第23話 コースの決断
氷のように冷たく、ゴムのように強固な肉質を持つ、持ち込まれた上位魔獣の肉塊。
石造りの店舗の厨房で、レオンは一晩かけてその肉と静かに向き合っていた。
「水分が抜けやすく、冷気由来の独特な脂の臭みが強い。普通に火を入れれば、水分が一気に蒸発して縮み上がり、生ゴムみたいな食感にしかならん。……だが、筋肉の密度の高さと組織の並びは、前世で扱い慣れた最上級の牛ほほ肉やスネ肉に近い」
レオンは【微風】の魔法を極限の微弱出力で均一に当て、肉の表面に留まる冷気と雑味を含んだ表面の水分だけをピンポイントで蒸発させていく。
さらに、手すきで絞った野生の柑橘果汁と香草を合わせた液体に肉を浸し、【微火】で酵素を活性化させながら筋肉組織を徐々に解きほぐしていった。
「固い肉を柔らかくするには、筋膜のコラーゲンをゼラチン質に変質させる低温長時間加熱が不可欠だ。西麻布なら真空調理器でコンフィにする場所だが……ここでは【微火】の精密な温度制御で代用する」
五十八度という絶妙な温度をコンマ単位で維持し続けること数時間。
肉は冷気特有の刺々しい冷たさを失い、指で押すと吸い付くような、信じられないほどしっとりとした柔軟性を帯び始めていた。
* * *
翌日の夕暮れ。約束通りやってきた冒険者ガルムたちは、半信半疑の顔で店内の木製ベンチへどっかりと腰掛けた。
「おいガキ……本当にあの肉が喰えるようになったのか? 大通りの有名な料理屋じゃ、煮込んでも靴底みたいにしかならなかった代物だぞ」
「座って待ってろ。すぐに出す」
レオンはあらかじめ温めておいた厚手の石皿の上に、薄切りにした肉を整然と盛り付けた。
表面は焦がしバターでサッと香ばしくローストされ、包丁の断面は艶やかな深紅色のグラデーションを描いている。そこに、肉を焼いた鍋に残ったジュ(肉汁)と赤果実の爽やかな酸味を合わせた特製ソースをたっぷりとし回しかけた。
「食ってみろ。『本日の魔獣肉のロースト 〜野生果実の赤ワイン煮込み風ソース〜』だ」
「……これが、あのカチカチの肉だと……!?」
ガルムが大剣のような武骨なナイフを肉へ当てた。すると、抵抗らしい抵抗もなく、刃先が吸い込まれるようにスッと肉を切り裂いていく。
狐につままれたような顔で、その肉塊を一口で口へ放り込んだ瞬間――ガルムの目が飛び出さんばかりに見開かれた。
「――っ〜〜〜〜っ!? なんだこれッ!? 柔らかい……!? 噛んだ瞬間に、濃厚な脂の旨味がじゅわっと溶け出して……あの不快な臭みが完全に爽やかな果実の香りに化けてやがる……っ!!」
「おいおいマジかよガルム! 嘘だろ、俺にも喰わせろ!」
後ろで固唾をのんでいた仲間の冒険者たちが、我先にと石皿へ手伸ばし、肉を奪い合うように口へ運ぶ。
「う、美味すぎる……! 柔らかいのに肉の噛みごたえもしっかりあって、噛めば噛むほど肉汁が出てくるぞ……っ!」
「俺たちが今までダンジョン深部で喰ってたパサパサの干し肉は一体何だったんだ……!? これが……料理だってのか!?」
絶叫しながら石皿のソースまでパンですくい取って完食したガルムは、興奮で肩を大きく上下させながら、ズッシリと重い金貨袋をテーブル叩きつけた。
「買いだ! 今後、俺たちがダンジョンで獲ってきた珍しい魔獣肉は、全部お前に優先して持ち込んでやる! その代わり、街に戻ってきた時は真っ先にこの肉を喰わせろ!」
「交渉成立だ。助かるよ」
レオンは静かに金貨を受け取り、ガルムの分厚い手と力強い握手を交わした。これで、本店舗のメインとなる「高級魔獣肉」の安定した仕入れルートが完全に確保できた。
* * *
冒険者たちが満足気に去り、静まり返った厨房でレオンは一人、羊皮紙のノートを開いていた。白紙のページの上部に、ぽつんと一つだけ「メイン:本日の魔獣肉のロースト」と炭ペンで書き込む。
(……何が持ち込まれようと、その肉質と脂肪の状態を見極めて【微火】と【微風】で極上に変えてみせる。食材に振り回されているようじゃプロとは言えないからな)
レオンはペンを握ったまま、一部始終を見守っていたバルト、ルカ、リゼの三人へ静かに視線を向けた。
「それと、この本店舗は『完全予約制』のコース営業にするつもりだ」
「予約制……だと? ふらっと入ってくる客を断るってのか? せっかくの客を逃すことにならないか?」
驚いて身を乗り出すバルトに、レオンは首を振って理由を説明した。
「希少で高価な魔獣肉を無駄にしないための『廃棄ゼロ経営』だ。それに、前菜やスープ、肉の熟成には膨大な時間がかかる。予約の分だけ最高の状態で仕込み、一席一席の客に全力を注ぐ。これが俺の目指す料理店だ」
合理的な説明に、バルトと職人たちも深く納得して頷いた。
だが、レオンのペンはコースの最後の項目でぴたりと止まっていた。
(メインの肉と予約制という枠組みは決まった。……だが、コース全体の調和に必要な『前菜』や、胃を温める『スープ』、そして何より砂糖も生クリームも冷やす氷すら存在しないこの世界での『デセール(デザート)』……。ここが本当の試練だな)
「シェフ? 難しい顔をして、どうしたんですか?」
心配そうに覗き込んでくるリゼに、レオンはふっと苦笑いを漏らした。
「なに、最高のコースを作り上げるための『欠けているピース』を探しているだけだ。……まずは、どんな肉にも負けない前菜とスープの仕込みから始めるぞ」
『本日獲れた魔獣のロースト』を軸に、完全予約制の店舗営業へ。
10歳の三つ星シェフによる異世界ガストロノミーの挑戦は、いよいよコース全体の本格的な構築へと踏み出していた。




