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「ただいま」
キャンプにミチカたちが帰ってきた。
「お腹が空いちゃったわね。たまには食事を作って待っててくれてもいいんじゃない? うちは男が働かないから女が苦労させられっ放しよ」
ブツクサ言う相手は、どうやらテントの中の人物のようだ。食器すら片付けないオヤジの体たらくを非難するべく、わざと声を張り上げている。
「おうミチカ、スグル。収穫はあったかい?」
ファイがテントから出てきた。ミチカの小言は耳が痛いので聞き流すしかないようだ。
「ええ。森でもスグルは大活躍でね、故障した空調制御システムの修理に一役買ったお礼に、長老から特別にニュートラルの秘密を教えてもらったみたいよ」
食料袋から取り出したのは、いつもの干し肉にパンとチーズ。切り分けるだけだからボヤくほどでもないのだが。
それでもヴォイドがコーヒーをいれてくれたので、ミチカの機嫌も上向いた。
「ニュートラルの秘密?」
コップを渡しながら、低い声が探るように訊ねる。
「スグルにだけ特別にね。おいそれと口外できないくらいだから、とんでもない秘密なんじゃないかしら」
ヴォイドの視線がスグルに移行する。
まだニュートラルとして転生を果たす前の日本人の原型はその視線に気づくことなく、やたらと小さくチーズを千切り分けパンと一緒に口へと運んでいた。
「それで、分かったのか? グローバル語のナゾってやつが」
動かなくても腹が減るのか、中年オヤジは千切るという動作などすっ飛ばしてチーズと干し肉にダイレクトにかぶりつく。
「言語なんて深く考えるものじゃないって豪語してなかった? 聞きたいなら受講料を頂くわよ」
食事時になると、やはりミチカとの滑稽なやり取りが始まる。
「何語だって構わねぇさ。口説き文句さえ通じりゃ、人間はやっていけるんだよ」
「それじゃ、早くその口説き文句とやらを覚えないとね。知らないままじゃ一生女と無縁で終わっちゃうんじゃない? でも爺さんみたいに腰にシップを貼ってるようじゃ、口説いたところで興醒めされるのがオチでしょうけどね」
「ちょっ、知ってたのかよ。爺さんとか言うな。カッコ悪ぃ」
「誰にカッコつけてんのよ。カッコつける相手もいないくせに」
「んだとぉ? 女の口はなんでこうも達者なんだ。ヴォイド、なんとか言ってやってくれ」
「俺は関係ない。痴話喧嘩に巻き込まないでくれ」
ヴォイドにまで見放されて形無しのファイだが、スグルが「爺さん......」と小さく肩を震わせて笑っているのには止めを刺された。
「おいおい、ちったぁ年長者を大事にしろよ。お前ら覚えてろ」
グローバル語のナゾに迫ったはずだったが......なんでこうなってしまったのか。
結局、ナゾは謎のままで、スグルの口からは何も語られなかった。だがここにいる3人は分かっているのかもしれない。もう誰もスグルを疑っていないのだから。それはつまり、日本人であるスグルが言うのなら、グローバル語の起源は日本語であるということなのだ。
「ヴォイドさん」
いつになく、スグルの方から声をかけた。まだ一人、干し肉と格闘しながらのことだ。
「森にお墓があったよ。レージュさんの」
食べながら平然と言う。
「スグル」
ミチカが首を横に振って止めようとしたが、何を血迷ったか、
「その隣にお子さんのお墓も。サラジュさんといって、流産だったって」
その瞬間、世にも麗しい顔に、見る者さえ居た堪れなくさせるほどの悲しい翳が刻まれた。
「どうしてそんなことを言うの。言うにしてももっと別の言い方があるでしょう」
ミチカがスグルの無神経な言動をたしなめた。ファイに冗談を言うのとは違うのだ。ヴォイドがどんな思いでニュートラルの森を見つめ、なぜ村に立ち入ろうとしなかったのか。その気持ちを理解しろとまでは言わないが、少なくとも彼に子どものことまで伝えるなんてどうかしている。
だがスグルはそんなミチカの「大人の配慮」に疑問を投げかけるようにこう言った。
「恋人がなぜ死んだのか知らないままでいるのは寂しくないかな。子どもだって、父親に存在を知ってもらえないままでいていいのかな......」
沈黙が降りた。平坦な物言いではあったが、その言葉は何かしらの情意を揺さぶる波紋となって、ここにいる各人の胸に染み入ったようだ。
スグルが食べ終わったのを見て、ヴォイドが立ち上がりテントを片付け始めた。
次の計測点は、北にあるシャマナ湖。奇形種の目撃情報が多数寄せられている危険な場所だ。
「スグル、後ろに乗らない?」
「うん」
そこはいつの間にか、専属エンジニアの指定席になっていた。赤髪の背中にぎゅっと抱きつく少年を見て、たまには俺にもとファイは思っていないだろうか。いや、こっちはジープの助手席で、
「スグルがロボットと同じだって言ってたのはどこのどいつだ? 人工知能にも感情が芽生える時代になったのか? なぁ、ヴォイド」
と、相変わらず口説き文句などとは無縁の会話をしている。
「さあな」
ハンドルを握るヴォイドは、そう答えたきり押し黙った。考え事をしている彼の顔は、美術館にでも展示したくなるほど厳粛な趣を呈している。
彼の過去の恋愛事情に触れる気がないファイは、過ぎ去っていくニュートラルの森を横目に、トレードマークの咥えタバコで背もたれのシートを倒して腰を伸ばす。
この草原の先には湿潤な気候が広がっているが、人があまり住みたがらないのは凶暴な奇形種がいるからだ。過酷な仕事が待ち受けているのは承知の上でも、一つ気がかりなのはスグルのことだった。
山犬の時にはなんとかなったが、次にまたあんなことがあれば命の保証はできない。やはりパドルスクに置いてくるべきだったかと、若干の不安を白煙に乗せて吐き出す。
「ファイ」
不意に、隣の男が沈黙を破った。
「ん? なんだ」
「俺を殺す時は迷わず殺してくれ」
「へ?」
どうやら無言の間に随分話が飛躍したようだ。この間、ヴォイドの思考回路に何がよぎっていたのか。
そしてまた、比類なき美貌が厳かな空気に包まれる。
「言語なんかより、お前の方がよっぽどナゾだな」
中年オヤジは軽くボヤいて、短くなったタバコを投げ捨てた。ついでに腰を摩る。
温熱シップの効果で調子は良好だ。ミチカに爺さん呼ばわりされないよう老体に鞭打って働くしかない。男として、まずは大切な者を守りきらないと、その先口説くこともできないだろうから。




