2
そこは、ヴォイドにとっては風変わりな景色であってもスグルにとっては郷愁を感じさせる、和の雰囲気満載の閑疎な村里であった。
里の入り口には朱塗りの鳥居が建っていて、その先には祠があり、社の両脇には通常なら獅子や犬を模った狛犬であるはずの石造が、どことなしにあのイボ珍獣を思わせる異形獣の風貌で座している。
祠の横手に立つ中門の奥には、なんと瓦葺きの純和風の家屋があった。和風といっても時代を大きく復古した、寝殿造りの広い屋敷だ。
その門を潜る前に、手荷物の中身が調べられた。
「これは?」
採取した卵を指摘され、
「食料になるかと思って取っておいただけだ」
とヴォイドが無難に返した。
「食べる物なら我らが提供いたそう。これは預かっておく」
3つとも没収された。彼らは敵なのか味方なのか、まだ迂闊に判断できない。
通された部屋は8畳の畳の間だった。そこに着く前に、土間で靴を脱ぐ生活様式に慣れていない者が若干一名、立ち往生とまでは言わないが、僅かに流れに沿えなかったのはやむを得ない。
障子を開けると、この里の長らしき人物が座敷の上手に座っていた。客人を伴ってきた忍者たちが、黒覆面を取って恭しく畳に片膝をつく。
人が言葉を失う時というのは、その殆どが思いもよらない光景に出くわした時である。スグルとヴォイドはまさにその光景の中にいた。
日本人独特の厳格で静謐な佇まい。この里の人たちは、森にいたニュートラルよりもその度合いが格段に強い。しかし、それが理由ではなかった。
スグルは、長らしき人物とそして3人の忍者の顔を目に焼き付ける作業にひと手間かかっていた。
3人の忍者のうち、一人はほぼ完全な黒髪だったが鼻から下が崩れ、口を閉じていても無秩序に並んだ歯の露出が目に付いた。またその横の忍者は白黒まだらな頭で、レージュの友人のカシワギそっくりな顔の造作をしていた。もう一人は一見ニュートラルと変わらない美しい面相をしているようにも見えるが......腰まである長い黒髪、この髪の色が、ニュートラルとして生きることを禁じられた要因なのだろうか。
64分の1の確率で生まれてくる黒髪のニュートラルは、産声を上げる前に死産にされるとレージュが語っていたのを、ヴォイドも思い出していた。この里にいるのは人間から疎外されたニュートラル、さてはそのニュートラルにすら疎外されてしまった者たちか────
スグルとヴォイドは同時に、上座の男を見た。
「かような身なりで申し訳ない。なるべく手短に済ませますゆえ、いくつか質問に答えていただきたい」
老いた声を発した男の顔面は白い包帯で覆われ、2つの眼球と引き締まった唇だけが外界の空気に晒されていた。
「そちらに問う前に、先ずはこちらが何者であるか明かさねばなりませんな」
簡素なちりめん地の着物の下も、皮膚という皮膚には全て包帯が巻かれているようだ。見かけは確かに痛々しいなりだが、声にはしっかりとした芯を宿して老人は語る。
「ここはヤスクニという隠れ里。私は里の長モウリコウノスケと申す者。そこの3人は手前からケンシン、サダノブ、ケイゴ。何か不都合な事があればこれらに申しつけくだされ」
3人はこの部屋に入った直後から不動を貫いている。江戸時代まで実在していた忍者もまた、このようであったに違いない。
「さて、そちらの若き同胞と絶世の美丈夫殿、お名前を伺ってもよろしいか」
モウリの語り口調と双眸が湛える厳かな光は、開け放たれた障子の向こうに広がる日本庭園の趣と相まって、幽玄霊妙な情緒を漂わせている。
「僕はスグルといいます。そして彼はヴォイドさん」
スグルが素直に受け答える。
「スグル殿にヴォイド殿。先ほどは手荒な出迎えをいたし誠に申し訳ない。かような辺境に立ち入る者は滅多におらず、ヨシサダも過剰に警戒したのであろう」
ヨシサダというのは、襲いかかってきた忍者たちの筆頭に立っていた、あの壮年の男のことか。今は別の部屋で負傷した腕の治療でも受けているのだろう。
「道に迷われたとのことであるが、いったいどのような御用がおありで獣しかおらぬ僻遠の地へ参られたのかな。しかもたったお二人で」
ヴォイドが何も言わなかったので、これにもスグルが答えた。
「用というか、僕は世の中に嫌気が差して、誰にも干渉されない僻地を目指し旅をしていたんです。もともと人と接することが苦手というのもありましたが、この外見はどこへ行っても奇異な目でしか見られない。日中もずっと帽子を被って日本人であることを隠しながら過ごすのにも、いい加減うんざりしたんです。こちらのヴォイドさんとは旅の途中で偶然知り合い、聞けば恋人を亡くしてからというもの、辛い過去やしがらみを背負って生きることにも疲れ果てた様子でした。それなら人のいない新たな地で自分たちの人生を見つめ直し、そこで自適な余生を送るなり再出発をするなりしようと、ここまでやって来たんです」
嘘とはこのように吐くものかと、ヴォイドも呆気にとられてしまった。
個々のバックグラウンドを覆すことなく、要点のみをすり替えている。これは何気ない発言から矛盾が生じるのを最小限に止めると同時に、どうやら別の効果も狙っているようだ。
社会から疎外され世を捨てたのだと説明することで、彼らの共感を得ようというのか。スグルはそこを糸口にして、キャビテーションに結び付く情報を引き出すつもりでいるのかもしれない。
さて、モウリはこれをどう受け止めたか。包帯の下に隠された繊細な表情の変化までは、誰にも分からない。
「さようでございましたか。我々も、言うならば世に捨てられた世捨て人。お気持ちは身に沁みて理解できますぞ」
と、里長は一応同調の意を示した。
「そういえば、ヨシサダさんもおっしゃっていました。あなたたちが顔を隠し姿を隠して生きている理由は、里に行けば分かると」
「理由────そうですな。奴があなた方を里に入れたということは、ありのままをご見聞頂いて構わぬということでありましょう」
唇だけが動いて言葉を発していた。余計な動作を行うと爛れた皮膚に亀裂が生じ、膿汁が流れ出す。だが重度の皮膚病を患いながらも、モウリはきちんと背筋を伸ばし泰然自若な構えで座している。
「ヤスクニというのはかつて戦没者たちを祭神として祀っていた神社の名ですよね。日本列島が沈没してから700年、民族の存亡を賭けて誕生させたニュートラルは、皮肉にも僕たちとは似ても似つかない外見になってしまった。僕はここへ来てあなたたちを見ていると、失われた本当の日本の姿に出会えたようで嬉しいです」
「ほう。我ら日本人がいかにして存命を図ってきたのか、スグル殿はご存知なのか」
モウリの驚きと同時に、3人の忍者たちも互いに顔を見合わせる。
「はい。僕はニュートラルの実態を多少は把握しています。ですからあなたたちの風貌がどうしてそのようであるのかも、大体は理解できます」
「その知識はどこから得たのか、お聞かせ願えるか」
「あるニュートラルからです。名前までは明かせませんが」
「されば、スグル殿は今までどこでどのように暮らされていたのか」
「僕は瀕死のところを親切な人に救われ、世話をしてもらっていました。それまでの記憶は無く、今でも思い出すことはできませんが、村や町を転々とし、少し働いたりもしました。きっと僕は両親に捨てられたのだと思います。こんな姿で生まれてきたために......」
「────」
包帯の隙間から覗いたモウリの目が細められた。
里長にそれ以上の動きはなかったが、他の3人は違っていた。拳を握りしめる者、唇を噛んでじっと何かを堪えている者、そして目を閉じて首を垂れた者────




