースだ! ヨモギの苦味とソレルの強い酸味が、肉の重さをすべて芳醇な『野性味のコク』へと変えている……っ! 臭みなど微塵もない、完璧な調和だ!!」
審査員たちが我先にと皿へ群がり、骨の髄までしゃぶり尽くす勢いで食らいついていく。
罠として仕掛けられた「傷んだ血」すらも、完璧な下処理と酸味の乳化によって至高のソースへと変えられていた。
* **
「準決勝……勝者、『ガストロノミー・レオン』!!」
雷鳴のような歓声が広場を包み込む。
客席の影で見ていたモルガンの顔から完全に余裕が消え、不気味に顔を歪めていた。
レオンは包丁を拭うと、静かにモルガンのいる方向へと変顔で嫌味な視線を向けた。
「見た目はガキだが、中身は大人を舐めるなよ」
ついに残すはあと一戦。全土食典の頂点、決勝戦の舞台が幕を開けようとしていた。




