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 四足の妖獣が身を屈めて低く唸った。ファイに狙いをつけたようだ。

「ようし、来い」

 青い体躯がしなやかに地を蹴る。ファイはショットガンを構え、グリーディが口を開ける瞬間をギリギリまで待った。だが攻撃を繰り出してきたのは、口ではなく前足だ。

「うおっ!」

 すんでのところで直撃は免れたが、爪先に掠っただけでも恐ろしいほどの衝撃。


 着地したグリーディはその反動を利用し、素早く向きを変えて今度はミチカに跳びかかる。

 無駄だと分かってはいても、銃でそれを迎え撃つしか手のないミチカの数十cm手前で、鋭い鉤爪が空を切った。


 グリーディの後ろ足には鎖鎌が巻き付けられていた。忍刀を口に咥えたヨシサダが、両手で鎖の先を手繰り寄せている。

 大きく目を見開いて、ミチカはその光景に感嘆の吐息を漏らした。

「アル爺......見せてあげたい。本物の忍者だわ」

 おとぎ話だとばかり思ってた......まだ幼い日、アルフレッドが子守唄代わりに聞かせてくれた異国の話は、きっと全部本当のことだったのだ。


 四方から次々と二の鎖、三の鎖が放たれ、先端の鎌が妖獣の四足を捕らえて動きを封じる。

 4人の忍者が気力で支えるその正面に、ファイが立った。

「さあ、いい餌をやるぜ。おとなしく口を開けな」

 人語が分かるのか、グリーディは口の端だけ吊り上げてせせら笑っているようだ。

 ファイはトリガーに指をかけた。まさにこの日のために作られたかのような、グローバル一のエンジニア特製超強力ハンドガンが、狡悪な青い顔面の一点に狙いを絞る。


 ダァアアン!


 バレルが猛烈な勢いで火を噴いた。

「人間の方がちょっとばかし賢かったようだな。穴は一つじゃねぇんだぜ、ブルーヤマトさんよ!」

 直径僅か2cm弱の鼻孔を突き抜けたファイヤーバレットが、たちまち青い奇形種の脳髄を焼き尽くした。





 障子戸を開けて座敷に入ると、傷付いた忍者たちが布団の上に横たわっていた。

 爆風で腕をやられた者やグリーディの爪で引き裂かれた者たちが呻き声を上げている。破損した顔面の皮膚を縫い合わせる手術も行われている。中でも全身を包帯で覆った痛々しい姿の老人は瀕死の状態だ。

「やったのか」

 赤茶けた包帯の隙間から声がした。

「はっ。この者たちの助太刀により、なんとか。昨夜の客の知人だそうです」

 ヨシサダは(かしこ)まって片膝で座っている。里長の容態は、誰が見ても絶望的だった。


「そうか......。礼を言おう。だが......ここはヤスクニ。どのような客人であっても、容赦はせぬ......」

 モウリの真意を知り、座敷にいた忍者たちの目が急に殺気を帯びる。そんな中、ミチカはケンシンの枕元へ行き、術中の止血を手伝い始めた。

「オッサ......いや、ヨシサダさん。俺たちゃ仲間を探してるだけだ。すぐに出て行く」

 ファイは話の通じそうなヨシサダに訴えたが、里長の命令は絶対なのか彼は頭を垂れたまま動かない。


「ケイゴはどうした......。早く3人を捕らえて首を持ってこい。おぬしの手緩さにはまことに愛想が尽きる......サトミの件とて、わしが知らぬとでも思っておったか。ケイゴに代わりの役目を負わせたのも、己の欲のためであろうが。これでは死んでも死にきれぬ......このままではヤスクニは滅びてしまう......」

 ひび割れた唇から漏れ出る声は、無常の憂いに満ちていた。


 サトミ────その名を耳にして、ファイの片眉がピクリと動く。

 サトミを里から逃したのは、どうやらそこにいるヨシサダだったようだ。

「俺たちゃ随分と日本人に縁があるなぁ。サトミって子は元気だったぜ。人懐っこい、良い子だった」

「サトミに会ったのか」

 ヨシサダが顔を上げた。

「ああ。今じゃアンタらとは真逆の生活を送ってるよ。日の光を浴びて、世界を駆け回って......人を助けてる」

「────さようでござったか」

 安堵の顔色を覆い隠したまま、ヨシサダは再び目を伏せた。


「抜け忍になり下がった憐れな小娘......。ヨシサダよ、わしの目が黒いうちに......サトミの首も持ってこい......」

 覇気の無いしゃがれ声も、モウリの命がもはや風前の灯火であることを物語っている。半世紀もの間、鉄壁なまでにヤスクニを守り忍者たちを統率してきた彼の武威と威厳が、こんな形で潰えようとは。

 ヨシサダは苦渋の面持ちで里長を見た。その命が潰える前に、言っておかなければならないことがあった。

「モウリ様、サトミは......仮にもサトミは、モウリ様のお孫様でございますぞ」

 座敷は異様な空気に包まれ、しばらくは息をするのも(はばか)られるような寂寞(せきばく)の間があった。


「ほう......サトミがわしの......さようであったか......それは......知らなかった」

 モウリの双眸が何かを考え、静かに閉じた。

「いつかこの里を継ぐのだと、サトミは申しておりました。里長の血縁であるからと皆に(そし)られぬようその事実は伏せたまま、自力であなた様を超えたいのだと────。幼いながら、あれほど真摯に忍道を追求していた者はおりませぬ」

「────」

 モウリの瞼が震えた。それきり───寂寞の間が、永遠に彼の身体を包み込んでしまったようだ。

「モウリ様!? モウリ様!」

 ヨシサダを始めとする里の生き残りは、重傷者も皆布団から這い出し、モウリを囲んで悲しみに暮れた。

 ケンシンの目から流れ出る涙を拭いて、ミチカは言った。

「あなたは生きないといけない。これからのヤスクニのために」





 里人の半数を失ったヤスクニの正門は、喪に服すかのようにしめやかに佇んでいる。

 ヨシサダはミチカとファイをそこまで見送りながら、先客の行方を大まかに伝え、そして言った。

「我らは今まで、シンラ様をお守りする一心でこの道を守護して参ったが、新たに生まれたグリーディという怪物は、もはや世の摂理を超越してしまったようでござる。そなたらが何の目的でキャビテーションへ向かわれるのかは、敢えて訊ねますまい。ただこれだけは────日本人の手で再度世を破滅に導くようなことだけは、我らも望んではおりませぬゆえ」


「ええ。あなたも頑張って里を立て直してね。わたし、ここへはまた来るつもりよ。ワビサビの利いた日本家屋といい、ストイックな忍者といい、こんなにシビれる場所はないもの」

 飄々(ひょうひょう)とバイクのシートに跨るミチカに、

「オイオイ、こんな物騒な所、俺は真っ平ゴメンだぜ」

 どうも祠の霊的な雰囲気に弱いらしいファイが嘆くように言った。

「どうかお気をつけて」

 ヨシサダに見送られ、ヤスクニを後にする。


 雨上がりの地盤の緩んだ泥道を行きながら、足回りの汚れきったジープの運転手に向かってミチカが話しかけた。

「ヨシサダさん、渋くて強くてなかなかいい男だったわね」


「ハァ? オッサンだぜ?」

「若い男はもう懲り懲りよ」

「なら俺にも脈が出てきたってことか?」

「顕微鏡で探さないと見当たらないくらいの脈なら、あるんじゃないかしら」

「それじゃ早速顕微鏡でも買ってくるかな。いや、顕微鏡なら研究所に行った方が早ぇか」


 キャビテーションまであと少し。こうして呑気なやり取りをしているが......その前に待ち受けていたのは、2人の運命を大きく変えることとなった一匹の宿敵であった。

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