他人の中の俺
第四十一話 他人の中の俺
俺は動けなかった。
もしかして。
俺は本当に何か変だったんじゃないか。
その考えが頭に浮かんだまま消えなかった。
周囲の奴らはまだ俺を見ていた。
ベンチに座っていた奴。
電車を待っていた奴。
階段を歩いていた奴。
全員何も言わない。
笑わない。
怒らない。
ただ見ていた。
なのに。
その視線だけが異様に重かった。
その時だった。
カチ。
小さな音がした。
広告板だった。
そこに今の俺が映っていた。
映った俺がゆっくり顔を上げた。
俺は動いていないのに。
そして笑った。
口だけ。
「……は?」
俺は固まる。
映った俺は所々少し違った。
肩が上がっていた。
猫背だった。
目線も少し泳いでいる。
そいつは笑った。
『気付いてた?』
背中が冷える。
『さっきあいつ見てたぞ』
俺は反射的に顔を上げた。
ホームの端。
女子高生がいた。
確かに一瞬こっちを見ていた。
でもすぐ視線を戻した。
普通だった。
ただ、それだけだった。
なのに。
広告板の中の俺が笑った。
『変な奴だと思われた』
俺は眉をひそめた。
「違うだろ」
そんなのただの俺の思い過ごしだ。
『違う?』
カチ。
今度は窓だった。
別の俺がいた。
今度は無表情だった。
『あの男も見てた』
見る。
スーツの男だった。
確かに一瞬こっちを見た。
眉を少しだけひそめていた。
『ほら』
『お前のことが嫌いそうだった』
俺は言葉が止まる。
時計のガラス。
また俺がいた。
次の俺は笑っていた。
『暗そうって思われた』
自販機。
『近寄りづらそう』
床。
『空気読めなさそう』
窓。
『キモい』
広告板。
『変』
カチ。
カチ。
カチ。
気付けば周囲全部だった。
窓。
広告板。
時計。
床。
全部だった。
何十人もの俺。
何百人もの俺。
全部俺が思う自分と少し違う。
でも全部俺だった。
その時だった。
一人が言った。
『でもこれは嘘じゃない』
俺は止まった。
『あいつ』
『本当にそう思ってたぞ』
周囲の奴らを見る。
女子高生。
スーツの男。
ベンチの男。
老人。
全員普通だった。
でも。
急に怖くなった。
もしかして。
本当に皆そう思ってたのか。
俺が知らなかっただけで。
その時だった。
カク。
音がした。
ホームにいた奴らだった。
全員がゆっくり顔をこっちへ向けた。
今度は、全員表情があった。
笑っている奴。
気味悪そうな顔。
困った顔。
呆れた顔。
嫌そうな顔。
全部違った。
ただ、全ての顔が俺に対する嘲笑や不快なニュアンスを含んでいるように見えた。
そして。
全員の影が床へ落ちた。
でもおかしかった。
影だけ動いていた。
ズル……
ズル……
皆の影が足元から剥がれていく。
俺は息を止めた。
影が立ち上がった。
黒かった。
でも形は俺だった。
女子高生の影から出てきた俺。
スーツ男の影から出てきた俺。
老人の影から出てきた俺。
全部少し違う。
『あいつが見てた俺』
『こいつが思った俺』
『お前が怖がった俺』
何十人もの俺が、ゆっくり顔を上げた。
そして全員が笑った。
『どれが本物?』
俺の喉が小さく鳴った。
凪原が初めて少しだけ顔色を変えた。
「……黒崎」
「気をしっかり持って。」
少し間。
「視線の侵食が始まってる。」
俺は目の前を見る。
ホーム中に。
何百人もの俺が立っていた。
第四十一話 他人の中の俺 終




