第一話:金色の髪の騎士と、煤けた画材
初投稿です。
よろしくお願いいたします。
――カチ、カチ、カチ。
深夜二時。静まり返った東京の自宅で、液晶タブレットに向かってペンを走らせる音だけが響いていた。
締め切りは明日の朝。限界を迎えた目頭を押さえ、「あと背景のハイライトさえ終われば……」とコーヒーを口に含んだ、その瞬間だった。
視界が、文字通り真っ白に染まった。
「――おお! 成功だ! ついに我が国に救いの聖女が!」
耳を突き刺すような歓声と、嗅ぎ慣れないお香の匂い。
驚いて目を開けると、そこは自宅の自室ではなかった。見上げるほど高い天井、精緻なステンドグラスから差し込む怪しげな光。私は、複雑な幾何学模様が描かれた石床の魔法陣の中心に突っ伏していた。
手にはまだ、愛用のデジタルペンが握られている。しかし、目の前にあったはずのパソコンも液晶タブレットもない。
「……え? なに、これ……」
パニックになる私を囲むように、豪奢な刺繍の法衣をまとった老人たちが、血眼になってこちらを覗き込んでいた。その中の一人、一番偉そうな大神官が、震える手で大粒の水晶を私の前に突き出す。
「さあ、聖女様! あなたの『職業』をこの鑑定水晶にお示しください!」
言われるがまま、訳も分からず水晶に手を触れる。
一瞬、まばゆい光が走り、水晶の表面にゆらりと文字が浮かび上がった。それは、私の母国語である日本語の羅列だった。
『職業:絵師』
「え……」
大神官が動きを止めた。周囲の神官たちも、浮かび上がった文字を凝視したまま、水を打ったように静まり返る。
「……絵師? 聖女、ではないのか?」
「魔力の数値はどうだ。聖属性の極大魔力は……」
「いえ、測定不能なほど微弱です。一般的な平民と変わりません」
みるみるうちに、老人たちの顔から熱狂が引き、冷酷な侮蔑の色へと変わっていく。
「チッ、外れか。無駄に儀式の魔石を消費させおって」
「衣服も奇妙極まりない。ズボンを穿いた破廉恥な格好だ。おまけに戦いもできん無能な職業とはな。神の御託託も、たまには狂うということか」
つい数十秒前まで「聖女様」と崇め奉るような目を向けていた彼らは、私を人間とも思わないような冷たい一瞥をくれると、吐き捨てるように背を向けた。
「おい、そこの下級神官。この女を片付けておけ。王宮の隅にある物置にでも放り込んでおけばよかろう。最低限の干し肉と水だけは与えておけ。死なれて呪いでも残されては敵わんからな」
「お待ちください! ここはどこなんですか!? 私はどうなるの――」
訴えかける私の声は、冷たい石造りの大聖堂に虚しく響くだけだった。容赦なく両腕を掴まれ、引きずられるようにして連れて行かれたのは、王宮の最果てにある、日の当たらない薄暗い一室だった。
ガチャン、と重苦しい鉄の扉が閉まり、鍵がかけられる。
部屋の中は、ひどく埃っぽかった。窓は小さく、月明かりすらほとんど届かない。蜘蛛の巣が張った簡素な木製ベッドと、ガタつく机。床には長年放置されていたらしきカビ臭い毛布が転がっている。
床にへたり込み、場違いなデジタルペンを握りしめたまま、私は膝を抱えた。
さっきまでの締め切りのプレッシャーが、遠い幻のように思える。
「……最悪。せめてペンタブとパソコンがあれば、現実逃避でもできるのに……」
ポツリと呟いた声は、冷え切った部屋に吸い込まれて消えた。絶望と疲労で涙がこぼれそうになったその時、月明かりの隅に、いくつかの古い木箱が転がっているのが目に留まった。
それは、前の住人が残していったのか、あるいはゴミとして捨てられたのか。
埃を払って中を覗くと、そこには煤けたパレットと、数本の古びた筆、そして、見たこともない不思議な色彩を放つ数色の絵の具が入っていた。
画材を目にした瞬間、胸の奥のざわつきが、少しだけ静まるのを感じた。
イラストレーターの血が騒いだ、というわけではない。ただ、あまりの理不尽さと、これからの不安を紛らわせたくて、私は無意識に筆を握っていた。
キャンバス代わりの古い羊皮紙に向かい、ただ一心に、自分が一番見たいと思うものを描く。
――温かな光。傷を癒やす、優しい救いの手。
気がつけば、夜が明けるまで描き続けていた。羊皮紙の上には、柔らかな光を放つ、美しい女神の絵が完成していた。
「……よし。やっぱり、描いている時間が一番落ち着く」
ふっと息を吐いた、その時だった。
ガタガタと、部屋の扉が激しく叩かれた。
「おい! 中にいる者は無事か!?」
慌てて扉を開けると、そこには息を荒くした一人の青年騎士が立っていた。
輝くような金色の髪に、涼やかな青い瞳。しかし、その体には幾つもの痛々しい傷があり、鎧には魔獣の黒い返り血がこびりついている。
彼は、ここから遥か遠く、陸路で一週間はかかる国境の激戦地から、国境守備隊の危機を伝えるために休む間もなく軍馬を乗り潰して駆け戻ってきた直後だった。地方の緊急用中継魔方陣を強引に経由し、ボロボロの体で王宮へ辿り着いたものの、神殿の聖女たちには増援要請を冷酷に拒絶され、行き場をなくして王宮内を奔走していたらしい。
「あ……はい、無事ですけど……」
「……っ、この部屋から、凄まじい魔力の波動を感知した。これまで経験したことのない、あまりに強大で未知のエネルギーだったため、てっきり新種の魔獣が侵入したか、あるいはテロの類かと思ったのだが……これは……」
青年騎士の視線が、私の後ろ――机の上の羊皮紙に注がれる。
その瞬間、彼の目が驚愕に見開かれた。
「な、なんだこの絵は……。近づいて初めて分かったが、この尋常ではない魔力の正体は、すべて清らかな『聖属性』のものなのか……? それに、私の傷が、みるみる塞がっていく……!?」
「え?」
慌てて彼の手元を見ると、引き裂かれていた腕の傷が、淡い光に包まれながら綺麗に消え去っていくところだった。前線で浴びた魔獣の呪毒混じりの傷が、医術師の手を借りるまでもなく、完全に癒えていく。
同時に、私の描いた羊皮紙の絵が、まるで生きているかのように優しく明滅している。
「あなたが、この絵を……?」
青年騎士は信じられないものを見る目で私を見つめ、それから、姿勢を正して深く頭を下げた。
「私は国境守備隊の騎士、レオン。……どうか、あなたの力を貸してほしい。この国は今、深刻な結界の弱体化に喘いでいる。君のその絵には、本物の『聖女』以上の奇跡が宿っている」
放置された元イラストレーターの異世界お仕事ファンタジーが、いま静かに幕を開けた。




