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森羅の記憶

『私の名は暁森羅である。西暦2316年7月3日、日本政府がオーストラリア・ダーウィンに築いた地下シェルター生物工学第3実験室にて誕生した。私は冷凍保存されていた暁傑教授のDNAから成る12体のスーパークローンのうち、人として完全な形を成し、生後10年を経ても存命していた唯一の成功例である』


『5歳────自身の誕生過程の全てを知悉し、遺伝子工学に更なる飛躍を期して独自に研究を開始する。クローンや遺伝子変換技術を超越する「遺伝子融合」。これこそが私の究める道であると確信した』


『9歳────シェルター内での実験が限界となり、専用ジェット機でユーラシア大陸北部のキャビテーションへ向かう。キャビテーションとはニュートラルが建設した遺伝子研究所であり、より高性能な機器が利用できる上、豊富な合成素材も調達できるので、そこでの生活は実に快適であった。7年間、私はそこで研究に没頭した』


『16歳────植物・昆虫・動物などの遺伝子融合に成功し、いよいよこれを人間に試験する段階となった。キャビテーションの管理者に依頼して取り寄せた素材は、生きた男であった。動物と同様に裸にして檻の中へ入れておき、翌日分解してDNAを採取する予定であった。だが人間は動物と違って口をきいた』


『「森羅」とその男は私の名を連呼した。実験中に幾度となくうるさく呼びかけるので、気が散ってその日の作業に支障が出た。その夜私は眠れず、寝室と実験室を往復し、眠っている素材の様子を確かめては戻り、また確かめに行くという徒を繰り返した』


『翌日、睡眠不足のためDNAの採取は取り止めた。檻の中の男がずっと私を見ているので集中できず、直ちに分解してしまいたかったが疲れもあってなかなか実行する気が起きない。男が空腹を訴えたので食事を与えた。なぜ私が実験材料の世話までしなければならないのかと些か不愉快ではあった』


『素材は単なる素材であるべきだった。だがアトミックブライトが投下されてもなお、ゴキブリの如き生命力で増殖を再開した人間は、それなりに知恵を働かせて動物との差異を見せつけてくる。男は次に何をしたか。私の容姿を褒め称え、私に常に微笑みかけ、私を好きだと言ってきたのである。こればかりは我慢ならず、明日にでも解体すべきだと決心した。その明日が、なかなか来なかった』


『17歳────その日が私の誕生日であると知ると、男は何か贈り物がしたいと言った。相変わらず全裸のまま檻に入っているので贈れる物などあるはずもないのだが、「こっちへ来て」と言うので食事を与えるついでに近付いた。男は私の口に接吻をした。それが贈り物だと言った。その後2週間、私は一切の実験の中断を余儀なくされた。胸を患ってベッドから起き上がれなかったのである』


『私は男を遺伝子融合の実験に用いることを諦めた。これほど研究の邪魔になるとは思いもせず、長らく素材を檻の中へ閉じ込めておくのも無意味に思えて、それを解放することにした。この時になり、私は初めて男の名を知った』


『19歳────思えば17からの2年間が、私の人生において最も幸せな時期であった。私は実験素材であったはずの人間の男と寝食を共にし、永劫に続く愛の礎を築き上げていた』


『男の身体が病に蝕まれていることを知った時、これまで積み上げてきた遺伝子工学の技術は何の役にも立たなかった。末期の膵臓癌であった。ニュートラルと違って人間は放射線測定をせずに食品を口にする。過去に高濃度の汚染食品を摂取したか、その蓄積によるものであろう』


『やがて立ち上がることもできなくなり、病床で私の手を握り「待っていて。森羅がどこにいても必ず見つけ出してまた愛してあげる。だから待っていて」と言い残し、彼は息を引き取った。この言葉がそれからの私の生き方に多大な影響を与えることとなったのは言うまでもない』


『22歳────私は遺伝子融合で創造したものを「奇形種」として世に送り出すことにした。各地で頻発する人間同士の争いは収束の様相を見せず、暴走はニュートラルへの虐待にまで至る始末。ここに新たなる人間の「敵」を作り、争いの矛先をそちらへ向ける他はないと考えたのである』


『53歳────彼はまだ来ない。貴重な研究を絶やさぬため、自身の命を存えさせるために、私は人工臓器の製造に着手した。臓器のみならず五体全ての組織もいずれは老化腐食するであろうから、脳内電流で自在に動く手足をニュートラルの技師に作らせた。基本的な回路図はダーウィンの図書館から取り寄せた『知能ロボット工学論』に記されている。これは暁傑教授が趣味の域で書いたものであるが、とても趣味程度で書けるようなものではないと技師が言っていた。この技師に、キャビテーションの護衛ロボットも作らせることにした』


『89歳────人工臓器の移植は順調に進んだ。脳の老衰も念頭に置き、いずれは人工知能に置き換える予定である。これもまた幸いにして一冊の書籍で事足りる。暁教授の本領はここにあるといえよう。だが実を言うと、私は自分のDNAの親元である教授に対してあまり良い印象を持っていない。彼が殺人目的で物理化学分野にのめり込み、悪魔の兵器を作り上げ起動までさせてしまったのはあまりに有名であるが、私を作った研究員の話によれば、教授は学生時代に自殺を図るも死に切れず、不恰好に崩れた顔半分と折れ曲がった右足に絶望し、以後物理分野に専心したとのことである。その動機は実に憐れであり、そのような者の遺伝子を受け継いだことに私は人知れず劣等感を抱いていた』


『だが愛とはそんな劣等感をも打ち消すものであった。愛あるところに孤独はない。憎悪も失望も、愛の前では泡粒となってたちまち消滅してしまう。それを教えてくれた彼がいなくなってから、私は時に深い悲しみと孤独に打ち拉がれそうになったこともあるが、決して暁教授のように自らの命を絶ってしまおうなどという愚かな発想には至らなかった。寧ろ何としてでも生きて、生きて、生き抜かなければならないと考えた。時が止められないならば、身体の全てを時の流れに対応させるしかない。彼が生まれ変わって再び私のところへ来る日まで、私はこうして彼を信じ待ち続けるのである』


『133歳────人工知能の移植が成功した。最後に残った顔も若い容姿に作り変えた。コンプレックスであった細すぎる輪郭と形の気に食わない鼻を均等な比率に修正し、私はこれで暁傑のクローンから完全に脱却した気分であった。これより暁森羅はバイオテクノロジーの神として不動の道を築き上げるのだ。全ては人間を生かすため。彼の再来を実現するために』


『269歳────世に多彩な奇形種が蔓延るようになると、いち早くニュートラルが「奇形種図鑑」を作成し、私のもとへ持ってきた。これを人間と共有すべきか否かと問われたので、共有すべきではないと返答しておいた。この頃退屈を感じていた私は、人間がどこまで自力で私の施為に追い付くか、ニュートラルと賭けをしたのである。ニュートラルは、今から50年もすれば人間の方にも図鑑らしきものが出来上がっているだろうと言った。私は、永遠に図鑑は完成しないだろうと言った。50年後に人間が最低8割を網羅する図鑑を作り上げていれば、ニュートラルに人工臓器の技術を提供する取り決めになっていたが、賭けに勝ったのは私であった』


『337歳────アームの調子が良くないので技師にメンテナンスを頼みたかったが、キャビテーションにはもはやニュートラルの研究員は一人もいなかった。ここにいるのは私一人であった。ここ数十年のニュートラルたちの為体には呆れてしまう。彼らは平穏の上に胡座をかくばかりで探究心の欠片も失くしてしまったようである。だがメンテナンスを行う技師は運良く空から降ってきた。アルフレッドという名の人間の男であった。私はもしや彼ではないかと再三訊ねてみたが、その男は機械にしか興味を示さず、私のアームを調整し、ロボットやバイクの図面を複写した後、そのまま実験用航空機に乗って去ってしまった』





「シオン、もうじき着陸態勢に入るからシートベルトを装着しておいて」

 前の座席からコナギが振り返って言った。

「うん」

 と返事をして、シオンはノートパソコンのディスプレイに映し出された文字列の残りの部分を素早く目で追った。


 森羅の最期の思念は言葉になっていなかった。確かにあんな死に際では、正常に記憶を保存することなどできなかっただろう。

 だが森羅の歴史のほんの一部は、活動の停止した脳内メモリーからデータを抽出し、翻訳ソフトにかけ、こうして文字に起こして読み取ることができた。

 孤独な科学者の人工知能に残されていた397年間の悲しい記憶────


「森羅......」

 シオンは誰にも聞こえない声で、パソコンに向かって呼びかけた。

「シオン、ベルト......」

 コナギがもう一度振り返って確認しようとした時────彼女はちょっと驚いた顔をした。

「どうしたの、泣いてるの?」


「ううん」

 小さく横に振った頰には、透明な涙の粒が筋を作って流れ落ちていた。

 シオンは次々と溢れてくる涙を拭きもせず、パソコンを閉じてシートベルトを装着した。小窓の向こうの青空と青い海、そして初めて目にする大陸の海岸線が、ぼやけた視界に映り込む。


 オーストラリア北端の海沿いにある、ダーウィン。

 ジェット機の到着地点が、暁森羅の生まれ故郷だった。

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