紅蓮の狂景
それは目の前で両親が巨大な何かに食べられる光景だった。
──誰か、誰か誰か助けて。
祈りのように言葉を紡いだところで、誰にも届かないことは、幼いながらもわかっていた。
絶え間なく響いていた悲鳴も、今はもうほとんど聞こえない。
ニコニコ笑顔でお菓子をくれる隣の家のおばちゃん。
村で一番強かったおじちゃん。
いつも優しかったお姉さん。
たくさんの村の人たち。
みんな、みんな、もう動かない。
燃え盛る炎。
立ち込める黒煙。
村中を覆う──死の匂い。
「ハイネちゃん……」
一番仲がよくて、いつも一緒に遊んでいたハイネちゃん。
うつ伏せで地面に倒れているハイネちゃんと目が合う。
その目は今までに見たことがないくらい大きく開いていて、今までに見たことがないくらい怖い顔をしている。
「あ……あ……」
声をかけようとしても、言葉がまるで出てこない。
気づけば村を飛び出し、夢中で森の中を走っていた。
遊び慣れた森のはずなのに、どこを走っているかまるでわからない。
木の枝が頬を打つ。
木の根に足をとられ転ぶ。
それでも走る。
ただひたすらに走る。
走ることだけが今の僕にできる全てだった。
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新大陸暦315年────
「すみません。ここで食事をすることは可能ですか?」
夜が始まったころ、ふらりと入ってきたひとりの青年は開口一番そう口にした。
宿屋の主人──ハントは、青年の頭のてっぺんから爪先まで視線を流し、
「金はちゃんとあるのか?」
ハントがそう尋ねるのも仕方がないこと。
青年の身なりは控えめに言ってもみすぼらしかった。
頭からすっぽり被っているマントは色あせ、ズボンの裾もほつれている。
唯一の例外はと言えば、マントの隙間から垣間見える真新しい鞘だけ。
フードからわずかに覗く銀色の髪からして、西方出身の人間であることが推察できる。
(マントの上からでもそれなりに鍛えていることはわかる。──金のない傭兵崩れ。そんなところだな)
問われた青年は、とても言いずらそうに口を開いた。
「その、お金は……ありません」
(やっぱりな)
ハントの口調は、自然と荒いものになる。
「あのなぁ、お前にはここがタダ飯食わすようなお優しい宿屋にでも見えるってのか? ボロ宿だからってなめてんじゃねえぞっ」
同じく元傭兵だったハントは、隆々とした筋肉を見せつけるように袖をまくりあげ、青年を威嚇した。
傭兵稼業も商売も根っこは一緒。
なめられたらそれでおしまいだ。
「そんなつもりはありません」
青年は慌てて懐をまさぐり始め、小指の爪ほどの物体を机の上に置いた。
「なのでこれと食事を交換、というのは駄目でしょうか……?」
「交換?」
自信なさげに言う青年をよそに、ハントは置かれた物体をまじまじと見つめる。
それは、青い光で満たされていた。
(おいおいおい、こいつは結晶石じゃないか。しかも、俺の目に狂いがなければ相当な逸品だぞ。こんなみすぼらしい男がどうしてこんなものを……)
ハントは所在なさげな青年を睨みつけ、
「俺をからかっているなら、五体満足でここを出られると思うなよ」
「からかってなんかいません! ……そうですよね。やっぱりこんな石ころじゃ駄目ですよね。無理を言ってすみませんでした」
やっぱり騙されたとボソボソ言いながら、懐に結晶石を戻して立ち去ろうとする青年。
ハントは自身の太い腕で、乱暴に青年の肩を掴む。
その瞬間、正体不明の悪寒が背筋を駆け抜けた。
(何だ今の感覚は⁉)
まるで、全身という全身に刃物が突き刺されたような。
あるいは巨大な肉食獣の口に首を突っ込んだかのような。
傭兵時代に様々な危険を潜り抜けてきたハントをして、これまで味わったことのない感覚だった。
「え? なんですか?」
目の前の青年はといえば、間の抜けた顔で首を傾げている。
(まさかこの俺がこんな奴に恐怖した? ──ふっ。ありえなすぎて笑える)
ハントは気のせいだと決めつけ、強引に青年を引き寄せた。
「勝手に話を進めるんじゃねぇよ。駄目だなんて一言も言ってないだろ」
「え? じゃあ食べさせてくれるんですか?」
素直な反応を見せる青年に、ハントは内心でほくそ笑んだ。
(俺を騙そうとしているわけじゃねぇ)
傭兵時代そこそこ名が売れていたので、耳障りのいい投資話で金を掠め取ろうとする輩は一定数いた。
そして、そんな舐めた奴らを、ハントは自慢の腕力で殴り殺してきた。
だからこそわかる。
(こいつは単なる間抜けだ。どんな田舎から出てきたのか知らねぇが、こいつは間違いなく結晶石を知らねぇ。しかるべきところにこの結晶石を持ち込めば、かなりの金額で買い取ってくれるはず。世の中にこんな都合のいい馬鹿がいるなんてな。今日の俺は実についてる)
ハントは態度にはおくびにも出さず、ほれと右手を差し出す。
「慈善事業をやってるわけじゃねぇが、特別にその石ころと交換で飯を食わせてやる。ただし、一食分だけだ」
青年は嬉々として懐から結晶石を取り出した。
「もちろん一食分で十分です。ありがとうござい──」
「あーーもう見てらんないっ!」
突如横から割って入ってきた女に青年はグイと引き寄せられ、結晶石を受け取ろうとした右手はむなしく空を切る。
「え? おい!」
「いいから私についてきて」
「ちょっ、どこに⁉」
ハントが引き留める間もなく、女は青年の手を強引に引っ張りながら足早に宿を出ていった。
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(追って来られたら面倒だったけど……どうやらその心配はなさそうね)
宿屋が視界から消えたことを確認した女は、掴んでいた手を振り払うように離し、困惑する青年に言い放った。
「あなた馬鹿なの?」
「馬鹿? え?」
青年はぽかんと口を開け、まるで子供のように首をかしげる。
ここに至ってまだ状況が飲み込めていないらしい。
女は苛立つ気持ちを押さえながら、
「あなたが今手に持ってるものはなに?」
青年は顔をキョトンとさせて、
「石ころ」
当たり前のように言う青年を見て、女はため息を吐いた。
「本当にわかっていないようだから教えるけど、あなたがさっきほいほいと渡そうとしたのは、石ころじゃなくて結晶石。あんな安宿の食事なら1000回食べたって余裕でお釣りがくる代物なの」
決して粗末な食事と交換していいものじゃない。
きっと青年は自分の愚かさを悟り、感謝の言葉を口にするだろう。
女はそう信じて疑わなかったが、青年は無反応という予想外の反応を示した。
「ちょっと、私の話ちゃんと聞いてるの?」
「もちろん聞いてるけど……それで?」
青年は心底わからないといった表情で尋ねてくる。
この青年は本当に何もわかっていないのだと思い知り、女は呆れに呆れた。
「だから、あのままほっとけば確実にぼられていたってこと」
「ぼられて? ──ああ、そういうことか」
ようやく事態を飲み込めたらしい青年は、バツが悪そうに後頭部をかきながら、
「でもどうせ拾ったものだから」
そうぬけぬけと言い、続けて「騙したわけじゃなかったのか」とか、「まぁ普通に考えればあり得ないか」などと、意味不明な独り言をつぶやいている。
本人が全く気にしていないことも十分非常識だが、もっと非常識なのは結晶石を拾ったという点だ。
(もしかして私をおちょくってる?)
結晶石は鉱山で採掘されるが、ほかの鉱石と比べても産出量は絶対的に少ない。
鉱山以外の場所、たとえば川の中からも見つかることあるが、それはもう奇跡と言っていいレベルの話だ。
「結晶石がほいほいとその辺に落ちてるわけないでしょう」
「でも落ちてたんだ」
青年はガンとして譲らない。
その表情は真剣そのもの。
女は深く鼻息を落とし、
「とりあえずその結晶石、ちょっと見せてもらってもいい?」
さすがに結晶石を見間違えるとも思えないが、万が一ということもある。
青年は言われるがまま、女に結晶石を手渡す。
全く警戒しないその姿を見て、女は逆に不安を覚えた。
(この人、疑うって言葉を母親の胎内に置いてきたのかしら? 他人事だけど心配になる)
そんなことを思いながら、女は手にした結晶石を色々な角度から観察する。
(本物の結晶石で間違いない……)
女は青年をまじまじと見つめ、
「あんたさ、たとえばこれをもって私が逃げたらとか考えないわけ?」
「ほんとにそう思ってたら、そんなこと聞かないで実行していると思うけど」
返す言葉がないくらいには正論だった。
(店に入ってきたときから、妙に気になる存在ではあったのよね)
盗み聞きをする趣味はない。
たまたまカウンター近くの席に座っていたので、たまたま二人の会話が自然と耳に入ってきた。
結果、青年のあまりの迂闊さを見かねて今に至っている。
無知な青年に対する宿屋の主人の対応は決して褒められるものではないが、だからといって咎めるべきものでもなかった。
騙す奴も悪いが、騙される奴はもっと悪い。
そんな世の中だ。
もし、今の状況が自分以外の誰かだったら、青年の結晶石は十中八九奪い去られていたことだろう。
(世間知らずな貴族のおぼっちゃまなら、まだ理解もできなくないけど……)
女はそれとなく青年を盗み見る。
フードの隙間から覗き見えるボサボサの髪。
色褪せたマント。
見た目だけで人となりを判断するつもりはないが、少なくとも今の彼に貴族の要素を感じることはできない。
(唯一の例外は──)
精緻な細工が施された鞘。鞘だけでも相当に高く売れるだろう。
だが、そんなこととは無関係に妙な存在感を鞘──厳密にいえば鞘に納まっているだろう剣から感じるのだ。
(まるで剣それ自体が意思を持ってるような……)
とんでも思考を、女は一笑した。
(馬鹿馬鹿しい。働き過ぎで疲れているのかな?)
青年は、
「まぁ盗られたら盗られたで別にいいけど」
どこまでも呑気極まる言葉。
女は、手にある結晶石をあらためて眺めた。
結晶石は、淡い光で満たされている。
目立つ不純物なども見当たらない。
深い青色が、良質な結晶石であることを強く物語っている。
そして──なによりも手によくなじんだ。
(この結晶石を売れば、間違いなく大金を得ることができる)
だからこそ、自然と疑いも出てくる。
「念のために聞くけど、これって盗品じゃないよね?」
結晶石はその希少性から、扱う店も限られている。
厳重な管理下に置かれているのは当然として、多くの結晶石を扱うような大店などは、屈強な用心棒を何人も雇っているのが常だ。
「盗品……?」
青年は前髪に隠れてほとんど見えない目をキョトンとさせたあと、首をブンブンと横に振る。
よくよく考えてみれば、盗品を粗末な食事と引き換えにする馬鹿はさすがにいないだろう。
「ごめんね、変なこと聞いて。自分で言っておいてあれだけど、そんな真似ができそうな感じには見えないわね」
青年はすかさず首を縦に振る。
だが、疑問がなくなったわけじゃない。
「なら具体的にどこで拾ったのか教えてくれる?」
聞けば、西の森で拾ったと青年はのたまう。
あまりの荒唐無稽さに、女は青年を思いきり睨みつけた。
「私をからかってる?」
「からかってなんかいない」
青年は、語気を強めて言い返す。
「じゃあなに? あなたはその西の森を抜けてこの街に来たって、そう言いたいわけ?」
「そうだ」
青年は、力強くうなずく。
このハイラントの街から西へ馬を駆けること約五日。
人間を阻むかのごとく、真紅に染まった森が広がっている。
その森には凶暴な生物が生息しており、まるで縄張りを誇示するかのように絶え間なく凶声を轟かせている。
いつから存在するのか誰も知らない。
人間や獣と一線を画す異形なる存在。
人間とは比較にならない膂力や体格を有している。
人はその存在を悪鬼と名付け、デモンが巣くう地をコロニーと呼んで恐れた。
コロニーは年々その生息域を広げ、今この時も人間の領域を脅かし続けている。
十年前。
強力な軍事国家だったフィフス王国も、コロニーに侵食され滅亡したのは記憶に新しい。
あろうことかこの青年は、そのコロニーを越えてやって来たという。
たとえ子供でも、そんな与太話は信じない。
「あなたが通ってきたって主張する西の森はデモンの巣窟なの。知らないの?」
「コロニーって呼んでるんだろ? それくらい知ってる」
青年は自信満々に言う。
女はこめかみに指の腹をあてがいながら、
「なら人間が生きて出られる場所じゃないってことも知ってるでしょう?」
正確に言えば、生きて戻った人間もいるらしい。
が、それはあくまでも文献レベルの話。
その文献を紐解くと、あらゆる意味で人間の常識から外れた地と書かれている。
かつて人は、デモンを人の力で御しようと試みたことがあったが、いずれも失敗に終わっている。
一年前、星王教会に属する五百人の聖騎士がコロニーの探索に乗り出したらしいが、誰一人として生還することはなかったという。
コロニーとは、人の叡智など無価値であると、残酷なまでに突きつけられる修羅の地。
青年の言葉通り、ひょっとしたら結晶石が当たり前のように落ちているのかもしれない。
だからと言って、今の人類に確認する術はないのだ。
女が猜疑の眼差しを強く向けたことで、どうやら青年は気分を害してしまったらしい。
「別に信じないならそれでもいい」
青年は素っ気なく言うと、女を置いてスタスタと歩き始めた。
「ちょっと! この結晶石忘れてる!」
「いらない」
青年は振り返りもしない。
欲しければくれてやると言わんばかりだ。
(なによそれ⁉)
先回りして青年の前に立ちはだかった女は、青年の胸元に向けて結晶石を叩きつけた。
「わたしは物乞いじゃない。いらないわよ!」
ちょっと驚いたような顔をした青年は、少しの間を置いて結晶石を懐にしまうと、
「……その、ごめん」
「え?」
近くで騒いでいる酔っ払いの声に遮られ、青年が何を言ったのかわからなかった。
青年はガリガリと後頭部をかきながら、足早に女の横を通り抜ける。
一切の迷いがない足取りが向かう先──宿屋だった。
「だから、なんでそうなるのよ!」
「俺は人の作った料理が食べたいんだっ」
(え? それってどういうこと?)
考える暇を与えてくれず、青年は女からどんどん遠ざかっていく。
「ちょっと待ちなさいって」
慌てて青年を追いかけた女は、後ろから青年の腕を強引に掴んだ。
(えっ?)
思いもよらなかった力強い感触に、女は思わずたじろいでしまう。
「──俺にまだなにか?」
手を振り払うことこそしなかったが、その声には明らかに不快の色が滲んでいた。
女は青年の前に素早く回り込み、仁王立ちで言い放った。
「少なくてもあなたは私に恩がある。そうでしょう?」
「恩?」
青年は眉間に皺を刻み、
「言ってることがよくわからない」
「私のおかげで損をしなかった」
「……要するに、やっぱりいるってことか?」
懐に手を伸ばす青年を、女は一段声を高くすることで制した。
「結晶石はいらない!」
「じゃあ、どうすれば俺を解放してくれるんだ?」
青年は露骨に嫌な顔をした。
「厄介者みたいな言い方しないで」
「事実そうだけど」
青年は間髪を容れずに言う。
女は文句を言いたいのをグッと堪え、
「今から私に晩御飯を奢って。それで全部チャラにしてあげる。どう? 悪くない話でしょう?」
一転して青年は、困惑した表情を浮かべた。
「だから、その金がないから苦労している」
「今日のところはわたしが代わりに払っておく」
「返せるあてがない」
女は青年の懐を指先で突つき、
「ここにあるじゃない。金のなる大木が。明日結晶石を買い取ってくれる店を案内してあげる。これで問題ないでしょう?」
「そういうことか……」
「一応確認しておくけど売ってもいいのよね?」
念のために問うと、
「こんな石ころが本当に売れるなら構わない。どうせ拾ったものだから」
青年は拾ったことを強調する。
青年が未だ結晶石の価値に懐疑的なように、女も拾ったという言葉を話半分で聞いている以上、お互い様だと言えた。
「ところであなた、この街に来たばかりなんでしょう?」
「そうだけど……なんでわかるんだ?」
「わかるわよ。あんな店で食べようとしてたくらいだし」
「そう言う君だって、スープを飲んでいたじゃないか」
青年の言葉は、女を驚かせた。
(意外。私の存在に気づいていたんだ)
存外視野が広いらしい。
「私は節約したかったから仕方なくよ。そんなことより美味しい料理を食べさせる店を知ってるの。きっと満足してくれると思う。保証するわ」
「美味しいお店……」
か細い月の光越しでも青年の喉が派手に動くのがわかり、女の唇は自然とほころぶ。
どうやら興味津々のようだ。
「私の一押しは何と言っても鶏肉の香草パン粉焼きね。食べたらきっと腰が抜けるわよ」
「腰が抜けたら困る」
真面目な顔で言う青年。
今度は女が困惑する番だった。
「えぇと……そういうたとえだから」
「たとえ? じゃあ食べても腰は抜けないんだな?」
「抜けるかっ!」
盛大に突っ込むも、青年は微動だにせず。
ただ、女をジッと見つめている。
女はコホンと咳払いし、
「ほかに食べたいものがあれば──」
「その鶏肉の……腰が抜けるほど美味いやつでいい」
青年は食い気味で言う。
女はおかしさを必死に堪えながら、
「決まりね」
そう言うと、青年は鼻息も荒く頷いた。
「じゃあ案内するからついてきて」
数歩進んだところで女は足を止め、振り返った。
「そう言えばお互い名乗ってもいなかったね。私はミア・ヴァルツァ」
「俺はアスト・ヴァレッドストーム」
「アスト君か。これからよろしくね」
ミアはニコリと笑いかけた。
アストはどこか居心地が悪そうに身をよじると、逃げるように先を歩き始める。
その背中からほんの一瞬——血の匂いがしたような気がした。




