第12話「共闘の兆し」
翌朝。完全な武装を整えたレイド、リーネ、ガルド、そして案内役のセレナの四人は、大樹海ティルナノグの最深部——エルフたちでさえ立ち入ることを避ける「死の領域」と呼ばれる深部結界領域へと静かに足を踏み入れていた。
太陽の光すら完全に遮断される、永遠の薄暗がり。
踏みしめる足元の本来ふかふかであったはずの腐葉土は、命を失ったかのようにドス黒い黒褐色に変色してドロドロに腐っており、周囲の空気には、肺に張り付くような重く湿った悪意のある瘴気がねっとりとまとわりついている。
「空気がひどく重い……数回息を吸うだけで、何かが肺や喉に詰まりそうよ……」
リーネが口元を布で覆いながら、苦しそうに小さく咳き込む。
「気をつけて、リーネ。この辺りは完全に大地の精霊の力が薄れてしまっている。汚染の浸食が私たちの想像の何倍も深刻な速度で進んでいる証拠よ。魔力酔いと毒気に少しでも異変を感じたら、すぐに言ってね」
セレナが白銀の長弓を手に周囲の木々に鋭い視線を配りながら、優しく、同時に厳しい警戒を促す。
(ここから先は、俺の一周目の過去の記憶にも完全にない、全くの『未知の領域』だ)
レイドは剣の柄から手を離さず、神経を極限まで尖らせていた。
だが、未来の座標を知らなくても、「精霊の気配が通常の森とは不自然に枯れて、死の静寂がある方角」へ向かえば、その中心には必ず大地の命を吸い上げる黒い球体(苗床)の中心に当たるという確かな経験則のアドバンテージがあった。
そして、そのレイドの推測を裏付けるように、彼らが領域に深く足を踏み入れた直後。
唐突に、明確な殺意を持った『敵意』が、その醜悪な姿を現した。
「レイド、止まって。前方の密集した茨の茂みの中に……完全に死んでいるはずの肉の塊が、何かの別の狂った魔力で無理やり生かされて動かされているような、すごく嫌な気配がいるわ」
セレナがぴたりと足を止め、警告を発したまさにその直後だった。
ドバババァァァァァァァンッ!!
黒い泥土と折れた木々を爆発したように空高く巻き上げ、全長三メートルを優に超える巨大な肉団子——本来この森の主クラスである大猪が、その巨躯の全身を『棘だらけの黒い茨の蔦』に深く寄生され、死骸そのものを醜悪な操り人形として再利用されたアンデッドの変異体が、凄まじい地響きを立てて猛突進してきたのだ。
「あれはただの魔物じゃない! あの苗床の放つ異常な瘴気で急速に魔力汚染されて巨大化した、汚染植物の寄生体よ!」
セレナが叫ぶと同時。彼女のその流麗で無駄のない一連の動作で、白銀の弓から放たれた目にも止まらぬ一本の光の矢が一直線に飛ぶ。
空を裂いた矢は寸分の狂いもなく、大猪の顔面——本来の目玉を突き破って脳にまで根を張る、寄生植物の黒い根元である左目の眼窩に深々と、そして正確無比に突き刺さった。
だが、アンデッドの本領はここからだった。
眼窩を射抜かれ、生体としての脳を完全に破壊されたにも関わらず、寄生植物に神経を完全に支配されている大猪は全く止まらず、痛みを感じない狂乱状態のまま、矢を放ったセレナに向かって一切速度を落とさずに突進を続けてくる。
「ガルドォッ! 前へ出ろ! 真正面から受け止めろ!」
「任せとけェェェェッ!」
ドゴォォォォォォォォンッ!!
三トンの狂った肉塊の突進と、ガルドの構えた分厚い鋼鉄の大盾が、正面から激しく激突する。
ガルドの太い両足が地面の泥を何メートルも深く抉りながら後退するが、彼は背中を丸め、奥歯を砕けんばかりに噛み締めながら、セレナの後方への完璧な防波堤となってその致死の突撃を完全に食い止めた。
「リーネ、俺が隙を作る! こいつの背中の蔦の密集地帯を直接こんがり焼いてやれ!」
「やってみるわ! 詠唱破棄、『紅蓮に咲く焦熱の槍』!!」
リーネの杖から放たれた灼熱の炎の槍が、大猪の背中の弱点である茨が密集する部分を正確に直撃し、強烈な大爆発を起こす。
生木が燃え焦げるひどい悪臭が領域に立ち込めるが、背中を丸焦げにされてもなお、本体である大猪は前脚の異常な筋力だけで暴れ続け、ガルドの盾を押し込もうとする。
「セレナ! あいつの暴れてる左右の前肢の関節に巻き付いてる二本の太い蔓、お前の弓で同時に射抜いて切断できるか!?」
「……誰に物を言っているの。当然よ」
氷のように静かで、一切の驕りもない絶対の自信の声と共に。
セレナの白銀の弓から、今度は二本の矢が全く同時のタイミングで放たれた。空気を切り裂いた二本の矢は、激しく上下左右に暴れ回る大猪の前脚の関節に絡みつく蔦の急所だけを、完全に計算され尽くしたかのように鮮やかに、そして正確に断ち切った。
前脚の蔦による強引な支えを一気に失い、三トンの巨体がバランスを完全に崩して前のめりに大きく地面へと崩れ落ちる。
その、コンマ一秒のわずかな致命的な隙を、レイドは絶対に見逃さない。
踏み込みの全力を右足のバネに乗せ、低く沈み込んだ姿勢から、長剣を下から掬い上げるように全力で一閃。
ズパァァァァァァァァァンッ!!
レイドの放った白銀の刃が、大猪の太い首の付け根と装甲のわずかな隙間を深く抉り取り、本体を操っていた中枢神経である最も太い蔦の束ごと、首を完全に一刀両断に切断した。
ドサッ、という心底重い音を立てて、大猪は完全に泥の中に沈み、リーネの炎が残骸を綺麗に焼き尽くしていく。
レイドが剣の刃を振るって黒い血を払い、ガルドが「へっ、チョロいぜ」と汗と泥を拭う中。
彼らの後方で弓を下ろしたセレナは、信じられないものを見るような、驚愕に見開かれた目でレイドたち三人をジッと凝視していた。
「……あなたたち、一体何者なの? 本当に人間なの?」
セレナが驚愕の声を漏らして尋ねる。
「今日、私と初めて実戦で組んだはずなのに。まるで十年以上も互いの背中を預け合い、私の攻撃のクセや射線の通し方を知り尽くしてきた歴戦の専属パーティーの仲間みたいな、全く無駄のない完璧な連携と動きだったわ。……特にレイド、あなた私が『次にどこをどんな軌道で狙うか』、まるで背中や頭の上に別の目がついているみたいにすべて把握して、私の矢束の射線を一ミリも塞がずに完璧な回避動線を作っていた。信じられないわ」
——当然だ。
一周目の誰もいない破滅の最前線で、最も長く、最も深い絶望の中でお互いの背中を預け合って戦い抜いた、お前の生き様と戦闘の全てのクセを。俺の戦士としての魂と反射神経の全てが、完璧に記憶しているのだから。
だが、その歴史の真実を、今の彼女に馬鹿正直に言うわけにはいかなかった。
「……レイドが初対面の他の種族のエルフの人と、一切の言葉も交わさずに異常なくらい息がピタリと合ってるの、私もさっきからすっっっごく気になってたんだけど」
不意に、後方からリーネが完全に冷え切った銀色の瞳で、レイドの顔をジトッと睨みつけてきた。その視線と声には、彼女自身も自覚しきれていないような、微かな、しかし明確なジェラシーの棘がチクチクと混ざっている。
「私とガルドが、レイドとあの呼吸と連携を阿吽で作れるようになるまで、一体村で何年かかったかしらねえ?」
「誤解するな。俺はただ、誰が相手でも即興でその長所に合わせるのが得意なだけだ。剣士としての、指揮官の勘と才能ってやつだ」
レイドは必死に顔を引きつらせて取り繕う。
「まあまあ! 夫婦喧嘩は後にしとけ! 結果オーライの完全無傷で大勝利だ! これならセレナの姐さんが前衛に入ってくれて、俺たちめちゃくちゃ心強いぜ!」
ガルドが空気を読まずに(あるいは完璧に読んで)強引に割って入り、豪快に笑い飛ばす。
「だから、あなたに『姐さん』と呼ばれる筋合いはないと言っているでしょう。私はセレナ・エルフィーネよ」
セレナがやれやれと深い深いため息をつくが、その横顔には先ほどまでの他種族に対する張り詰めた警戒心や孤独感は綺麗さっぱり抜け落ちており、彼らの騒がしさに少し毒気を抜かれたような、柔らかく安心したような微かな笑みが宿っていた。
「……本当に理解不能で、騒がしくて野蛮な人間たち。でも……あなたたちとなら、この深部の何も見えない未知の深い闇の中でも、少しだけ希望を持って前に進んで戦えるかもしれないわね」
レイドの「行くぞ」という短い号令で、四人は再び薄暗い森の奥へと歩み始めた。
一歩、また一歩。
その四人の足音は、まるで最初からこの世界で共に戦うことが運命づけられていたかのように、一切の迷いなく重なり合い、見事に揃っていた。




