caseミナミ 『観測休暇 ― 静光、恋の定義を改訂する ―』
風が変わる瞬間は、いつも分かる。
ヒールの音より先に、あの子の呼吸が空気を揺らす。
夕陽がまだ沈みきらない屋上。
フェンスの影が、彼の肩を静かに切っていた。
「……迷ったら屋上って決めてるんすよ。」
その言葉の響きに、胸のどこかが少しだけ痛んだ。
迷っているのは、きっと私の方。
観測と感情の境界を、まだ引けないままここに立っている。
隣に並ぶと、沈黙が広がった。
でも、沈黙は嫌いじゃない。
音がない方が、彼の心拍がよく聞こえる。
──それだけで、十分なデータ。
「……デートって、どっか行くもんなんすかね。」
彼の声は曖昧な熱を帯びていた。
あのとき、私は考えていた。
“行く場所”を決めるのがデートなら、
“帰る途中で並ぶこと”は、なんて呼ぶのだろう。
「帰る場所を見つけたいと思うのが、恋ね。」
そう答えながら、自分の声の温度を測る。
いつもより高め。
観測値:上昇。
沈む太陽が、彼の瞳に映っていた。
その色は、昼でも夜でもなく、曖昧な境界。
まるで、私たちみたい。
チャイムが鳴って、風が少し変わる。
彼がこちらを向いた瞬間、目の奥で光が跳ねた。
ほんの数秒、心臓が呼吸を追い越した。
「……不整脈、健在ね。」
冗談のように言ったけれど、たぶん一番正確な診断だった。
彼の返事はいつも通りに軽くて、
それがまた、どうしようもなく愛しい。
——観測休暇。
今日だけは、記録も、分析もやめて。
この静けさの中で、
光と鼓動の誤差を感じていたかった。
観測者でいられない日がある。
それを恋と呼ぶのなら、
きっと今が、そう。
——静光、続行。




