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案内されたのは『外輪』と呼ばれるエリアの一画にある倉庫で、屋根や窓の隙間から上空へ黒煙が朦々と噴き出ていた。それにしても、こんな時に役立つとは────スグルは直ちにフード帽を被り、防塵マスクを装着した。
倉庫の内部には、縦横3m、奥行き1.5mの大きな箱型のシステム機器があった。これがこの森の恒温恒湿、空気清浄を司っているようだ。
スグルは先ず表面に内蔵されているタッチパネルでの操作を試みたが、画面にはエラー15と出たきりで動かない。仕様書など探している暇も無さそうなので、ここはアクティブに機械をこじ開けることにした。ポケットの中の工具セットを取り出して、グリップの先に止めネジの規格に合ったドライバービットを取り付ける。
煙の出処はコンプレッサの辺りで、調べてみると空気を圧縮するためのツインスクリューが不具合を起こしていた。一旦回転を止めて調整し、周辺の接続部分をチェックする。
それにしてもスクリューの巨大なこと。この本体を基軸として小型ユニットを各所に配置し、森全体の空調を管理しているのだろう。
再起動するとタッチパネルも復活した。基本設定は気温25℃、湿度50%。乾燥帯にあって驚きの快適空間を実現している。どうやら頭上を覆う造木はただの隠れ蓑ではなく、外気や紫外線を遮断して適温を維持する役目も担っていたようだ。
放射線量率は皆無に近い数値。しかも小型ユニットが計測するのはそれだけではなく、空気中に浮遊する病原菌や汚染物質も常にチェックしている。この徹底した環境管理が長老たちの長寿に寄与しているのは、間違いなさそうだ。
応急処置を終えたスグルは、脇で見守っていた長老に告げた。
「スクリューの軸が摩耗しているので早めに取り替えたほうがいいです。それからコンデンサも。ネットワーク確認では小型ユニットに問題は発生していないみたいなので、管理者が戻ってきたら本体の部品交換を早急にと伝えておいてください」
130歳の老顔が、驚きながらも神妙にスグルを見据える。
「この空調制御システムはニュートラルのみが保有する機器。あなたはなぜその仕組みに通じているのですか?」
「原理はエアコンと同じですから」
ニュートラルの中でも限られた技術者しか扱えないハイテク機器を、あっさりと修理した黒髪の少年。彼の名はスグルと言ったか────
因縁めいた名を持つ少年を長老はしばらくじっと見て、そして言った。
「スグルさんと仰いましたね。おそらくあなたが最も知りたいことに、私はお答えする義務があるように思います。このお礼も兼ねて、お話ししたいと存じます」
太陽が南中していた。だが厳しい日差しはバランス良く配置された木の枝葉によって、柔らかな木漏れ日となり2人の頭上に降り注ぐ。
「ニュートラルの極秘事項とやらを聞かせてもらったの?」
とミチカに訊かれ、スグルはうなずいたものの、内容は口止めされていて話せない。
「わたしも黒髪のカツラでも被ってくればよかったわ」
「その顔に黒髪はかなり無理があると思うよ」
スグルの妙にチクリとくる一言は、このところ要所を押さえて放たれる。
「まあそうね。あなたが真っ赤なカツラを被って現れたら、ドン引きしちゃうのと同じかしら」
嫌味の無い笑みでやり返すミチカ。彼女のこういうところがスグルは好きだった。
小川を渡って少し行くと十字路がある。
「最初ここで迷っちゃったのよ。だって脇道の方が太いんだもの。不案内な者なら誰だって心理的に太い方に進むに決まってるわ」
「この脇道の先には何があるの?」
「お墓よ」
そして2人は同時に思い出した。レージュの話をしていたのだ。
「そうだわ。もしかすると彼女のお墓があるかもしれない。ちょっと寄り道して行きましょう」
ミチカが選択した幅広の道を進んで行くと、やがて墓石の並ぶ閑静な霊園にたどり着いた。
一面緑の人工芝の上に半円状の御影石がいくつも直立していて、それに故人の名前や簡単な経歴が刻まれてあった。
「あったわ」
”レージュ=トクナガ”────墓石には、そう記されていた。トクナガ────この地球上で、その苗字の由来する場所がどこなのかを知り得る一般人は、おそらくスグルくらいだろう。
「こっちは誰かしら。サラジュ=トクナガ......」
レージュの墓のすぐ横に寄り添うように立てられた墓を見て、ミチカが不思議そうな顔をした。
「レージュの子どもの墓です」
と、後ろから声がした。
振り返ると、一人のニュートラルが手に花を携えて立っていた。
「あなたは......」
「お久しぶりです、ミチカさん。私はレージュの友人のカシワギです」
「ええ、覚えているわ。一度だけお話ししたことがあったわね」
カシワギと名乗ったニュートラルは、二つの墓前に花を供えて両手を合わせた。
スグルはほんの少し衝撃を受けていた。ここに、無謀に操られた遺伝子の代償があったのだ。
カシワギの顔は他のニュートラルのものとはかなり異なっていた。額が大きく張り出し、目と鼻は異様に小さく、顎はあるかないか、ほぼ首と繋がっている状態であった。
「レージュに子どもがいたなんて知らなかったわ」
「正確には流産した子どもです。父親は、あなたもご存知の方ですよ」
ハッとミチカが息を飲む。その様子を見て、父親が誰なのかスグルにもすぐに察しがついた。
「僕はとても残念で仕方がないのです。レージュくらい、素敵な人はいなかったから。こんな僕にも彼女は普通の友人と分け隔てなく接してくれました。心優しく賢く、そして誰よりも美しかった。将来はエンジニアになってニュートラルの技術を一般人にも伝えたいと、あんなに頑張っていたのに」
カシワギの豆粒ほどの小さな目が、悲しげに墓石を見つめていた。
ミチカは彼がレージュを陰で愛していたことを思い出した。
「レージュは自殺だったと聞いたけど、この流産も動機の一つだったのかしら」
「はい。これが彼女を最も悩ませたのだと思います。ご存知のように、200年前からニュートラルは一般人との交流を避け、恋愛も禁じられるようになりました。僕の容姿が良い例です。僕の家系が禁忌を犯したために、後にただの恋愛にまで罰則が設けられるようになってしまって」
「禁忌であることは知っていたわ。でもレージュはそれを打ち破りたいって言ってたの。人が人を愛することに何の罪があるの。間違っているのはニュートラルの排他的な不文律の方だわ」
「......そうですね。僕もそう思います。しかしレージュは禁忌が発覚してからあの方と会うことを禁じられ、3日間内輪に拘置されました。その間に体調を崩し、本人もその時になって知ったことですが......妊娠していました。結局その後も体調不良が続き、子どもを失い、それが原因で彼女は────」
崖から飛び降りたのだ。まだ17だったのに......
ミチカはやり場のない悲しみを胸に、供えられた白い花へ視線を向けた。
カーネーションだった。パドルスクで会った母親のことを思い返すと、レージュがお腹の子を失っていかに失意に陥ったかが想像できた。
「キヌアはこのことを知らないわ......運命って残酷ね」
カシワギがしたのを真似て両手を合わせ、瞼を閉じて亡き友人に祈りを捧げる。
一方スグルは、長老が語ったニュートラルの生い立ちと絡めて、これについて考えていた。
レージュが子どもを産めなかったのは、拘置や精神的ショックが原因ではない。単純に遺伝子の型が合わなかったからだろう。それはここにいるニュートラルの姿を見ても容易に推測できる。
彼らが排他的になったのも、普通の人間との”かけ合わせ”に無理があることを悟ったから。
放射能による突然変異────とんでもない。彼らは自らの手で変異を起こしたのだ。遺伝子を操作してガラリと容姿を変え、ついでに自家受精の可能性までも目指した神をも冒涜する荒療治────それが、第三次世界大戦で悪の枢軸となった日本人に唯一残された、生き残るための道だったのだ。




