一【緑の彼方】
不定期
地下洞に本物の朝は来ない。
時計の短針が6時を指すと、天井にある吊り下げ灯が一斉に光る。それを人々は朝と呼んでいた。
それから30分後の6時半には、寺の鐘が鳴る。その音で人々は起床していた。
『ボーン……ボーン……』
「朝か……」
目が覚めた。
薄い天井、錆びた配管、どこかで換気扇が唸っている。
「今日も変わらないな」
レーズは布団から起き上がると、壁のひび割れを指でなぞった。湿ったコンクリートは冷たく、爪の間に灰色の粉が入り込む。
「この建物、改築しないのか?」
この部屋には窓がない。
代わりに、小さなモニターが壁へ取り付けられている。映っているのは外ではなく、地下洞中央広場の映像だ。照明に照らされた人混みが、蟻の群れのように動いている。
太陽を見たことは一度もない。ただ、ガキの頃に学んだ教科書に載っていた事だけ覚えてる。
黄色くて、眩しく、空に浮かぶ一つの星。
相変わらず水道からは、舌に残る金属臭を帯びた水が勢いよく出る。
「飲めた物じゃねぇ」
顔を洗いながら、天井のスピーカーに耳を傾ける。
「この放送は朝6時45分をお知らせします。
重要通達。能力未検出者の地上進出は禁止されています。」
毎日流れる放送だ。恐らく、もう誰も聴いていない。
……でも「地上」という二文字だけは、毎朝耳に残る。
「配給取りに行くか」
外へ出るたびに目につく。
このオンボロアパート、外壁の鉄筋が剥き出しになっていたり、湿気で伸びた蔦で覆われた部屋もある。それに、常に屋根から滴る水が異様に響いていて、耳障りだ。
正直、そろそろ引っ越しても良いと思う。
だが、引っ越そうにも意味がない。
隣の区画へ行ったところで、崩れかけた建物が並ぶ景色は何も変わらない。
つまり、どこを歩いても同じ様な建物が並んでいるって訳。
地下洞の中心で、人が沢山集まる地下洞中央広場。毎朝、上の連中による飲食物の配給が行われている。
俺ら能力のない一般人は、何処の露店でも、相手にされない。金があっても意味はない。能力がなきゃ、まともな店にも入れない。
「やっぱり、配給所の列は凄いな……」
配給される飲食物は日によって違う。
今日は塩漬けパン4個と浄水3Lだった。
圧倒的に足りない……常に腹がなってる。
「塩漬けパン、不味いなぁ」
なんで俺には能力が無いんだろう。周りのみんなは、何かしらの能力を持ってるのに……
もう一回検査をしに行くのも有りだよなぁ。もしかしたら、今になって能力が開花してるかもしれない!
「ヨシっ。行くか」
地下政府役所の地下3階に能力検出所がある。
ここへ来るたび思う。静かすぎる。こういう場所は苦手だ。でも、図書館はよく使う。
「あの、能力検査をお願いしたいんですけど」
今日こそ……この14回目の検査に全て賭ける。
「はい、畏まりました。えぇと……レーズ様でお間違いありませんか?」
「はい。間違いありませんけど」
名前は確認されるのは初めてだな。
「現在19歳でお間違いありませんか?」
「はい。19歳です」
カウンターのお姉さんが少し申し訳なさそうに言った。
「あの……能力検査なんですけど、18歳迄なんですよ」
「マジですか。
えっ、何とかなりませんか?お願いします!」
18歳までは聞いてない。これで検査できなかった、俺は一生ドブ暮らしだぞ……
「じゃあ、18歳ってことにしてください」
年齢詐称……。この街では、戸籍なんて誰も気にしちゃいない。
「──自己責任ですよ?」
「有難う御座います。よろしくお願いします」
カウンターのお姉さんは優しく微笑んだ。
「では、ご案内いたします。此方へどうぞ」
この景色とも今日でおさらばか……
目の前には、見慣れた白い部屋。そして、一人の検査官。
———数時間後———
天井の吊り下げ灯が省エネモードに入る。夕暮れの合図だ。
そして、俺は行きつけの飲み屋にいる。
「いつものかい?」
「……今日は酒だ」
「検査、行ってきたんだろう」
「そうだよ?悪いか?」
「いやぁ、悪かねぇ
で?どうだったんだ」
「十四回目だぞ。
笑えるよな。
「十九歳にもなって、まだ期待してた」
もう、笑う事しか出来ない。最後の悪足掻きも、無駄に終わった。
「つまり、未検出って事だな?」
「今日も探検家の探検報告か──
はぁ……俺も、ああやって報告したかったなぁ」
モニターを見上げながら、そう呟いた。
画面の中では、防護装備の探検家が青緑の密林を進み、淡々と解説を続けている。
「おうおう、14連敗のダメ男がよく言うぜ」
隣に座っていた大柄な男が、俺の肩を叩きながら笑った。それに便乗して周りの客が哄笑した。
「何だよ、殺すぞ。俺には失う物がねぇんだよ」
「殺すってお前……たいそうな事抜かしやがる」
男はニヤつきながら、さらに挑発を重ねた。
「そこら辺にしとき」
女将の制止が入った。
「これが何か分かるか?」
俺は見せつけるようにリボルバーを持ち上げた。
「何だよその鉄屑は、笑わせるんじゃねぇよ。
お前はそいつで俺とやり合うってんだな」
俺と、大男は、周りの客が作った即席のアリーナに乗り込んだ。
「お前から掛かって来い。どんな攻撃でも防いでやるよ」
リボルバーの引き金に指を置いたのは良いものの。実際に発砲するのは初めてだ。どうなるか分からない。そう言う恐怖のせいか、あと一歩が踏めない。
「どうした?何突っ立ってるんだ?そっちが来ねぇなら、俺から行ってやる」
大男が俺の肩を押した。
その衝撃で、指に力が入った。
《バキュンッ!》
乾いた破裂音が店内に響いた。
男の頭部が弾け、アリーナの一角と共に倒れ落ちた。
数秒遅れて悲鳴が上がった。
「……」
手が震える。それに、この硝煙の匂いは……。これが銃なのか。
指先が、勝手に震えて止まらない。
想像以上……。
未検出だったショックで感覚が狂ってるのか?どうしても、周りと同じように叫ぶことが出来ない。
ずっと鳴り響く耳鳴りのせいで、意識が曖昧だ。
微かに女将の声がする。
「おい、レーズ!……派手にやっちまったなぁ。はよ逃げぃ。捕まったら死刑だぞ」
足に力が入らない。
非常警報が鳴り始める。
その非常警報がさらに客の混乱を招いた。窓を破り脱出を図るものまで現れ始める。
「女将……死にたくねぇよ……俺は、撃つつもりじゃなかった」
「殺人したあんたが言うんじゃねぇ。
いいから、早くお逃げ」
俺は店を出て、家へ向かって駆けた。今まで以上に、捕まりたくないという気持ちが俺を駆り立てた。
血の匂いがまだ残り、吐きそうになる。
それにしても、銃とは恐ろしい物だ。初めての感覚を味わった……
自宅の扉を閉めた。
警報もサイレンもここまでは届かない。薄暗いワンルームに、古い換気機の音だけが回っている。
靴も脱がずにベッドへ倒れ込み、そのまま寝ようとした、その時だった。
卓上ラジオが急にノイズを吐いた。
「──昨日発表されたイミテの汚染源は偽物だったことが判明。本物は依然として未発見とされています……ザ、ザザッ──」
「偽物?おぉマジか」
地下政府が解決間近と発表していた例のニュースだ。多くの探検家たちの間でも話題になっていたはず。
つまり、まだ誰も、汚染源を見つけていない。
「…んてことは、まだチャンスあるってことじゃねぇか」
俺は部屋の隅のゴミ箱に突進した。
丸めて捨てた紙を引っ張り出す。
『地上脱出ルート(仮)』
『警備見廻り時間表』
『地下洞昇降坑警備員交代時間表』
「ッよし」
ベッドの上に紙を広げ、ペンで新しい線を書き足す。
「どうせ死刑だ。だったら最後くらい好きに生きてやる」
その時、再びラジオが鳴った。
「──本日、謎の道具による発砲事件の通報あり。該当区画の住民は外出を控えてください──」
「もう出回ったのか」
このリボルバーがあれば、イミテでも生きていける気がする。これを俺の能力って事にしよう!
行くぞ……。
カーテンを閉めた。
深呼吸。
「……今夜しかない」
レーズは三時間、地下洞の見取り図とにらめっこしていた。
何本もルートを書いては消し、消しては書き直す。
成功率は……どうでも良いか。
「うん、十分だろ」
深夜二時。
地下洞警備と昇降坑警備、双方の交代兼メシ休憩が重なるわずかな空白時間。そこを狙う。
防護コート(中古)、ガスマスク(型落ち)、非常灯(点滅気味)、リボルバー(古代武器)、ナイフ、枕
装備チェックは三秒で終わった。
「準備万端!」
深夜の地下は昼よりもうるさい。
配管の振動、換気の轟音、遠くの機械音。
だから足音が紛れる。都合がいい。
立入禁止区画のシャッター前。
「ここを右、先は監視カメラの死角……」
リボルバーのマズルに枕を当てて発砲する。
《ボスッ》
「頼む……バレるなよぉ」
ダクトの下を這って通過する。
服が引っかかってちょっと破れた。
「お気に入りのズボン……」
そして……
イミテ行き地下洞昇降坑のハッチが見えた。
分厚い金属扉。封鎖テープ。警告表示。
『能力未検出者の地上進出は重罪』
俺はこの看板に軽く目を通した。
「長ェ文章だこと」
ハンドルに手をかけ、そのまま地上、イミテへ向かった。冷たい隙間風が体に当たる。
眩しい光と共に、異様な臭いが俺を襲った。
「こ、これがイミテか……」
カクヨムにも載せてます。




